おいらがやめてからしばらくたった、気化蝋売り会社。 大手に救済合併という形で吸収されたが、東証一部上場とは名ばかり。 混乱が改善されている様子はないらしい。 お中元を持ってきてくれた、『不健康な鈴木』さんも、辞めたいと嘆いておりました。 同じ会社でも、救済された組とした組じゃ、やはり扱いは違うのだろうなあ。 大変だ。
昨日も、うちのガス馬車が給油に行ったところ、タンクが空になっていたらしい。 気化蝋売り会社のタンクは、正直言って、ガス馬車用のタンクとは比較にならない。 ローリー何台分もの大きさ。 それが空になってしまうというのだから、管理が悪すぎ。 売り物がなくなって、へらへらーっとしているのも、大手の特徴。 自分の担当外の仕事だから関係ないやーって。 そんな馬鹿な話があるかい。 大手の一番悪い一面がもろに見られてしまいました。 吸収した側もたいしたこたないな。
2003年07月30日(水) |
リッターあたり・・・・・・ |
おいらのチェイサー、ひとめもりでやく150キロ走ります。 それが、ノーマルのクラッチに戻って顕著になりました。 やっぱり、スーパーシングルよりノーマルのほうが燃費はいいんだろうなー。 誰でも乗れる車になっちゃったけど。
本日も、倅は代行業をやろうやろうといっていた。 しかし……。 その代行をやろうとしている事務所の車の台数は五台。 そして、公休やら、有休やらをとったら三台。場合によってはそれ以下も。 となると、とてもではないが、仕事が回しきらない。 というか、代行のために、他に来たガス馬車御者の仕事を断っていたら、客はもっと減ってしまう。 その辺の話を、どうして取締役はしないのだろうか。
おふくろさんも、その話は聞いているはずなのに、なぜストップをかけないのか。 所詮は家族企業だということなんだろうか。
伯父が先々週の金曜日から入院している。 もともと、おいらとゆずの身内の披露宴が行われたときもすでにがんを患っていたことは聞いていた。 そして、肺に腫瘍ができ気道を塞いでしまい、自発呼吸が困難になったということで、急遽入院、人工呼吸器をつけている。 人工呼吸器は、肺まで突っ込んでしまっているので、意識があったなら痛くてたまらないだろうということで、薬で眠らせている。
齢72歳。 おいらの親父の兄貴に当たる人なわけだが、やはり、今までおいらが向き合ってきた死とは違う。 今までは、祖父であり、祖母(この前のバーちゃんは元気です)。 つまり、自分から見て、関係的にワンクッションあった。 しかし、伯父となると、自分の両親と同じ位の年代になる。 つまり、伯父の危篤というと、自分の両親にも繋がるものを感じ得ない。 不思議と、父方の男は、皆70代前半なのだ。
自分の親も、病気以外で死に直面する年齢に、徐々に近づきつつある。 自分が年齢を経れば、親が年を取り、周囲が年をとるのは当たり前。 しかし、それが、やはり受け入れがたい事実としてそこにある。 自分は徐々に年齢を経ていく。 しかし、親は自分の中では年齢を経ていかない。
いつまでたっても、自分の先を行く人たち。 自分が知らないことでも知っている人たち。 自分たちをこの世に送り出すのに、そういう行為をしていないと思いたい人たち(爆)。 それが親。 四六時中一緒にいれば、親の変化にはなかなか気づかない。 ましてや、会っていなければ、なおさら気づかない。 ふっと出会ってみて、初めて気づく。
うちの親父もついにリタイア。 社会人としての第一線を退く。 昔であれば、もう家で悠々自適に暮らしていていい年齢。 しかし、いずれはいつ死んでもおかしくない年齢になる。
でも、変化の結末の死であれば、幸せなのかもしれない。 自分も、周囲の人間も、心の準備ができる。
宮沢賢治ではないが、 「ミナミ(だったかな。方角忘れた)ニシニソウナヒトアレハ、イッテコワカラナクテモイイトイヒ」 と言える様になっておきたいものだ。 自分が死に惑わされてはいけない。 別れはつらいが、後は任せておけ、といえるくらいになっておきたいものだ。
あくまで、理想だが。
本日(というより日付変わった直後)原稿かき。 日付が変わったばかりなんでまだ夜中。 と、突然、ガラス窓に石がぶつかったような音がする。 なんじゃ?とおもってみてみると、なんと、今年初のお客様。 去年は、うちの玄関でおいらの帰りを待っていたのこぎりクワガタ。 今年は、窓に突っ込んできたカブトムシのメス。
ということで、早速歓迎モード。 とはいえ、アトラスオオカブトの飼育に失敗したおいらは、虫かごを殆ど処分していた。 狩りの時に買っといた虫かごをチェイサーからとってきて、そちらの部屋でゆっくりしてもらうことにした。 なんか、お出ししないと、ということで、急遽ナシを切る。
で、おおわらわだった彼女の口に押し当てると、気に入ったらしく、そのまま食べ始める。大食漢の彼女(女の子に大食『漢』は間違い?)は、あっという間にへたを食べ切る。
とりあえず、落ち着いたようなので、リビングに戻ってみると、おいらが切ったナシは、ゆずが全部食ってしまった。
今年初のナシは、実も皮も女の子に食われてしまった(TT)
彼女には、一泊していただいた後、近所の林にお帰りいただく予定。
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朝5:40にめがさめ、近所の林にお帰りいただきました。 しかし、その道中で、車に轢かれたカブトムシの死骸の多いこと。 昨日はなかった奴だから、夜中に轢かれた奴なんでしょう。 ここに来て、カブトムシの一斉羽化が始まってるみたいね。 いよいよ梅雨明けか?
ついに、おいらの出向先、事務がおいら1人になっちゃう。 別に、取締役がいなくとも回るからいいけど、その分おいらの本社移動の手間が発生する。 めんどいんだってば(^^;
本日、取引先の会社のうなぎを購入。 土用の日にも、土曜日にもはやいけど、本日いただきます。 その前にゆずの実家に持っていきます。 喜んでくれるといいなあ。
2003年07月24日(木) |
奥さん・かみさん・おふくろさん |
題名の肩書きをもたれる方々、強いです。 社長の倅を一喝して終わり。
ちくる、という形じゃないんだけど、おいらが用事で社長夫人のところに行くと、ちょうど倅と夫人がいて話している。 おいらが出向している子会社、つまりおいらが元々いたガス馬車御者のこと。
倅は、昨日おいらにまくし立てたことを夫人にまくし立てている。 その内容は、おいらが与えた情報も含め、巨大化しているが。
だが、奥さんは倅を制すると、言葉を並べる。 「でもね、ピンポイントで直しても意味がないのよ」
まさにその通り。おいらが会社の実情を見に来てくれ、っていってるのに。 倅は 「見に来てくれ、じゃなくて、どこがどう問題なのかいってくれないと」 というが、全部問題なんだって。 現状を見てもらって、その上で問題を抽出するならわかる。 でも、おいらなりの人間が抽出したものをみせるんじゃ、意味がないんだよね。 抽出した時点で取捨選択が行われているから。 現状を見せて、問題点を判断するのは、まだおいらの仕事じゃない。 問題点に対する解決策を検討するところは多少入るが、おいらの実働部隊の仕事は、どちらかというと、その解決策をどう使いこなせば、効率のよい結果を出せるか、というところ。
つまり、『大戦略』でもなく、『戦略』でもなく、戦術レベルなのだ。 倅は、しきりに戦略レベルを口にする。でも、根は深い。 大戦略から見直さないと、どうにもならない。何か処置したからといって売上が上がるわけじゃない。まずは体制から検討しなおさないと。 それを、おいらはわかってほしかったのだが、彼は聞く耳持ってなかった。 そして、レベルの低い職場に、1人レベルの高い人間を送り込んでも、はじき出されてしまうのがオチ。であれば、レベルの高い職場に、レベルの低い人間を送り込み、強制的にレベルを引き上げてしまうのが、一番コストパフォーマンスがよいのは明らか。 既存の設備を利用して改革できるなら、それが一番手っ取り早い。
倅はまだ文句を言おうとしてたが、夫人に一喝されて終わり。 うおー。こえー。
ということで、昨日のなんにゅうのようなむちゃくちゃな話はなくなりそう。はーよかった。
社長の倅に昼飯をご馳走になった。 本当は地区会だったのだが、取締役のトラブルで、おいらは急遽参加しないことに。
まあ、ご馳走するからには、それなりの意味がある。 今回は、もう一つの営業所の売上の落ち込みについてだった。 前、おいらが社長に話しをして、管理者会議を持とうとしたものの、あるガス馬車御者の心筋梗塞で、順延になってしまった話。 その後、その営業所の所長も何も言ってこなくなり、そのままにしていた。 (つか、何も言ってこないというより、社長に聞いたら、子会社は子会社同士で話し合ってやってくれ、といわれたらしい) その件もひっくるめての話だった。
端的に言うと、その売上の落ちている営業所のガス馬車御者に、運転代行もやらせて、仕事をさせよう、ということだ。 まちがいじゃないとおもう。 けれど、いきなりそれをスタートさせるのは危険だ。
社長の倅の「いまやんなきゃいつやるんだ」というせりふ。 痛いほどよくわかる。売上が落ちてるのは今なんだから、今やるべきだ。 けれど、下調べがまず必要なんじゃないか? ガス馬車が動いていない間、他の運転代行が動いているのか。動いているならどれくらい?動いているならどのあたりを? その調査をするのがまず先じゃないか? 市場調査、という奴。 聞き込み調査にいってもいい。 そういう労力なら惜しまない。 けど、あてずっぽうだと困る。 ガス馬車があいている。夜はあまり仕事がない。ならば代行。 それはストレートすぎる。 代行以外に、新しいサービスを考える可能性すらある。
そして、何より気になったのが、仕事の方針。 確かに、仕事を進めるには、ばしばしいかねばならない。 けれど、相手は機械ではない。急激な変革を行って、ついてこれない、もしくは納得のいかない人間を切る覚悟で、というのはどうにも納得がいかない。 しかし、仕事ってのは、微妙な人間関係で成り立っている。 周囲を省みず、ただがむしゃらに自分の思う理想像を目指していては、周囲の反感を買うだけだ。 おいらは、旧態依然を好んでいるわけではない。改革も必要だ。 そして、社長の倅がバリバリのやり手なのはわかる。 画期的なことをやろうとしているのもわかる。
けれど、それを役なしに命じるのは無理というもの。 人間は、どんなに奇麗事を言ったって、損得勘定でしか動かない。もちろん、ここでの損得ってのは、金だけじゃなくて。 ある人に好かれたい。ある人に認められたい。ある人を蹴落としてやりたい。ある人をぶっころしてやりたい。 そういう感情があるからこそ、動くもの。 そういう感情がなきゃ、植物になっちゃうでしょ(単語から深読みしないでね)。 雇い主(の倅)なら、確かに、雇ってもらっているから、高々30の若造の話も聞くだろう。また、役があれば、聞くだろう。役の命令は、すなわち会社の命令。聞かなきゃ処分の対象になるから。 けど、役もない、雇い主でもない、となれば、誰が話を聞くだろうか。 おいら1人でできる範囲ならやりますとも。 給与計算のエクセルソフトを作成したり、営業報告書かいてみたり。 けど、今回のは違うでしょ。 音頭をとるなら、それなりの体制を整えないと。 手順を決めないと。
おいらは、その時間がないというなら、そのプロジェクトはやらんほうがいいと思ってる。 そんないい加減じゃ、撤退もいい加減。 勝機かもしれない、だけじゃ、会社は動けない。動かしちゃまずい。動かすなら、裏づけを取らないと。
今回ばかりは、次期社長の、雇い主根性がもろに出てしまった感じ。 たとえひらだとしても、ごり押しが効くのは社長の倅だから、というのを彼が忘れてしまっているような気がしてならない。
明日、おいらの住む地区で、ガス馬車会社のお偉いさんたちが集まる地区会というものが催されるそうな。 今まで聴いている話では、秋保温泉に行ってみたり、うなぎをくってみたり、と、催される分には、いいなあ、と思っていた。 うなぎ食って帰ってくるなんて、なんていい会合だ、って(笑)
ところが、どうも専務の話だと、あすの地区会にはおいらも引っ張り出されるらしい。
いやなんですけど
そんな、ガス馬車会社を経営しているような社長連中は、一癖もふたくせもあるような狸ばかり。 そんな連中となんか、うなぎ食ったってうまくないでしょ。 もっとも、取締役は、うなぎ食いながらずーっとすわっていればいい、といったけど。
うちの社長すら、行きたくない会合に、何でおいらが行かねばならんのよ。 そもそも、今までのチケットを交換するだけなら、飯食わないで帰ってくればいいじゃないのよ。
しかも、ハゲからまた何か言われそう。 変わってくれー(TT)
今月も、20日を迎え、給与計算をしなけりゃなりません。 入りたては、いろいろ問題もありました。 給与計算用のエクセルファイルは作ってはあるものの、不具合てんこ盛り。 大まかな動きも怪しいが、それ以上に特定のケースの想定がまるでなされていなかった。
それらの修整を行い、またバグそのものをとり、何とか、実務の想定しうるおおよその形をカバーできるようにした。
確かに、修整をするとき、手入力をするほうが楽な場合もある。 というか、手入力のほうが楽だ。 けれど、手入力をした場合、確かにその場では事務作業は流れるようになるが、同じ問題が引き続き起きることを意味する。 そして、その問題を何もまとめないまま放置することで、事務員が変わったとき、また同じ過ちを繰り返す。 つまり、過去の失敗が何にも生かされないということになる。 また、その過ちを経験した事のある人でも、見落としによるミスをする可能性がある。 それも避けたかった。
おいらは、正直一生この会社にいるつもりはない。 むしろ、条件が揃えば今すぐにだってやめるつもりだ。 けれど、いなくなったので、はい終わり、という仕事をするつもりはない。 常に、おいらがいた足跡を残していくつもりだ。 そして、その足跡ってのは、今現在思いつく限りでは、PCを使って事務作業をする以上、そこに改良が施され、次に使う人間が使いやすくなっていることだとおもう。 だからこそ、不具合があれば、ファイルそのものを修整する。 時間がかかっても。 次の人が、同じところで迷い、ミスらないように。 (給与計算にエクセルを使わなくなったってそりゃ知りませんが(^^;)
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と、えらそーなことを言いましたが、修整をすればするほど作業時間が短くなっていきます。 入ったばかりのときには、21時くらいまでかかっていた給与計算。 今じゃ、その日の昼ぐらいには出来上がってる。 いいことだよねー。 残業代がつかないなら、さっさと帰るほうがいい。 そのために効率のよい仕事を。
トラブルがあったらどうするんだっていうけど、そのためにハゲをいさせてるんであって、そのハゲにトラブル解決能力がなくとも、そりゃ知りません。 会社の上が考えることです。 そこまでおいらは責任もてません。 人事権ないんだし。権限がある人間が全部責任は負えばよいのです。
っつーことで、今月は先月よりもより早く作業終了。 うふ
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今年初の日暮の声を聞きました。 いいねえ。 やっと梅雨も明けたかな。 セミが鳴き始めたら、梅雨明け、とおいらはかってに思ってます。
本日、クラッチ交換してきました。 最初、買った中古屋の人は、トリプルクラッチだといっていたのに、外してみたら、TRDのスーパーシングルのメタルでした。 話がちゃうやん(−−; でも、スーパーシングルであれだけつなぐの難しいとなると、ダブルやトリプルはかなり難しいのね。 逆に試してみたくなった。
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本日、夕食は焼肉。 まえ、なんにゅうには書きませんでしたが、臨時収入があったんです。 おいらは、元々ボーナスなしの契約。 ほんとは、ボーナスありのもうちょい手取り少ない賃金体系も提示されたんですが、ボーナスとは、賞与と書くとおり、会社の実績が悪くなれば、カットされる可能性もあり。 ということで、ボーナスなしの手取り高めの給与形態を選んだんですな。
で、世間はボーナス。 ボーナスとは言えど、普通の給与形態に入っていることを考えると、ありがたみは半分。ボーナスは『賞与』でありながら予期される収入になってしまったんですね。 悪しき日本の慣習でもあります。横並びのため、がんばった人もそうでない人もほぼ一律。査定などあってなきがごとし。 あるとすれば、上司に媚びた人間が額が多くなるだけ。 ボーナスがあまりの業績の悪さにカットされてしまった人は、ボーナスを元々生活の設計に組み込んでいたりするともー大変。っつか、殆どのひとがそうでしょうが。
うちの会社も、ボーナスありの契約をしていた人は、貰う。事務のみだけど。 しかし、半ば当たり前の感もあり、また、減っていることもあり、一応形だけの礼だけですんでしまう。
ところが、取締役が、帰ろうとしたおいらのところに、封筒を持ってくる。
「本当は出ないんだから、ほかの人には絶対に内緒な。社長から」
帰ってきてからあけると、なんと福沢さんが二人。 おおーーーーーーーーー!! まさに、臨時ボーナス。 あまり、なんにゅうには書いてなかったですが、はっきり言って必死でやってました。 はげたちに揚げ足をとられないように。 でもどり(悪く言えばね。雇用形態は御者と事務ではまった区別だし、別会社と言ってもいいんだけど)だから、それを指摘されないように、ってわけでもないけど、一生懸命やってました。今のおいらが出来る範囲で。
でも、定時で帰れるようにしてたけど。
誰もどーせみてないだろうけど、いいや、と。 これから、おいら自身のために役立つだろうと。 理不尽な営業報告書の作成や、一日前にいきなり言われ、作業項目に盛り込まれた中元配りも、必死になってこなしてました。 ある意味その忙しさを楽しんでいたかもしれない。
自分のため。 本当に、自分のこれからのためにやってた感じでした。
でも、社長や専務は見ててくれたんでしょうな。 今の会社の、というより世間の状態は決してよくない。 その中で、本当に好意のボーナスをくれたんだな、と。
がんばってたのが認められて、よかったっす。
今回の焼肉は、自分に対するご褒美と、そんなおいらを支えてくれていたゆずにたいするご褒美です。
うまかった(^^)/
明日は、チェイサーの凹みを手もみで直してきます。 あと、クラッチ交換。
チェイサーが生まれ変わります。 誰でも乗れる車に(^^;
そして、晩飯は焼肉予定。
本日、最後の中元配り。 昨日、守衛所にて「アポをとってくれ」といわれ、入れなかった会社に、次はアポをとり、お中元を届けてきました。 しかも、その日にいた守衛さんは、その会社の人。
「いいよー、通って(^^」
いいのか(^^;
他にも、いつも家の近所の眼科に通うばーちゃんにも、ご挨拶。 なんと、おいらがガス馬車御者だった頃を覚えていてくれた。 顔を覚えられるといいよねー。 なんか、やっぱりがんばったかいがあったな、という感じ。
ただ、客を乗せて金を持ってくればいい。 そう考えているガス馬車御者は多い。 でも、ガス馬車御者は、サービス業。
やっぱり、ばったり会ったときに、仕事別にして声をかけてもらえる位にならないとねー。 とおいらは思ったりします。
本日も中元配り。 しかし、はげは相変わらず寝てる。 むかつくぞ、この男。社長見に来い(−−;
さて、ガス馬車御者時代に、結構仲良くしてくれた某サ●ポロビールの工場長に挨拶に行こうと思ったら、守衛さんのところで、「アポとってるか」とか、「知り合いか」としつこく聞かれる。 おいらは、この守衛さんのことしってるんだけどね。 他にも、三●電機の馬電にいったときも、しつこくとめられた。 そして、積水●学の工場にいたっては、あぽとって出直してくれ、といわれた。 この守衛さんもみんな顔知ってるのに。 ガス馬車のときは、みんな顔パスで入れてくれたのに、今は入れてくれないねえ。 行灯の力はでかかった。
でも、その反面、旭化成の子会社で、工場長がちょーーーーーーーーむかつく会社の人は、おいらのことを覚えていてくれた。 前は、その会社にちょくちょく来てたみたいなんだけど、そのうち勤務になっちゃったみたいね。 変なところで顔を覚えられるおいら。 しかし、やはり善人に見えるからかしら。アポなくても、敷地内に入れるのは、おいらの人徳のおかげ?←いや、会社名出してるからだろ(−−;
初体験。 お中元配りでお客さんのところを延々まわります。 ガス馬車御者の時にはいったときもあるんだけど、事務兼営業兼経理になってからは初挑戦。
いろいろありましたなー。 工場長に凄い目でにらまれたり、町長のところでお酒を一瓶もらったり、挨拶に行ったら社長の奥さんに泣かれたり。 一体何があったんでしょってくらいいろいろあります。
明日も日次処理をおえたらお中元配り。 明日は一体何があるかな(^^;
本日、お客さんからガス馬車の依頼の電話を受け取る。 お客さんの名前は「タジリ」様。
おいら「お客様のお名前は?」 お客様「タジリです。田んぼの田にヒップ」
よーくわかりました(^^; しかし、漢字まで面白おかしく言ってくれるお客さんは初めて(^^; 又乗ってくださいねー。田尻様!
ほんとにうちの会社は喧嘩が多くなった。 仕事が少なくなると、これほどまで険悪になるだろうか。 まるで、えさが少ないために気がたっている猛獣とかわりゃしないじゃないか。
それを見てみぬ振りをする禿。 知らん振りを決め込む取締役。 他人事のようにふるまう本社。
社会人ってこんなもの? 自分のいる職場の雰囲気をこれだけ悪くする?
なんか、幻滅著しい。
やっぱ人間は嫌いだ。
本日、伊●崎のベイシアにいく。 そこで、車をとめたのだが、となりに車を止めていたくそばばあ大姉様が、自分の車にかってきた荷物を載せた後、買い物カートをそのままにして立ち去ろうとしていた。 となりには愛車のチェイサーが止めてあるおいら。
どくそばばあ大姉様の行動を睨みつけて観察していると、おいらの『レーザー顔負け』の視線が気になったのか、道の隅のほうにカートを寄せたが戻しに行こうとはしなかった。
ああいう人に限って、自分の車にカートがぶつかると、滅茶苦茶怒るんだよね。 なんで、ああいう勝手な人間ばっかりなんだろうか。 人のことを考えないで行動する輩は、ほかの人に何かされて文句を言う資格はこれっぽっちもないとおもうんだけど、なぜか自己主張するんだよね。 しかも、テレビカメラがあったりすると、キレてみたり、「急ぐんで」といって走り去ってみたり。 やばいと思うなら最初からやるなよ(−−メ やることやってないで文句をいうのは卑怯だよね。
世の中あんな奴らばっかり(−−; わるいけど、おいらは正直一回もカートを道路に置きっぱなしにしたりしたことないよ。 そんな自分が嫌だから。
------------------------- 本日カレー。 で、玉ねぎを切っているとき、包丁の先っぽのほうで切ると、切っている玉ねぎやニンジンが飛び散らないことを発見。 ゆずに聞くと常識だとか。むう(−−;
最近、軽々しい発言をする人間が多い。
昨日も、本当はなんにゅうに追記しようかと思ったんだけど、フリーズしたんで止めたんだけど(^^;
あの、鴻池何某。 あの男の「市中引き回しの上打ち首にすればいい」という発言。 あの発言が投げかける波紋に、発言する当の本人は気づいているのか。 当人は、「言葉のあや。例え話です」としたうえで、「子供が罪にならなければ、親が顔を見せて社会におわびをすることぐらいはしないと。出てこなかったら、引きずり出すと僕は言っている」といっているようだが……。
まず、凶悪事件の場合、といってるけど、何がどこまで凶悪事件なのか。 また、凶悪事件じゃなきゃ、親はお詫びしなくてもいいのか。 果ては、殺人は悪いことだが、万引きやかつあげは悪くないのか、という話にまで行きかねない。 とにかく、抽象的で、突っ込みどころ満載の発言だった。 発言者は、「何を挙げ足取りを」と思うかもしれないけど、聞き手によっては、揚げ足とりではなくて、現実にその問題に直面しているのかもしれない。 たとえ話は大いに結構だが、聞き手によって大きく受け取り方が異なるかもしれぬ内容の場合、発言する前に検討する必要はあるのではないのか? かといって、あまりに検討されて、『言語明瞭意味不明瞭』ではこまっちゃうんだけど。
また、長崎の教頭が、授業中に忘れ物の多かった生徒たちに「忘れ物が多いと、裸にして捨てたり、突き落としたりするぞ」と発言した事件。 これも、池田小の事件のあと、訓練と称して、教師が事件に見立てて行動し、児童に大きな心の傷を負わせたという事件と似ている。
確かに、仲間うちで、時事の事件をひねって笑いをとろうとすることは往々にしてあると思う。おいらも、実際に周囲を笑わせたことはある。 しかし、TPOをわきまえないと、それは聞く人間を傷つけかねない。
例えば、ガス馬車御者相手にしゃべるときに、決して学歴の話をしてはいけない。 彼らは気にしていないだろうが、場合によっては気にする場合もある。 取締役は、自分の学生時期の話をさかんに出すことで、ガス馬車御者連中の反感を買っているのだが、おそらく当人は気づいていない。
最近の子供は想像力が欠如したといわれる。 しかし、おいらから見ていると、大人のほうが思慮の欠けた行動が多い。 そんな気がする。 価値観が多様になったんだから、感じ方も多様になるのは当たり前。 結婚式をしないのがおかしいだとかいうのも、昔の考え方。しかし、式をしないことで無能呼ばわりする大人はまだ多い。 つまりは、自分たちが今までやってきたことではないことを目の当たりにすると、受け入れられない、ということなんだろう。その行為の本質を考えることをせず。 おいらに言わせれば、盛大に結婚式をあげて半年で離婚するカップルのほうが、よほどダメだと思うが(それなりに理由があるのだろうが、もうちょっと結婚前に検討したほうが良かったのでは、という感覚は拭えない)。
これからも、大人の思慮のかけた行動は驚くほどに出てくるだろう。 無知も他人を傷つけるが、想像力の欠如も恐ろしく他人を傷つける。 それをおいらたちはもう一度考え直すべきだと。
ほら、今日もテレビであの政治家が暴言を……。 ほら、さっきもそこのおっさんが暴言を……。 ほら、今もそこで近所のおばちゃんが暴言を……。
本当は、明日は、中学生時代の友人と狩りを計画しておりました。 計画では、この前ゆずといった那須にいいポイントらしきところがあったので(ああいう、小さな池の場合、地図に出てくるクラスの大きな池ではゲンゴロウとかはいないでしょう)そこにいこうと思っていたんですが、急遽その友人が、土曜日の営業全社会議に出席しなければいけないということになったので、中止。 ああ、明日は、家で洗濯と掃除しよーっと。 後は寝るか。 夜は、ちょっと漫画喫茶に出張しようかと考えております。 近所の漫画喫茶は、夜中の十二時から午前六時まで、六時間300円だそうなので。
しかたない。(^^;
最近、子供による子供に対する犯罪が、増えてきている。 今回の長崎の事件についてもそう。
そういう事件を見ると、必ず出てくるのが、親と教育について。 けど、おいらは、この事件に関しては、まったく違う見方をしている。 結論から言っちゃうと、確かに親の教育が足りなかったのかな、という風にはなる。でも、それ以上にこの事件は根が深いのではないか、と……。
今回の事件のキーワードは、『好奇心』。
そんな気がする。 好奇心と無知とが引き起こした事件。
幼児をビルから突き落としたという12歳の残虐性。 『命の大切さを教えられなかった』『親の教育が悪い』。 つまり、親さえよければ、この事件はおきなかった……。 そう結論付けている人が多い気がする。
でも、この残虐性。 これは、男なら、いや、人間なら誰しもがもっているものだとおいらは思っている。
・カマキリを喧嘩させて共食いさせてみた ・ありの巣があったので、ありを片っ端から踏み潰してみた ・アリジゴクの巣に、ありを投げ込んでみた。 ・生きた蝶をくもの巣に引っ掛けてみた
多分、どれか一つはやってみたはず。 もう少し昔だと、カエルのお尻にストローを刺して空気を吹き込んでみたり(風船のように破裂します)。 パチンコで鳥を射落としてみたり。
これらは、罪の意識を持って行われることはない。 どちらかというと、好奇心。 カマキリを共食いさせてみたらどうなるか。アリジゴクにありを投げ入れたらどうなるか。生きた蝶を……。 通常は、図鑑やら、テレビやらでそれを見て、どうなるかを知ることになる。 けれど、テレビではよくわからない。 やってみよう、となる。
多分、親からある程度の話しを聞いたり見たりしていれば、好奇心の結果を見て、「こういうことをすると、こういう風になってしまうんだ」ということを身をもって体感し、以後自粛しようとする。多分、生まれて初めての後悔じゃないかと思う。 ところが、何らかの原因で、見たり聞いたりした経験が極端に乏しかったりすると、その好奇心の結果を見ても、何も感じない。むしろ、面白く感じてしまうのではないか。 そして、それが継続的に行われるようになる。
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昔はこういう事件が少なかったのだという。 単に、親の教育が悪いという可能性もある。 けれど、おいらは、社会そのものに、親の教育の教材となるべき現象がなくなってきているがゆえ、子供に教育しづらくなっているのではないか、と思う。
たとえば、昔は、農家が多かった。 農家がどうやって食べ物を調達するか、といえば、自給自足だ。 しかし、自給自足は何も食べ物ばかりではない。 当然、動物性蛋白もとらねばならぬ。となれば、自分のうちで飼っている牛や豚、鶏から摂取する必要が出てくる。 つまり、親が子の目の前で牛や豚、鶏を殺すのだ。 逆に、親はあえて子供の手でその作業をやらせることで、人間は常に他者を食らわずには生きていけず、また、常に殺し続ける存在である、ということを子供に学ばせる。しかし、それは快楽や自己の利益のみで行われてはならず、また、やむを得ず行われる場合でも、死に行く動物に対して感謝しなければならない、ということも同時に教える。 アイヌの熊祭り(だったかな)はまさにそれ。 村はずれの屠殺場で、恐らく同じことが繰り返されただろう。 そうやって、人間は命の大切さを後世に伝えてきた。
しかし、今の時代になって、大量に消費をするため、食材が大量に生産されるようになった。 この、大量に生産、ということだが、これは、大量に殺戮が行われている事を意味する。 つまり、豚肉が体力に作られ、牛肉が大量に作られるということは、その分豚や牛が殺されている、ということだ。 しかし、今の現状では、生き物が実際に殺され、目の前で食材用の肉に変わっていくところを見ることはできない(この話って捕鯨にもつながるんだと思うんだよなあ……) それが、人間の食=殺す という構図の上に成り立っていることの認識をなくさせている一つの原因だと思う。
七、八年ほど前だろうか。教育で育てて成長させた子豚を、最後に給食のおかずにして食べよう、という授業をしようとした先生がいた。そのときには、親の猛反対で実行に移せなかったが、おいらは、その親の対応をいかがなものか、と思った。 それは、欧米諸国の捕鯨禁止の理由として、鼻白んできいていた「鯨は知能が高いのに殺すのはかわいそうだ」という低俗な意見とまったく大差がないからだ。 その先生は、上記の「人が生きていくためには、他者の犠牲がなければならない」という本質を教えようとした。しかし、それが愚かな親(愚か、というより、親ですらそういう教育を受けたことがないから、仕方ないといえば仕方ない)はその教育を阻止した。つまり、子供がそれを学べる機会を奪ってしまった。
時代が変わり、子供が実際に親が命を扱う場面を見る機会が減ってしまった。 これこそが、今回の事件の大元の理由ではないか、と思えて仕方ない。
恐らく、似たような、はたから見れば『常軌を逸した』といえるような事件は、まだまだ起きるだろう。 子供は、好奇心を満たすと、一体どうなるのか、という教訓をまったく得る手段を持っていないから。
チェイサーの修理。 てもみ、という方法があるのを知って、それをやってみようと思っていた。 しかし、カーケアコンビニのHPを見て、おいらの車を修理するのは、やはり3万〜4万かかることがわかった……。 ネッ●の人が言ってた、3・4000円ではとてもできない。 とりあえず、おいらが買った中古屋に言ってみるかな。で、傷を見てもらって判断するかな。
くそー。 きれいに乗っているはずなのに。 なんで、わけのわからん傷をつくらにゃいかんのだ。 むきー(−−メ
取締役の父親が亡くなって、初めて取締役が出社してくる。 葬式の後、いろいろ手続きをしていたのだろ言う。 年金受け取り用口座の更新。資産凍結の解除。死者の身分証明書の確認、などなど……。
取締役は、笑顔で言う。 「ったく、こっちも死ぬなんてわかってないから、何も準備してなかったよ」 「印鑑証明つくろうにも、身分証明書がないから、作れないんだよね。しかも、免許も一切持ってない人だったから」 そうやってしゃべる様は、いつもの『大学入試の勉強に明け暮れ、人間関係の構築がへたくそな取締役』そのものだった。 でも、どこか、空元気のようなものが感じられる。 そりゃ、体調悪くなったと思ったら、二、三日で逝ってしまうような、急な出来事だった。 心の準備をしているというほうがうそだ。 けれど、それを出すまいとして、必死に振舞っているのがなんとなく見て取れた。
本人には聞いていないからどうだかはわからないが、迫りくる悲しみを、いつもの早口の言葉をぶつけ、コースを変えているように思えて仕方ない。
そんな中、仕事で本社にかける用事があったので、電話をかけた。 でも、そこで一発ギャグをかまそうと、二メートル先の無線番のばあちゃんの電話にかけてみた。 取締役は、狂ったように笑ってくれた。 それだけでちょっと役に立てたかな、とおもう。 言い訳は『手が覚えていたから』。 まあ、当たり障りのないいいわけですな。 でも、そんなちょっとしたことで、笑いが戻ってくれば、それに越したことはない。
現在8.5円の一発芸でした(^^;
昨日の動物王国のHPはこちら。
http://www.nasukogen.co.jp/oukoku/
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ああ、今日から仕事じゃ。 また、一週間が始まる……。 今はまだ、親会社の勤怠表を作ったり、立て直す部分があるからいい。 けど、毎日同じ周期でイベントをこなしていくとなると、飽きが来るのも時間の問題。 なんとかその前に自分で飯食う方法を考えねば。
っつかデビューじゃ(爆)
ムツゴロウさんの後継者(自称)のおいら(^^; (といっても、本当に彼の功績を知っている人なら、おいらごときがそれを名乗ることに憤懣やるかたないでしょうが、その辺はしゃれということで(^^;)
いつかは動物王国に行かなければならないと思っていたおいらだったが、まさか動物王国のほうからおいらの側にやってくるとは。 ということで、行ってきました。 那須動物王国。 那須インターから車で二十分強。
ただのワンにゃんテーマパークと思うなかれ。 とにかく、犬の手入れが行き届いているのだ。 なぜてみて、毛がふさふさしていなかった犬がいない。 ピレネー、セントバーナード、シベリアンハスキー、柴、ゴールデンレトリーバー……。 どれもがきちっと手入れが行き届いていて、一匹たりとも汚らしい犬がいないのは流石だった。
イベントなどの説明は『ゆずの本音』に任せるとして……。
王国内の全体の印象派といえば、犬や猫、馬という存在を非常に大切にしている印象を受けた。 決して、営利に走りすぎるあまり、犬や猫の体調を無視したりということがない。 犬や猫の自主性を非常に尊重しているイメージを受ける。 もっとも、犬や猫などの動物が嫌いな人間は、まずこないだろうから、敷地内を犬が紐なしで走りまわっても、何の問題もない。
そして、なにより、犬や猫、馬との関係に対等な大人の関係を求めているところが凄く好感が持てた。 ここでいう、大人の関係とは、干渉を持とうという相手に対して、その関係の構築は、本人の責任において行なわれる、ということ。 つまり、嫌がる犬を無理やりなぜて、かまれるのは本人が悪い、ということだ。 もちろん、犬の表情が分からない場合は、飼育員というか、王国警備隊(・・?の人たちがちゃんと教えていた。 もちろん、犬自体も、嫌がることはそうない。 そういう風に仕込まれているから。 ただ、それでも気が乗らない場合がある。それは動物だから仕方ない。 嫌がる犬を無理やり綱で固定して、撫でさせるようなことはしない。 それが、犬の気持ちを尊重していて、すごくよかった。
人間相手にすら、相手の気持ちを考えず粗相をする者がいる。 群馬県某町の町長は、市議の頃、秘書(だとおもったな)の乳をもんだという。 元の総理大臣は、女全体を一気に敵にまわす発言をした。 太田何某もそうだ。 相手のことを考えず、軽率のそしりを免れない行為をする人間ども。
そういう風に育たないためにも、小さいうちから動物に接するのはいいことだとおもった。間違った接し方ではなくて、正しい関係の構築。 それが、主催者の意図しているものかはわからないが、感じられたのが凄く好感が持てた。 もう一度いってもいいかな。
ちなみに、犬に関わる勝負をゆずとしたが、おいらの勝ち。 王国非売品のバスタオルをゲット(^^ 犬語は分かるけど、馬語、うさぎ語はわかりません(−−;
癒しを求めているこのごろ。 久しぶりに、ゆずと北関東最大のホームセンターに行ってきました。 そこで、以前から目をつけていた箱庭がたのししおどしをゆずに見せる。
なんとなく、欲しいな、とは思っていた。 ただ、勝手に買うのも気が引けるし、何より、家に置く場所を設けなきゃいけないことが問題だった。 殺伐とするホームセンター内で、唯一癒される場所だった。 マイナスイオンが出てるからかもしれません←こじつけ
ゆずに見せたら即OK. 何種類かあったが、二人の意見は一致してました。 ということで購入。 3950円。 良い買い物です。 ま、そんなに頻繁に動かすことはないだろうけど。
ちなみに、よそのホームセンターだと、4950円でした。
結構、ミニ庭園シリーズ、はまりそう。 いくつか買っちゃ、まずいんだろうな(^^;
ちなみに、下の竹マットは別売り。 庭園にイメージをあわせて、買ってみました。 センスいいっしょ(^^ 写真館にアップ中。
といって、しゃべりだす、いい年ぶっこいた親父。 そういう内容って、必ず、自分の欠点をあげつらう内容。
かっとなってすぐに大声でわめき散らす癖がある。 かっとなってすぐ手が出ちゃう。 前後見境なくなっちゃう。
そう言って笑うおやじ。 爺もばばあもそうなんだけどさ。
自分で分かってるなら直せよ
友達でそうなら仕方ない。 けどさ、ビジネスパートナーは選べないんさ。 そいつの性質で迷惑はこうむりたくない。(−−;
最近、常にそう思うようになってしまった。
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またホームセンターに行ってみました。 カブトムシの成虫のオスが単体で510円。 値下げしてました。 となりのヘラクレスオオカブトは、ペアで35000円。 たっけー
本日、仕事が終わった後、なくなった取締役の親御さんの通夜に、スタッフとしていってきました。 交通整理をやったんですが、初めて、光の棒を持ちました。 そう、工事中に誘導員が持っている光の棒。 実は、あれが持ってみたくて仕方なかった。 他にも、光る棒はあるけどさ。スターウォーズのライトセーバーの売り物とかね。 けど、いい年ぶっこいてそういうものはもてません。 かといって、その棒を持ってみるために、工事の誘導のバイトをやる気もない。
いい機会でした。 あの棒で来る車をさばくのって結構気持ちいいねー。 残念だったのは、今は日が長いので、棒を光らせられなかったことだけど。 光っても意味ないしね。明るい時に光らせるのは無意味だし。
でも、いい経験でしたな。
そのあと、飲みにいってめがねなくしました(^^; あったけどね。
うちではまず無理
いえ、亭主関白のことです。 さだまさしの歌ですな。 今日、歌の大辞テンでやってました。
「俺より先に、死んではいけない」
先に行けばいくほど、隠し切れない愛が溢れてくる歌詞。 いいなあ。 ただ、声域が違うので歌えませんが(−−;
最近の話で、高校生がナイフをガス馬車御者に突きつけ、一万いくらを奪ったという事件がおきたというのは記憶に新しい。 実は、これはいくつかの大きな問題を孕んでいる。 簡単にあげるだけでも、これだけある。
●ガス馬車御者のセキュリティ問題 ●子供の教育問題 ●大人の意識の問題
ガス馬車御者のセキュリティ問題については、ずっと前のかこにゅうでも書いたような記憶があります。 要約して書くと、ガス馬車御者は、性善説に立っている、ということ。 もうちょっといえば、出たメーター額は、どんなお客さんでも確実に払ってくれる、というもの。 そこには、乗り逃げのお客さんだとかの発生については考えていない。 (かんがえていないというよりは、手のうちようがないのだが) そして、何より、ガス馬車御者強盗について、何の防衛線も張っていない。 お客さんに背を向けているガス馬車御者は、完全に丸腰だ。 運転席に鉄板が入れてあるわけでもなく、枕カバーに防弾ガラスが張ってあるわけでもない。 つまり、悪意を持ったお客さん(そんな奴客じゃねーが)が乗ってきたら、ガス馬車御者はおとなしく殺されるしかないわけだ。
子供の教育問題についてだが、これも問題は大きい。 この高校生は、親に素行を注意され、家出中だったという。 腰抜けっていや腰抜けだが(^^; 生活費に困り、強盗を働いたというのだが、素行を注意されるくらいだから、世にいう不良なんだろう。 けれど、この不良というのは、酸いも甘いも知ったうえで、物事を斜に見てるってんじゃなくて、単に世間知らずのわがまま坊ちゃんなだけなんだよね。 だから、一人じゃ何も出来ない。 多分、今回の強盗も、気分的には、学校内での弱い同級生のかつあげ、レベルだったのだろう。 このガキのことを言えば、要はあまちゃん、のわけだ。
で、親の問題。 これが、また大きな問題なんだけど、この子供の親。 素行を注意している、という意味では、危機感はあるのだろう。 けれど、多分、今行なわれているレベルでの教育は、
かつあげ・万引きをする → 学校に連絡が行く → 親に連絡が行く → 親が学校や店に謝りに行く
で終わっているんじゃないだろうか。 つまり、子供がそれを認識するのは、悪いことをすると代わりに親が謝ってくれる、となる。 極論かもしれんが、そういうがきがでかくなると、いい年ぶっこいて、借金だらけで親に金を返してもらわなければやっていけないような大人に育ってしまうわけだ。 実際、うちの喘息フィリピーナの息子の話を聞いてると、まさにそのパターン。 はげは、喘息フィリピーナのことを、「親としては失格だ」と言っているようだが、おいらからみりゃ、まだましって程度。 今の会社の仕切り具合を見てりゃ、大体想像がつく。 確かに、仕事と家とで重みが違うといわれればそうだが、二重人格でもない限り、仕事がだらしない人間が、家で厳格な親であることはありえない。
んで、そういう親が、さらに政治やなんかやってるもんだから、差別爆発、暴言炸裂。 「記憶にございません」っつーなら、お前の全ての記憶なくしてやろうか!?って感じですね。
都立大助教授の宮台真司さんが言ってました。 「最近の若者は想像力が欠如してる」 今回の強盗の件じゃなくて『スーパーフリー』という強姦集団相手に言ったと思ったんですが(^^; まさにその通りだと思います。 しかし、そういう風に育てたのは、親です。 その辺、親の年代の人たちはどう思っているんでしょうか。 ま、おいらの職場の連中を見ている限りではにたりよったりですが。
あー、子育ての自信ねー(−−;
さて、こんな奴らばっかりの日本ですが、この先どうなってしまうのでしょうか。
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