Leonna's Anahori Journal
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2002年08月28日(水) 『濱マイク』豪華三本立て

月曜日。録画してあった『濱マイク』と当日オンエア分ををまとめて観る。
第七話、八話、九話の三本立て。これはさすがに見応えがあった。

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#7 岩松了監督「私生活」

 正調邦画の香り。小林薫+小泉今日子で向田ドラマを思い出すのは私だけか?あの嫌〜な夫を演った役者さん、何という人か知らないけれど上手かった。(ああいう男の人、現実にうようよしてそうだ。)逆ギレした片桐はいりに大きな拍手。

#8 石井聡互監督「時よとまれ、君は美しい」

 期待を裏切らぬ派手さは、さすが80000Vの男イシイソーゴ。マイクの着ていたTシャツの“Anarchy in the UK”の文字にミナサン気付きましたか。ロケンロォーール!

#9 中島哲也監督「ミスター・ニッポン〜21世紀の男」

 あー、笑った。さすがに当代きっての名CFディレクター。しっかり掴んで、三分に一回確実に落としてくれます。テーマやストーリーもハッキリクッキリ。全員のキャラが立ってても全然OKだっていうのも凄い。光浦や松方サン、ペー&パー子、勝村政信も良かったけど(個人的に)一等賞は、あのピザ屋の兄ちゃんに決定。
 感心ついでにもうひとつ。途中で入った永谷園お茶漬け海苔のCFと本編の段差がまるで無し。さすがミスターCF中島哲也。恐れ入りました。

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さて、来週の濱マイクはいよいよアレなんですけれども、予告前の短いカットにアサノッチが映ったら、それだけでもう私動転してしまいまして。なぜか(←なぜだよっ!)録画停止ボタンをプッシュ。それで、せっかくの次週予告(CF後にペネロペちゃんが喋るやつ)の録画はパーになってしまいましたとサ・・・・うう、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿、自分の馬鹿ぁーーー!!、ショボン。

(こんなマキシマム・ドキムネ状態で、大丈夫なのか来週)

 


2002年08月25日(日) 新聞もテレビもない生活

 
去年、岸田衿子・今日子姉妹による『ふたりの山小屋だより』という本を読んだときに、姉の衿子さんが新聞もテレビも無しで暮らしていることを知った。それでその衿子さんの文章を読むと「ああ、この人は新聞もテレビもみないからこんなにまともな頭でいられるのだ」という気が強くしたのを覚えている。しかし岸田衿子というひとは童話作家で、住まいも軽井沢の山小屋。環境が違う。そういうストイックな生活は世俗にまみれ放題にまみれた自分には無関係だろうと、そのときは思っていたのだ。

それが気が付いてみれば、いつの間にかわが家も観ない・読まない生活に。もちろんそれくらいのことでとっちらかった頭がまともになんかなる筈もないのだけれど、確かにこの生活、心身の健康にはとても良いようだ。何より時間が出来るし、頭の中も風通しが良くなる。眼にも良い。ちなみに新聞は読まないうちに溜まっていくので場所ふさぎだし、始末に困ってやめてしまった。やめてみて困るようだったらまたとりましょうということだったのだが、今のところ頼む予定はない。

しかしこの生活、駅のスタンドには新聞、コンビニや書店には雑誌、そしてまわりが皆当たり前のようにテレビを観ているからこそ保てているのだろう。そんなふうにすぐそばで泉のように情報が溢れ出ているからこそ、中に私のようなのが居ても困らずにいられる。これが全体的に情報不足、しかし誰もがそんなことにかまっていられない状態(たとえば戦中戦後のように)だったらこんな悠長なことはとても言っていられないだろう。

というわけで私はテレビ新聞無しでも、日本国内で相も変わらず若い女性が失踪したり殺されたりしていることを知っているし、中村俊輔やアレックスの海外移籍も知っている。キオスクのヘッドラインビラ(←勝手に命名)や電車の中吊り広告、父親の家にある新聞、オットが会社から持ち帰る世間話。その中にコレは!というネタがあったときだけインターネットで調べてみる。おかげで、わかりもしない政治や経済のモンダイに心を痛める(私が痛めてきたのは頭脳ではなく心である)こともなくなった。
(余談だが、たまに父の家で新聞を開くと、内容以前にその“手触り”が新鮮で感動する。)

とはいうものの先月、時ならぬ台風の直撃を知らなかったことはあまりに間抜けだったかもしれない。雨だったので傘をさして仕事に行ったら、みんな「直撃」だの「電車が止まったら困る」などと話している。コレ台風の雨なのか?と訊いたら「え、ココを通るの知らないんですか」と呆れられてしまった。しかし勿論それくらいのことでどうにかなるチマリスではない。その後も、溢れる情報のおこぼれにあずかりながら、そして分からぬ事は皆さまに教えて頂きながら、(以前より多少は)のんびりと暮らしている。
  


       


2002年08月21日(水) 絶品!ミルキーランド

朝夕、めっきり涼しくなりました。

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あぁ今日も忙しかった。先週休んだ分も働いて、帰ってきたら洗濯機を回しながらご飯の支度。そのあと、きょうはついさっきまで、このまえ富山でお世話になった人たちに写真の焼き増しを送ったり、お礼状を書いたりしていた。ササッと済ませるつもりが気が付いたらもう零時過ぎ。日付が(22日に)変わっている。

それで、今はイトーちゃんからお土産にもらったお酒を飲んで一息ついているところなのです。宮崎空港で買ってきてくれた「ミルキーランド」という名前のクリームリキュール(生クリームとラム酒をブレンド)なのだが・・・これがもう絶品。ウ・マァ〜イ!!

度数は16度。カルーア・ミルクに良く似ているけれどクリームリキュールというだけあってもっとずっとクリーミーでコクがある。まさに“ラテもの”のお酒。これを炭酸水で軽く割っていただくと、甘くて冷たくてとろんとしていて、最後、喉にうっすらと干しぶどうの香りが残る。さらにそのあとから脳味噌にキュキュッと刺激が来るのが、アルコールの証しだ。・・・・


(一息つきはじめてから30分経過)・・・ところで、私が働いているお店へたまにみえるお客さんの中に、精神科医の香山リカさんにそっくりの女性がいる。そのお客さんも香山さんと同じく眼鏡をかけているのだけれど、もちろんその“眼鏡”が似ているというのではない。眼鏡の奥の目、それから口元、声、全体の印象と、何もかもがソックリなのである。
それで、そんなことが在るわけないと解っていながら、あの人、実は香山さん本人なんじゃないのかという思いがどうしてもぬぐいきれない。今、頭の中でモンタージュ写真を作ってみたけれど、やっぱり何度やってみても出来上がりは“香山リカ”だ。
う〜ん、ちょっと待てよ、もう一回だけやってみるからね。えーと、まず髪型は・・・・(イイカンジで酔っぱらってきてるようです)


「ミルキーランド」、宮崎空港以外で入手する方法はないものか。ちょいとネットで調べてみようかと思っております。
  
  









これが浮き世の憂さを忘れるさせる旨酒「ミルキーランド」。宮崎へ行かれることがあったら、ぜひ。
  
  


2002年08月17日(土) 昔の写真


今回、旅行の最後に母の生家へ立ち寄ったのには訳がある。
亡母の故郷である富山県某町の美術館で開かれている展覧会に、若かりし頃の母の写真がたくさん出展されているので観てみたら、と少しまえ叔父(母の弟)たちから連絡があったのだ。

その展覧会というのは1981年に亡くなったA・J氏という方の油絵と演劇活動をまとめたもので、母は一時期、このA・J氏の主宰する演劇研究会に所属し第一回公演から舞台にあがっていたのだという。

叔父達は、私が母の華やかだった青春時代を知らないと思っていたようだが実はそうではない。家には(すでにセピア色になった)写真が何枚もあるし、幼少時、母に連れられてかつての演劇仲間(東京で俳優になっている)の家を訪ねた記憶もある。A・J氏の演劇活動が単なる素人芝居、農村演劇の枠を超えた素晴らしいものであったことも、それとなく聞かされてはいた。(何しろ彼は千田是也を自宅に招いたり、河原崎長十郎と親しく話し合ったり、杉村春子を囲む座談会まで催したりしていたのだ)

このあたりのことに関しては、A・J氏が戦前、東京の松竹本社に勤務していた(一時期は助監督までつとめられた)ということを今回初めて知り、なんとなく合点がいった。その後、召集され松竹を退社。そして戦後、故郷の富山県へ戻り、地域文化の向上を目的として演劇研究会を結成、母は縁あってその研究会へ参加させてもらっていた、ということらしい。

A・J氏(亡くなられてからは夫人)からは、以前から毎年母宛に素晴らしいお年賀状(迫力ある画や版画!)を頂いていた。今回初めてそのA氏夫人にお会いしてお礼を言うことが出来た。
それから、亡母の五十年前(!)の演劇仲間の皆さんともお会いする事が出来た。母が他界したことを伝えると(殆どの方は母の死を知らず、絶句される人も多かった)貴重な思い出を話して下さる方もあった。感謝の念にたえない。

しかし。正直な気持ちを言うならば、やはりこの世は生者たちの世界なのである。死んだらソレマデ、なのだ。そうして、実際に死ぬ以前から母は昔のことは忘れて、無かったこととして(表面上は)生きていた。そして、娘である私にとっては五十年前の、お姫様役を演じる美しい母の顔よりも、病みに病み果てて棺に収まった、昔の容貌など見る影もない母の顔の方がリアルなのだ。確かに、あれは私の母の顔だった。それで良いのである。
   
    
そんな訳で母の昔の写真にはそれほど執着しなかった私なのだが、今回の展覧会の柱である、最晩年A・J氏が心血を注いだ油絵七十余点。これが、なにしろ素晴らしかったのだ。どれもモティーフは「雲」。それも夕景のものが多い。これらの絵を観た後で実際の雲を眺めると、どうしても“自然が芸術を模倣している”としか思えなくなってしまう。

A・J氏はもともと画家志望だったそうだが、とうとう最晩年になって絵画に没頭することができた。“出来た”というとまるで幸運な人みたいだけれど、それはもちろんA・J氏が自らの力でそういうふうに生きたということに他ならない。あるひとは図録に、その頃のA・J氏を回想して“絵の具を携え自転車に乗り雲を追う姿は、実に涙が出るようなシルエットであった”と書いている。

母は亡くなる数年前、まだ何とか自分の足で歩けた頃、むやみに富山県の実家へ帰りたがるので困ってしまったことがあった。それはただ、鮭が生まれた川へ帰りたがるのと同じ、ほとんど本能的な欲求だったのかもしれないが、その無意識の底にはわずかでも、若かった時代の熱気や光を求める気持ちが潜んでいたのかもしれない。

ほんとうに生きているうちにやることやっておかなかったら駄目だ、死んだらオシマイだわい。そして、記憶や写真も良いけれど、絵でも文章でも、何でもいいから何か作品として遺すことが出来ればその方がベターだな。…と、これが今回私が抱いた正直な感想なのであります。
  
 






日本海沿岸地方の夕暮れ。この日も、自然が芸術を模倣しようとしていました。
   


       


2002年08月16日(金) ただいまー

昨夜遅く夜行列車に乗り、今朝、帰ってきました。

疲れた。ほんなこつ、疲れた。休暇取って出かけてこんなに疲れて帰ってくるなんて、ばっかじゃなかろか?てくらいのもん。

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それでも今回の旅行では、いつになく美味しいものにありつくことが出来たようで、それだけは(ちっちゃな)収穫だったかも。

◎ 旨かったもの(覚書き)

 ・岡山県牛窓の自然食レストランで食べた玄米定食
 ・牛窓の宿で食べた、タコ穴子懐石(特に穴子団子)
 ・京都南禅寺境内『奥丹』の湯豆腐
 ・京都錦小路近くで食べた創作中華料理とカクテル 
 ・京都境町三条イノダコーヒ本店の珈琲
 ・母の生家(富山)で食べた鱈の味噌汁
    
牛窓町『楽土館』の玄米定食は二日続けて食べに行った。ハムも大豆から作った“ビーンズミート”で、完全な菜食。カラダがよろこぶおいしさだった。それから、湯豆腐。酷暑の京都、冷房の効いた座敷で食べる真夏の湯豆腐の、どこかシュールな美味しさ(笑)。
そして京都を発つ日の朝、あこがれのイノダコーヒ本店を初めて訪れたおのぼりさんの私。立派な建物に驚くも、鳥の囀りを聴きながら旨い珈琲に舌鼓。行ってエガッタ〜(また行きた〜い)。

不思議なのは鱈汁で、これは生前母の大好物だったものだが、魚嫌いの私はこれまで一度も食べたことなし。それを食べてみる気になったのも不思議だが、食べてみたらこれがまったく魚臭くなくて美味しかったので、さらに不思議な気持ちになってしまった。

…しかしこう書いてみるとあたかも“良い旅”だったような気がしてくるから不思議だ(笑)。デジカメで撮ってきたものもあるので、そのうち旅の穴でご紹介するかもしれません。
  
   


2002年08月10日(土) 行ってから、観る。

いま午前二時。
七時四十分の新幹線に乗るのにまだ荷造りしている…(溜息)

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これから出かけるところは今村昌平監督の映画『カンゾー先生』のロケ地になった所だそうだ。観てから行くか、行ってから観るか。どうも行く前にビデオを観ている余裕はなさそうだと思っていたら、案の定“行ってから観る”しかなくなってしまった。

とりあえずCDはスティングとタジマタカオのを持った。本は吉田健一とヴァージニア・ウルフ。
最初岡山へ行って倉敷で一泊、そのあと牛窓というところで一泊、その後京都まで戻って一泊。さらにそのあと富山(母の故郷)まで行く。だいたい一週間くらいの短い旅。

それでは、行ってきま〜す。
  




2002年08月05日(月) やっぱり出るよ、アサノ。

ローライズ用の下着は、それだけはくと心許ないが、上からズボンを穿くと、物理的にも精神的にも安定するという事実(イヤ〜ン!)。

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やっぱりなやっぱりな、やっぱり出るらしいですよ『濱マイク』に浅野忠信。第十話にゲスト出演だそうだ。ワーワー!

第十話の監督はユニクロのCFや、トライセラトップス『GROOV WALK』のクリップを手がけた竹内スグル。これは期待が持てそう!(ユニクロのCF、私、大好きです)

今日、髪の毛を15センチ位切ってパーマをかけ直したんだけれど、そのときアシスタントで巻いてくれた女の子がアサノのファンなんだって。それで「濱マイクに出るわヨ」って教えてあげたら目をキラキラさせながら「ほ、ほんとですかぁ」。

担当のWさん(女子)が「アサノ・タダノブのどこがそんなにいいんですか」と訊くので、二人して、ああいうとこ、こういうとこ、っていうよりゼンブ!と教えてあげました。ワーワー!(笑)

なお、未定だった第十一話の監督は噂どおりアレックス・コックスに決まった模様。こちらも要チェック。

(でも今日の青山真治監督『名前のない森』は暗いし、気持ち悪かったなぁ)
  
  


2002年08月04日(日) 藍染め

ローライズパンツ用の下着は超ローライズ、という事実(きゃ〜)。

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ウエストを紐で締めるワイドパンツを買いに行ってさんざん探し回った結果、藍染めのやつを買ってきた。
前も後ろもわざと裁ち目を外に出してはいである。そして、やや、ローライズ。

その店は内装から洋服のデザインまで徹底して日本趣味で、買ったものの包装も袋ではなく風呂敷。持ちやすいように結んだ端を輪にしてくれたが、それを提げるとなんだか酔っぱらって午前様のおとーさんみたい。なので、片手で胸のところに抱えて「お稽古の帰りみたいでしょ」と言ってみたらレジの兄ちゃんに笑われてしまった。

最初のうちは藍が落ちるので絶対に他の物と一緒に洗わないで下さいと言われた。それから雨の日は要注意とも。三回くらい洗うと落ち着くというので、帰る早々バケツでざぶざぶ洗濯をした。忙しくて寝不足、旅行の支度もまったく出来ていないというのに、そのうえ一体、何をしてるんだろうかな、私は。

  


2002年08月01日(木) 真夏の稲妻

横浜へ父を訪ねた帰り道。暮れ方の荒川に、十数隻の屋形船。
薄暮の川面に提灯をともしていっせいに浮かぶ様は、まるで鈴木清順の映画の世界で、まるでこの世のものとは思えない。

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帰宅して夕飯をすませた頃、今度は稲光。続いてドロドロ、ゴロゴロと雷鳴。それから激しい雨の音。
なんだか、きょうは徹底して清順調ですね(笑)

ベランダの窓を開けて紅茶を飲みながら、おちゃんこ座りで稲妻を眺める。空全体がババババッと白く光ると、その瞬間はまるで真昼のような明るさ。

稲妻が二、三分毎に走る。縦に降ってくるのではなくて、空を横に引き裂いて枝分かれしながらガーッと走る。龍だの麒麟だの、伝説上の動物を目の当たりにする気分。

雨が止んだ後も、稲光は夜中過ぎまで続いて、布団に入ってからも時折部屋の壁が白く光っていた。まるで今日でこの世が終わるみたいだ。ドキドキ。

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あとでわかったことだが、荒川の屋形船。あれは江東花火大会をみるためのものだったらしい。ふーん、そうだったのかー。
でも私は花火よりも麒麟の稲妻の方が好きだけどな。自然現象の大きさにはかなわないというか、ドキムネ感のスケールが桁違いという気がする。

さて、カミナリ様のおかげで少しは湿気がとれて、過ごしやすくなるのだろうか?




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