Leonna's Anahori Journal
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2003年04月30日(水) オバジは効きますよ

ららぽーとの『いぬごころ』というペットショップへ行ったら、思いがけなくフレンチブルドッグの仔犬に会えた。生後五ヶ月のオスで、パイド(白黒柄)の器量良し。

かかかか、可愛い!今すぐにでも連れて帰りたかったけれど、なんとこの子のお値段は五十万円!うわ〜ん、お犬様〜
ほかにもきれいなココア色のプードルがいて、この子は血統書付きで八十万円だった。しかもナント売約済みでしたワン。

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友達からメールをもらった。もう返事を書いて送信したのだけど、ひとつだけ書き忘れたことがあるので、ここで、公開で伝えたいと思います。

えー「オバジを使ってみてその後どうですか?実際のところ効くんですか?」とのことでしたが…

実際のところ、オバジ、とてもいいです。最高です。だてにマリクレール・ボーテ大賞とってません。特に脂性肌(もしくは混合肌)で加齢とともに毛穴が…、なんて場合には良いのではないかしら。

ブライトニング効果もあるけれど、それ以前に普段の肌が、良い状態で安定します。吹き出物などのトラブルも激減するし。朝起きたとき、顔がしっとりしていて肌密度がミシッと上がったように感じる。
オバジCというのは基本的にビタミンC(アスコルビン酸)なんだけれど、肌から直接、経口で摂った場合の約40倍のビタミンCを吸収できるそうです。ビタミンCの効果ってすごいんだね。

それで、ちょうど今日、初めて買ったC5がなくなったので新しくC10を買いにいったんですよ。そうしたら薬局のオバジの棚の所に“これでダメならごめんなさい”って手書きした紙が貼ってあった(笑)。
身も蓋もない書き方だけど(笑)、まあ、それっくらい効くってことですネ。

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あしたはマンU×トテナムの再放送を観ますよー。
戸田選手がフル出場した試合です。楽しみー(スコールズにやられちゃったって話ですけど)。
 
    
  


2003年04月29日(火) 純米吟醸酒

良く晴れたあたたかい日。柄にもなく、少しうきうき。

横浜の父に、草津で買ってきたお酒を届けに行く。
もちろん、水芭蕉の純米吟醸。途中でマグロと甘エビのお刺身を買って一緒に持って行った。

電車の中で『熊を放つ』を読んでいたら、熊ではなくて蜂を放っていた。
まだ上巻の真ん中あたりだからね。熊はまだ、もっと先へ行ってからなんだろう。










2003年04月27日(日) 草津から帰宅

午後、草津から帰ってきました。

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きのうの続きですが。

老舗旅館のお風呂、最高でした。
まず建物からして全然違う。さすが明治十年創業、風格と品がある。でもって中へ入るとお帳場の人の物腰と言葉遣いがこれまたエクセレント。日帰り入浴の料金千円也を払って館内へ入るとお香のような匂い。それも今さっき焚きましたというようなわざとらしい匂いではなくて、長年の間に建物に染み込んだ、よいかおり。通路には明るすぎない照明、足元には目のつんだ絨毯が敷きつめられている。

お風呂も同じく、あくまで和風にこだわった造り。新しくてピカピカしたものを排して、古いものの良さを生かしつつ清潔さを保っている。
草津にはただで入れる共同浴場がたくさんあるし、どこで入ってもお湯(源泉)は同じじゃないかと言われればそれまでですが。ここ奈良屋のお湯は、特別やわらかく、ありがたく感じられました。これで千円は、決して高くないのでは?
脱衣所で団扇をつかって涼みながら(扇風機じゃなくて団扇)、心底のんびりした気分を味わいました。

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さてさて。
帰宅してセリエAの試合結果をチェックしてみたのですが。

前節ホームでエンポリに負けて優勝の夢やぶれたミランが、今節はまたしてもローマに負けたという事実。なんだこら。

ここへきて急に腰砕けになったミランもなんだこらだけど、今頃になって急にやる気出してるローマも、なんだこらぁ!
 
 
そういえば今日は、ひさびさに柳沢のプレーする姿みたなぁ(鹿島×FC東京)。
本当にキエーボへいくのかなぁ、ヤナギ。ぼちぼちそこんとこはっきりさせてくれないか。
 
 


2003年04月25日(金) 草津温泉二日目

朝。ご飯を食べたあと部屋へ戻って二度寝。疲れが凝りのようになって溜まっている。

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昼過ぎ、買い物がてら湯畑方面へ出る。曇り時々小雨。スキーシーズンとゴールデンウィークのはざまで半分眠ったような雰囲気の温泉街は、霧が出始めたとたんにまっ白に煙って何も見えなくなる。

湯畑前の白旗源泉(共同浴場)に入ってみる。木の浴槽に真っ白なにごり湯がザーザーと注いでは溢れ出している。かなり熱めのお湯は私の好みだ。草津温泉には4つの大きな源泉(小さなものも入れるともっとたくさんあるそうだ)があって、そのうちのふたつは湯畑のところにあるのだが、ひとつは白旗の湯(白濁)で、もうひとつは熱の湯(透明)。
泊まっている宿のお湯は湯畑から引いているとのことだったが無色透明だったので、きっと熱の湯が源泉なのだろう。

風呂からあがって喫茶店で一休み。スムージーを飲みながら『熊を放つ』を読み始める。訳が、なるほどムラカミハルキだ!と思った(本の感想になっていない)。朝御飯がたくさんだったのでちっともお腹が空かない。
パン屋さんでペストリーを買って、あと、水だの地酒だのコーヒー牛乳だの、冷酒用硝子杯(観光地によくある手作りガラス工芸品の店で)だのを買いこんで宿へ戻る。

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夕方、大滝の湯へ出かける。ここは有料の温泉施設で、時間によっては地階の檜風呂で合わせ湯や歩行湯などを楽しめるのだが、私は入浴可能時間の谷間に行ってしまったので、かなわず。ザンネン。ここにきて朝寝のつけがまわってきてしまった。
それでも大浴場と滝の流れ落ちる露天風呂、打たせ湯とサウナでゆっくりする。特にサウナ。入って出て冷水に浸かる、これを三回くらい繰り返した。汗をかいた身体を冷水に沈めるとき、心臓が丈夫でよかったとつくづく思う。気持ちいい。

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宿へ帰って夕飯のあと、歩いて三分ほどのところにある地蔵の湯へ。ここは地蔵源泉といって4源泉のうちのひとつ。小さな湯小屋の裏にこれまた小さな湯畑とお地蔵様のお社がある。
しかし中へ入ってみると、誰もいない。まず脱衣所の電気を点けるところから始める。どうやら男湯の方も無人の様子。都会で暮らす感覚だと無用心でかなり怖い状態なのだが、ここは草津。こんな湯屋がそこいらじゅうに点在しているのだ。ひとりなのを良い事にゆっくりお湯に浸かることにする。ここのお湯は透明。もちろん源泉かけ流しで、熱々だ。

お湯からあがって服を着ていると、男湯の方に誰か入りに来た気配。どうやら若い二人組みで、土地の人ではなく旅行者のようだ。おっ、すいてるじゃんとか何とか話している声が聞こえる。それからしばらくして「うぁ〜、あっちい、あっちい!」と言う声。わははは、この熱いのがいいんじゃないか、などと思いつつ湯屋をあとにする。

地蔵の湯のあともう一ヵ所、はしご湯する。宿のすぐ隣の白嶺の湯という共同浴場。ここも女湯は無人だったが、途中で近所のひとらしい女性が入ってきた。見なれぬ先客に驚いたような顔で「こんばんは」と挨拶された。
白嶺の湯は場所柄、観光客はあまり来ないようで、脱衣所の壁には『共同浴場維持のため一世帯、一ヶ月三百円ご納入お願いします』と書いた紙が貼ってあった。

このほかにも草津の共同浴場の壁にはやたらと標語や教訓、注意書きの貼り紙が多く、これがなかなか面白い。あまり面白いのでメモをとってきた。このジャーナルをまとめて旅の穴へ移すつもりなので、そのときに付記します。

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部屋へ帰って、買ってきた地酒、水芭蕉を飲む。純米吟醸。これが、大当たりだった。ワインのような酸味と日本酒の甘味の両方があって、しかもあと口がすっきりしている。旨い。ああ、しゃーわせ…

明日は西の河原の大露天風呂と、高級老舗旅館のお風呂(立ち寄り湯)へ入りに行く予定。
  
 


2003年04月24日(木) 合宿地に到着

前々から「一度はおいで」と言われていた場所へ来ている。

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草津へやってきた。
新宿から高速バスで4時間弱。首都圏からそんなに遠くないにもかかわらず桜がまだほとんど咲いていない。途中の長野原あたりでは満開だったのに、なんだか意外な感じがする。バスの中で「五月の連休の頃に来てもお花見に間に合うことがある」と話している人がいた。

宿に着くとすぐ有名な湯畑を見に行き、それから土産物店の並ぶ細道を通って、西の河原公園の奥まで行った。ちょっと散歩するつもりがけっこうな距離を歩き回ってしまった。結局1時間半くらいうろうろしていた。
宿へ戻ってお風呂に入って、夕飯のあとTVをみてからまたお風呂。

草津には無料で入れる公共浴場が18ヶ所もある。それ以外に大規模な有料の温泉施設が5ヶ所くらい。いくら温泉が好きでもこれら全部に浸かるわけにはいかない。明日は朝からタオル持参で観光協会へ行き、作戦を立てたうえで湯めぐりをしようと思っている。(多分、朝昼昼晩晩、くらいの感じになると思う)

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本は『熊を放つ』(上、下)を持ってきた。『ガ−プの世界』でけっこうしんどい思いをしたのに、なぜまたアーヴィングなのか。自分でもよくわからないのだが。
あと『ヴァージニア・ウルフ短編集』も。この「旅をする本」はまたしても累積移動距離を伸ばした。
 
 


2003年04月23日(水) ぶらっと。

二、三日ぶらっとしてきます。
チビパソ持っていくので、出先から更新の予定。
ジャ〜ニ〜(←ここシャレだから。たのむよ)

 
 


2003年04月19日(土) 文庫本4冊

テニスの振り替えレッスンに出た。その帰りに買った本。

 『熊を放つ』(上・下) ジョン・アーヴィング
 『白洲次郎の生き方』 馬場敬一
 『ブレストの乱暴者』 ジャン・ジュネ

アーヴィングの訳者は村上春樹、ジュネの方は澁澤龍彦だ。澁澤訳のジュネって私は初めて。どんなんでしょう。

白洲次郎は、今読むのにはあまり向いていないかも。だってこの本の第五章「プリンシプルの男」の冒頭にはこう書かれているのだ。

“プリンシプルとはすなわち、原則である。
 白洲次郎の一生は、この原則プリンシプルを貫くことで燃え尽きたと言ってよい。”

現在のイラク情勢とそれに対する日本という国の対応を考えたら、GHQ相手に一歩も引かず渡りあった男の話なんか読まない方が安全。だって、読んだら私、憤死しちゃうかもしれないもん。
 
  


2003年04月17日(木) ぼくんち

夕方。
くるみ嬢と待ち合わせて新宿の串揚屋へ。
日が長くなったので午後五時半をまわってもまだ外は明るい。立吉(たつきち)という店にはいると中は暗くて、私たちは今日最初の客のようだった。

まず、白ワイン。それからお任せで一本ずつ揚げてもらう。
そとは明るいのに、もうワイン。しかも自分たちが口開きの客なのだ。こういうの、随分長いことしてなかったなぁ。たまにはこういう所へ来なきゃだめだよね、大人なんだからさ。

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串揚げのあとはコーヒーで締める。で、ランブルへ。
ここでくるみ嬢は、一冊の本を取りだした。西原理恵子の『ぼくんち』というマンガだ。読みませんか?というので、手にとってパラパラ。いま思えば、あのときくるみ嬢の目には「とにかく読め」という有無を言わせぬ気迫のようなものがみなぎっていた、と、思う。

結局そのサイバラ本を借りて帰ったのだが、読んでみるとこれがとにかくとんでもないマンガで。くるみ嬢にしてみれば、これが私に対する“サイバラ最終兵器”のつもりだったのだろう。

しかしなぁ。この本、映画化されて上映中だというのだけれども。こんな話、いったいどうやって映画化したんだろう。
三年前に買い物に行ったきり帰って来ない母親。突然あらわれたピンサロ嬢の姉。近所の女の子はヤク中の父親と二人暮らし。隣町の不良青年はトルエンでも何でもさばく…、ことごとくコードにひっかかるのと違うか。

海と山しかない静かな町の最底辺に生きる人々のおはなしに笑って泣いて一気読みした私は、読後、胃の底にうっすらとたまった重たーい何かを自覚して、ほーと溜息をついた。(そのうちくるみチャン、笑顔で「映画一緒にいきませんかー」とか言いだすんじゃなかろうか)

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あ、そうそう。新宿南口を歩いていたとき『みやざき館』という看板を発見。宮崎県の物産をPRしながら売っている店だ。
もしや…と思って入ってみると、あった!やっぱりありましたよ、去年8月21日のジャーナルで絶賛した、ミルキーランドが。

うれしいなあ。まさか東京で手に入るとは思わなかった。さっそく一本買って帰ってきました。




2003年04月16日(水) ボール支配率がなにさ

サッカー国際親善試合、韓国×日本。

最後の最後、ロスタイムでのあの得点をほとんどオウンゴールじゃないか、という人もいる。ラッキーだったという言い方もある。

でも私にとってあれは、最高の勝ち方だった。
あの得点には、単にジーコジャパンの初勝利ということ以上の意味があるのだ。少なくとも、私個人にとってはね。

だってさ。いきなりポゼッション・フットボールの壁をぶち破っての勝利なんだもん!しかも宿敵韓国を相手に。これを喜ぶなと言うのが無理な話。

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ボール・ポゼッションというのは、試合中のボール支配率のこと。
日本代表のサッカーはポゼッション・フットボールといって、パスを回し確実にボールをつなぐ(つまりボール支配率を増やす)ことで、攻撃のチャンスを増やそうという方法論に基づいているそうなのだが。

しかしこの日本のポゼッション・フットボールは、素早い敵のカウンターやワンミスの隙をついてくる攻撃のまえに、これまで、何度も何度も何度も何度ぉ〜も屈し続けてきたのだ。良くて引き分け、悪けりゃ負ける。それも唯一の得点を相手に許すという形で。

たとえば昨年のW杯、対トルコ戦。ほんの少しの隙を見逃さなかったウミト・ダヴァラに一点をもぎ取られ、終盤必死に攻め続けたが0−1のスコアで負けた。こういう負け方を目の当たりにして思い知らされるのは、いっくらボールを支配したって決められなければダメなんだという、しごく当たり前の事実なのである。

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こういうジレンマを抱き、「善戦はしたけれど、あと一歩及ばなかった」という決まり文句に心底飽き飽きしていた私にとって、今夜の日本代表の勝ち方は最高のカタルシスだった。ほんと、綺麗なシュートをビシッと決めての勝利より、こっちの方が感動するわ(笑)

豪快に決めようが、こすっからく入れようが、勝ちは勝ち。悔しかったらオタクも、何をしてでもボールにゴールラインを越えさせればよかったじゃないのォ〜? …とまあ、こういう事なのだ。

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しかも。そのコスいシュートを放ったのがFWだっていうのが、いいよね。あれでいいのよ。FWはね、ゴールに向かって打ってナンボ。
ありがとうユウイチロウ。これで今夜はよーく眠れそうです。

こういう気持ち、ニック・ホーンビィ(『ぼくのプレミアライフの』著者にして筋金入りのアーセナルファン)ならきっとわかってくれるはず、なんだけどな。
 
 


2003年04月13日(日) トライセラ・イン・赤坂BLITZ

夜、赤坂BLITZへ。
ジャパンサーキットというイベントにトライセラトップスが出るので、それがお目当て。

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出演は4バンド。トライセラはトリだった。
彼らはライヴではいつも、何か一曲はカヴァーをやるんだけど、きょうはクリームの『アイム・ソー・グラッド』をやった。私にとってもこれはソーソーグラッドな選曲。
しかし今夜のインプロヴィゼーションはすっごく長くて、しかもヘヴィーだった。7〜8分はやってたんじゃないかしら(もっとかな)。これ以上は健康に有害ってくらい、徹底的にやってたね(笑)。

全部で3時間半くらいのプログラムだったんだけど、そのうち会場内でちゃんと聴いたのは2時間弱くらい。あとは外の椅子に座ってビールを飲んだり、本(ガープの世界)を読んだりしていた。トライセラ以外ではデトロイト7という女性ヴォーカル兼リードギターのいるバンドが良かった。





2003年04月12日(土) コロンバインに捏造疑惑

先日このHPの掲示板に、映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』に関しては、こういう見方もあるよということで、サンフランシスコ在住の邦人女性の日記サイトにリンクが張られていた。

行ってみた人はわかると思うのだが、日記にはあの映画にはいくつか事実と違う部分があると指摘されている。
直接日記作者の方に承諾を得たので、ここに改めて日記の当該ページへリンクを張っておく。

もしこの日記に書かれていることが正しいとすると(こういう書き方をするのは、私では根拠とされている英文をパッと読んで即判断をくだすことが出来ないからだが)とても残念なことだ。そして残念な理由はふたつ。

ひとつは、ドキュメンタリー映画がどういうものかという定義うんぬんではなく、ああいう手法であのような重たいテーマを扱った映画の場合、指摘されたような間違い(事実の曲げ方)は捏造と言われても仕方のないことだから。
特にチャールトン・ヘストン(NRA会長)のスピーチを切り貼りして作り替えてしまったというのと、コロンバイン高校近くの工場がDirecTVサテライト用のロケット製造を行っているにもかかわらず“大量破壊兵器”を作っているかのようにみせている事。これは酷いなぁ。どうしても事実を曲げなければ出来なかったというわけではないだろうに…

もうひとつは、それでもこの映画は重要なテーマを扱った優れた映画で、とても影響力があると思うから。
特に私は、映画中のマリリン・マンソンとマット・ストーン(『サウスパーク』原作者)の発言が素晴らしいと思った。十代の若者にとってああいう言葉を発する大人の存在というのは非常に貴重かつ重要だと思う。それだけに細部をごまかしたりなんかしないでほしかった。

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恐らくマイケル・ムーアは、恐怖が人を過剰に攻撃的にさせる、他人が信用できない臆病者が銃を頼るのだという“真理”を発見したとき、躍り上がって喜んだのではないかと思う。それはマット・ストーンに作らせたアメリカの歴史のアニメーションをみればわかる。なにもかもを“他者への恐れ→過剰な暴力、先制攻撃”に収斂して見せた、短くて分かりやすく、インパクトの大きいあのアニメーションをみれば。

たしかにドキュメンタリーにもテーマを掘り下げるための様々な型や手法があることはわかる。
しかし、こと銃社会を告発する映画において、指摘されたような捏造や間違いはゆるされるべきではないだろう。特にこの時期、米英のイラク攻撃を機にTVでオンエアされたいくつかの優れたドキュメンタリー(米・イ両国のこれまでの歴史を丁寧に検証したもの等々)に触れたあとでは余計にそう思う。
 
 


2003年04月11日(金) ももや

夕方。またしてもクルミ嬢と放課後活動番外編。
きょうは有楽町マリオン裏の、ももやで。

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いやいやいやいや、最高でしたよ、ももや。
お店は二階にあるのだけど、まずあの急な階段がいい。
上りも大変だけど、ちょっとでもお酒なんか入ってたら帰りは命がけ(笑)

あとはお店のせまさ、椅子とテーブルの配置、マスターとの距離感、コーヒーの味の普通さ加減、お店のマッチ(ブックじゃなくて箱)まで、全部グー。

常連さんもいらっしゃるのだけれど、それも全然イヤな感じじゃなくて。
あっちはあっち、こっちはこっちという感じで、お互い機嫌良く自分たちの話にうち興じてるという感じ。とても居心地がいい。

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その、ももやで。今日の決定および申し合わせ事項。

 1、トニー・レオンのことは今後、田中健と呼ぶ。
 2、田中健のことは今後、ケーナと呼ぶことで区別する。
 3、どうでもいい情報として、伊集院光の本名は田中健である。…

なぜ田中健がケーナになるのかわからないひとは、検索エンジンに「田中健ケーナ入門」と入力してみましょう。

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それにしても、香港映画の人気は絶大だ。クルミ嬢も「実は大ファン」だそうだ。
私の周りには年々、香港映画のファンと歌舞伎のファンが増加している。みんな友達になった当初はそうでなかったのに、何年かたって話をすると、そういうことになってしまっている。何故なんだろう。

それで、そういう友達に「アタシ、最近ではトライセラトップスが一番好きよ。」というと、皆一様に笑う。それも決まって安心したような笑顔をみせるというのがちょっと気になるところだ。





2003年04月10日(木) こころ落ち着く場所

久しぶりに母の墓参りに出かけた。

天気はいいし、あたたかいし、平日だから人はいないし。
こういうときのこの墓地は、ほんと最高なんだ。
着いてから、サンドウィッチかおむすびを買ってくればよかったと、かなり後悔した。雑木林のそばのあずまや屋で食べたら、気持ちよかったのにな。
 
 
「死んでしまった人間といふものは大したものだ。何故、ああはっきりと、しっかりとして来るんだらう。まさに人間の形をしているよ」
 
 
…こう書いたのは小林秀雄だ(『無常といふ事』)。
この墓地に来るたびに、この言葉そのまんまの気持ちになる。そうして余分なもののないすっきりした気持ちになる。

帰り際、CDアルバムと、缶ビールが四、五本供えてあるお墓が目に付いた。どんなひとのお墓だろうと思ってそばへ寄ってみたら、43才で亡くなった男の人のお墓で、CDは浜田省吾のだった。
 
私のような人間でも、今死んだら“それなりにすっきり”するのだろうか。温かい日射しを浴びながらそんなことを考えていると死というものがまるで優しさそのもののように思われてきて、世の中の暴力(戦争など)のとばっちりで死ぬのが怖くてなかなか寝付けなかったここ数日の恐怖心が嘘のようにスッと遠のいた。
 
 
 
 










2003年04月09日(水) ボウリング・フォー・コロンバイン

やっと『ボウリング・フォー・コロンバイン』を観る。水曜日はレディスデイで、女性は1000円だった。

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この映画を観るにあたりただひとつ心配だったのは、上映中、義憤に駆られたワタクシがやおら椅子を蹴ってバーン!と立ち上がったりしたらどうしよう、ということだった(笑)。いやいや、笑い事ではなくて。映画の内容や自分の性格、それに最近のイラク情勢のことなどを考えあわせれば、まったくあり得ないことではない。

そして。結果的に、バーン!はやらずにすんだ。やらなかったかわりに、目からちょっとばっかし塩水が出た。不測の事態だ。まさかこの映画で、泣くとは思わなんだ。

塩水が出たその下地には、やはりイラクのことがあった。
つまり、TVで傷ついたイラク市民の姿を観、傷が痛くと泣きわめく子供の声を聞いた記憶も生々しい状態で、今度は、学校の教室で乱射事件に巻き込まれた先生の助けを呼ぶ声(救急との交信記録のテープ)を聞いたわけで…。まともな人間ならこういうとき、あまり楽しい気分にはなれない。

悲しいとかカワイソウだとかいうよりも、ガックリきたという感じだった。血圧が低ーくなって、ものすごく憂鬱だった。こういうのを軽い抑鬱状態と呼ぶ。原因は、科学の(もっとはっきり書くなら武器や兵器の)進歩に比べて、人間の意識の進化が遅れ過ぎてるってこと、そのことに改めて直面したことだ。こんなにかなしい映画、私はかつて観たことがない。

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この映画は日本で公開される前からかなり話題になっていて、国内で公開されてからはメディアでも取り上げられることが多かったから、だいたいの内容についてはすでに知っていた。
米国とカナダのセキュリティに対する感覚(ひいては他者に対する警戒心)の違いについての部分などは、TVですでに観ていたし。

だから実際に映画館でスクリーンを観ながら、ああ、これがみんなを唸らせたマリリン・マンソンのインタビューシーン、これがサウスパークのヒトが作った歴史アニメの部分、ナルホドナルホドと、いちいち納得しながら観た。しかしだからといって、つまらなかったという訳でもない。ネタバレしたからつまらなくなるような映画ではないのだ、これは。(そもそも、そう思ってたら観に行かない)

この映画の肝(キモ)は、暴力へと向かう人間の性質・本性についてのストレートな斬り込みだろう。時と場合、しがらみや損得勘定で形を変える“暴力の理由”の、そのまた奥にある“暴力の原点”に焦点を当てている点が画期的なのだ。

人間が、こういう自らの持つ性質について客観的な目を向けない限り、暴力は拡大再生産され続けてしまう。かなしい話だけれど、興味のあるひとは観るといいと思う。
 
 


2003年04月07日(月) ミランが、ミランが、あ〜ヨイヨイ

セリエA第28節。

注目の一戦、パルマ×ミラン。

負けたですよ、ミラン…。1−0でパルマに。
それでね、まあ、よくあることだっていうのは私もわかってるんですが。でも、あのピッポのオフサイドは誤審だね。何度リプレイみてもピッポはオフサイドじゃなかった。

つまり、結局今年も“ユヴェントス”ってことなのだろうか…?

(ちなみにナカータは負傷欠場。ミラン戦には出ず。)

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一方もうひとつの注目試合、インテル×ローマ。
こちらは3−3のドロー。なんなのよ、このスコアは!(笑)

ま、スコアのことはこの際いいや。問題はレコバですよ、レコバ。
はっきり言って、やっぱりあのひと、どっかオカシイで。
何よ、あのボールキープは(インテル2点目)。

敵のディフェンス3人に囲まれて(3人だよ!)自身もバランスぐちゃぐちゃになりながらもドリブルでキープ。そのうえ針の穴を通すみたいにしてゴールまで決めてしまった。…もうっ、わっけわからん!

わからんけど、ああいう選手をファンタジスタと呼ぶんだろう、きっと。

レコバの2点目のあと3点目を入れたのがエムレ。ドローは痛いけど個人的には良いものみました。というか、一体どこを優勝させたいのか、どのチームを応援してるのか自分でもよくわからなくなってきてる(笑)

 
 


2003年04月06日(日) 支持率の裏側

今日、NHKスペシャル『イラク戦争 アメリカ・イラクの人々はいま』という番組をみた。
その中で、アメリカのイラク攻撃の支持率が70%と高いことの原因として面白いことを言っていた。
曰く、第二次大戦での勝利以来アメリカ国民には“勝つ戦争は良い戦争”という意識が(半ば無意識に)浸透している、というのだ。唯一の例外、ベトナム戦争を除いては。

第二次大戦ではナチスを滅ぼした(原爆という大量破壊兵器については、かなり疎いようだ)に始まって、アメリカの関わる戦争は悪を滅ぼし、人々を民主主義に導くものと信じている。そして何より、戦争がうまくいったあとは景気が良くなるということを経験的によーく知っている。だから、早期決着で勝つ戦争ならば歓迎する、というわけだ。しかもアメリカはよその国へ出かけていって攻め込むから本土決戦ということはまずない。(国内では)血を流さずに景気回復がはかられる、というわけだ。

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なるほど、そうだったのか…。

救出された女性兵士の顔を放映することで支持率が上がるのならば、メディアの操作でいっくらでも支持率はコントロールできる。でも、それではあまりにも米国の一般市民が馬鹿みたいではないか?戦争というものに対する確固たる考えというものがないのだろうか?と疑問に思っていた私は、これを聞いてやっと合点がいった。

こういう背景をきかされたあとでは、七割の支持派に対する抗議の気持ちよりも、三割の攻撃反対派に対する畏敬の念(というとチト大袈裟か)と“可能性”を感じてしまう、こういう私は甘ちゃんなのだろうか。

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NHKスペシャルのよいところは、過去にあった事実、過去のデータを示しながらイラク攻撃の背景を見せるばかりでなく、それに新しいデータを加えつつ現在も続いているイラク攻撃について検証している点だろう。

とどまることなく動いている事実をみて検証すること。これが(私も含めて)今回のイラク攻撃について多少なりとも意見を表したものの取るべき態度ではないだろうか。



2003年04月05日(土) 武闘派の女

♪雨よ降れ降れ、花粉を流せ〜

とはいえ今日は少し寒すぎた。満開の桜花に、氷のように冷たい雨が降り注いでおりました。

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横浜へ行く電車の中で姫野カオルコ『レンタル(不倫)』を読み終えて、布製のブックカバーを『ガープの世界』上巻に掛け替えた。

そして読み始めたらすぐ、一行目に、ガープのお母さんが傷害罪のためボストンで逮捕された、と書いてあったのでたまげてしまった。なぜなら、たった今読み終えた『レンタル(不倫)』の主人公、力石理気子も半径30センチ以内に人影が入ってくると反射的に武術を使ってしまう“強い女”だったからだ。ヒェ〜、二連続武闘派のオンナだよ〜。
 
理気子は、小説の最後で或る男の顔面に鉄拳をお見舞いする。彼女は空手、合気道、剣道、なぎなたの有段者。当然男は鼻血ブー。そこで彼女は、一応手かげんはした、「骨折はさせなかったと思う」と呟く。

一方ガープのお母さんはというと、映画館でしつこく言い寄ってきた男を持っていた武器(古いメス。彼女の職業は看護婦なのだ)を使って血祭りに上げる。で、駆けつけた警察に対して言った言葉が「咽喉をねらったわけじゃありません」。

…こんな、こんな面白い偶然ってあるだろうか。

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ガープの方はまだ読み始めたばかりだけれど、どちらもとても面白い小説。今年にはいってから読んだ本は、どれもこれも当たり(もしくは大当たり)ばかりだ。願わくば仕事の方でも当たりが出ると万々歳なんだけどなぁ…


2003年04月04日(金) それだけは言わないで

家で毎日イラク攻撃関連のTVばかり観ている。さすがに鬱になってくる。
この戦争は情報戦の色が濃く、同じ事柄についてイラクと米国でそれぞれ違うことを言うし、英仏独韓のニュースにもそれぞれの国の思惑が反映されていて、まあ、興味深いと言えば興味深いのだけれど。
でも結局殺し合いの実況中継につきあってるわけだから。あんまり見聞きが過ぎれば、そりゃ鬱にもなるわな。

おかげで新しくオープンしたピッカピカの丸ビルのそばを通っても、なーんか怖くて入る気になれなかった。テロを連想しちゃうのだ(いやマジで)。

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いったん帰宅して、夕方東京でクルミ嬢と会う。放課後活動番外編。

クルミ嬢に朝方の“丸ビルこわい事件”のことを話すと、案の定「だーめじゃないですかあ、そんなこっちゃあ!」ときた。(以下、クルミ嬢→ク、レオナ→レ)

ク:「レオナさん、帝都がやられそうになったときは都庁がロボに変身して助けに飛んでくるって、こないだ教えてあげたじゃないですか!」

レ:「あー、ロボがね…(一瞬絶望感深まる)」

ク:「それに、私はテロも怖いですが、丸の内あたりの金持ちそうなOLを見ると、そっちの方がなんか嫌ですね。…ニクイ。はっきり言ってニクイです。」

レ:「ニクイって、あなた…顔変わってるじゃないの。それきっと魂のサイバラ化だよ。ちょっと読みすぎなんじゃないの?サイバラ本。」

ク:「良いんですよ、読み過ぎだって。私は自分の気持ちを素直に表すことで自らを解放してるんです。」

レ:「解放されててあの顔か…?」

ク:「ほっといてください。」

レ:「だいたいあなたは騙されてると思うよ、サイバラさんに。だってあの人は丸の内あたりのOLなんか足元にも及ばないくらい稼いでいらっしゃるはずだからね。」

ク:「たしかに。自分で自分のこと“大先生”て書いてました…」

レ:「そうだよ、アナタなんかいいお客さんなんだから。」

ク:「わかってます!わかってはいるんですよアタシだって。でも、それだけは、それだけは、言わないでほしいんですぅ〜!」
 
   
…とかなんとか、そんなことを話しながら私たちは丸ビルの地下一階の端をかすめて国際フォーラムまで歩き、さらに有楽町方面へ向かって歩いて行った。目指すはいつもどおり、オヤジ喫茶。この放課後活動は、かなりいい気分転換になった。

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しかしねえ。きのう、ニュースバードの画面を静かに流れていた“米国、次は北朝鮮攻撃を小泉首相に打診。首相は強く牽制”ってテロップ。私あれみたらビビッたよう(思いっきり射程距離内じゃん!)。…こわい。まっこと恐ろしいわ、ネオコン。

「キタさんがこのままじゃイケナイってことはわかってるの。でもヤルカ?って、それは、それだけは言わないでほしいんですぅ〜!」てかー。

 


2003年04月03日(木) ネオ・コンサバティブ

米国のイラク攻撃が始まったころ(直前だったかもしれない)にみた、NHKスペシャル『アメリカとイラク 〜蜜月と敵対の20年〜』と言う番組。
それと昨夜BSプライムタイムでみた『イラクに渡された大量破壊兵器』という番組。

こういう番組をみてわかったことのひとつは、この戦争は「ネオ・コンサバティブ」というキーワードを知らずには読み解けないということだ。

ネオ・コンサバティブとはチェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官らを中心とするタカ派の米高級幹部のこと。もともとは民主党支持の急進左派だったが、レーガン政権登場の折に反ソ連感情から共和党支持になった人々、だそうだ。

この人達の出自や背景、政治的な足跡をみれば、どうしてこの時期にこんな方法で米国がイラクに攻撃を仕掛けるのかが見えてくるのだが…これってキモチ悪いなあ。そして、すごく怖い。

結局、米国内の反対派も含めたイラク攻撃反対派が嫌悪しているのは、このネオ・コンサバティブによる一国主義なのだ。国連やNATOのような平和維持のための機関にさえも平気で背く、強引な、一国主義。

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ネオ・コンについて知りたい方はこちら、もしくはこちらから。

検索エンジンを使ってより詳しい文献を探してみるのも良いと思います。

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しかしねえ、一時はイランをやっつけるためにイラクへの協力を惜しまなかった、デュアルユースの名のもとにボツリヌス菌でも炭素菌でも送ってあげてた国が、相手が手に負えないほど大きくなると(つまり自分らの国力を脅かすようになると)目の色変えて叩くんだから…。

ビンラディンにしろフセインにしろ、一時は米国が養って大きくした怪物でしょうに。その恐ろしさを知っていて攻撃するなら、彼らが一般市民を盾にするくらいのことは分かりきっているはず。叩く側も逃げる側も「強者の論理」じゃあ、バクダッド侵攻、いったいどんな惨事になるのかと、今から憂鬱でたまらない。



2003年04月02日(水) トルシエ大いに語る

U−22、対コスタリカ戦。
わが家のテレビ、音声はもちろん副音声。来日中で急遽解説を引き受けたフィリップ・トルシエの声を聞くためだ。

久しぶりにムッシュのト、トワトワトワァァ、を聞くだけでも十分面楽しかったのだが、なかでも特に面白かったのは、今後の仕事についてきかれたときの彼の答え。
聞く側としては、現在流言されているプレミア“トテナム監督就任”説(つまり戸田和幸との師弟コンビ復活)の真偽を探ろうという腹だったと思うのだが。これにトルシエ答えて曰く「いま本を書き終えたところなんだ。出版してくれるところがあったら紹介して欲しい」。

本を書いたのは、嘘じゃないのかもしれないけどさ。この答えには訊ねた方も、聞いてる私も大爆笑だった。きっとトテナムのことを訊かれたときのために、あらかじめ用意してきた回答なのだろう。

もし、本を書いたというのがまっ赤な嘘だとしても、それはそれで大変面白い。フローラン・ダバディも山本昌邦も好きなことを書いたんだ、次は当然俺の番だよというジョークになる。これがフランス流のエスプリってもんなのか?ムッシュ、なかなかやりますな。

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肝心のU−22の試合、対コスタリカ戦の方はというと。

馬鹿にされるかもしれないけれど、こちらも、私はただただ感心しながら見ていた。だって私が若かった頃、テレビを点けるとやっていたサッカーは、全然こういうんじゃなかったもの。速いし巧いし疲れないし、日本人も達者になったものだなあ、と…
そこへ持ってきてあの阿部のFKですからね。ナニアレ、まるでレコバじゃん!

あとは中山か大久保が1点とれば良かったんだよね。
見苦しかろうが何だろうが、押し込むなり、流し込むなりすればね。
むー、正代表と同じくこちらも最後は決定力不足ってことなの?、むー。(結局、最後は、むー?)




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