2002年10月29日(火) |
「千と千尋の神隠し」 |
千尋は魔法使いのおばあさんから「千尋」という名前を奪われ 「千」と呼ばれる事になります。
自分の名前を忘れてしまうと元の世界に返れなくなるのが この世界のルールです。
千尋はクラスメートからもらったメッセージカードのおかげで 自分の名前を忘れないですむのです。
この物語では「名前」がひとつのキーワードになっています。
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出会い系サイトで知り合った彼女とはハンドル名で呼び合っています。 彼女は自分の本当の名前を思い出して家に帰らなければなりません。
僕に魔法が使えて彼女の本当の名前を奪ってしまえたらと思うのでした。
「だらしがない」と彼女は自分自身のことを思っているようです。 でも僕はそのようには感じていません。 気づいていないだけなのかもしれませんが・・・。
逆に彼女は僕が「だらしがない」ことには気づいていないようです。 いや、気づいていないふりをしてくれているのかも・・・。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいます。 その時間はなかなか得る事のできない時間でもあります。
だから大切な時間でもあります。
心を亡くすと書いて忙しいと書きますが、 一通のメールで心を亡くさずにすむこともあります。
ありがたいことです。
「資生堂おしゃれエゴグラム」をやってみました。 http://www.shiseido.co.jp/egogram/html/index.htm
以下、僕の判定結果です。
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「ちょっと控えめ」
このタイプの人は、控えめで常に相手を思いやれる優しさを持っています。 ただ、少し気が弱く消極的なため、つい相手に合わせてしまうことも。 公私ともども「癒し」効果で人に安らぎを与えられるあなたですから、 たまには自分の癒しも積極的に。 リップの色や髪型を変えるといった、ちょっとした変化も気分転換によさそうです。
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誰よりも癒しを求めてるのは僕のような気がするんだけどなぁ・・・。 もうちょっとわがままになれってことかな。
好きな人のわがままは、許せたりします。 でも、わがままばかり言っていると腹立たしい事もあります。 でもでも、好きなうちはしょうがないかなって思ったりします。
まあ、わがままを聞いてくれる人は数限られているので、 大切にしたいものです。
先に辻仁成氏のbluを読んだせいもあったのか、 最初は物語に物足りなさを感じました。
Rossoではあおいの日常がたんたんと書かれていきます。 仕事に行き、本を読み、彼と過ごして、お風呂にひたって。
でもその日常の中で少しずつ気持ちが揺れ動いていく 様子が緊張感を高めていきます。
気づくとRossoの世界に引き込まれていました。
感想文は苦手なので、印象に残った台詞を紹介します。
「約束は未来だわ。思い出は過去。思い出と約束では随分と意味が違ってくるわね」 「未来はいつだって先がみえないからいらいらするもの。でも焦ってはだめ、未来は見えないけど過去とは違って必ずやってくるから」
先生が順正に言った台詞です。
そう未来は必ずやってきます。 でもどんな未来がやってくるのでしょう? 約束は未来でも未来は約束されていません。
やっぱり焦りもするし不安にもなるよなって思いながら読んでました。
メル友募集サイトで知り合った彼女には僕以外にもメル友さんがいるわけです。 それはあたりまえのことだし、その事を非難する気などもうとうないのです。
でもあらためてその事を知ると自分の中に嫉妬心があることを発見します。
自分勝手だよね。
ある物語があります。
その話の続きは知っているはずなのですが、 続きがとても気になります。
もしかして僕の知らない話の続きもあるのかもしれません。 そう思うとさらに気になるのでした。
価値観が違うことは致命的ではないと思います。
結局は
相手を”好き”と感じられるか 相手の”好き”を感じられるか
が問題のような気がします。
と独身の男が書いても説得力はないね。
とも思います。
書きたい事があれば書く。
ってことでよいのではないでしょうか。
知識として欲しいものは・・・「語彙」。 貧弱なんですよね。
いつもポッケの中に準備しておきたいものは・・・「コイン」。 もちろん福沢さんとも仲良くしたいです。
そして一番欲しいものは彼女の・・・「恋」。 せつないものです。
お粗末でした。
当文書は当方の意思を伝達するためのプロトコルを定義するものであります。 特に記述の無い限りは標準仕様の伝達方式を採用します。 電文は可変長で定義されています。 伝達の回数は不定期であるため、同期をとるために、 受信側は定期的に電文を監視する必要があります。 なおこの仕様書は平成14年10月11日初版とし、 以後は双方の協議の上改版するものとします。
などという文章のやりとりでは、会うどころか 三日とメールのやり取りは続かなかったことでしょう。
という仮定のお話でした。
ではどの道を選べばいいのでしょうか?
今まではどうだったか思い起こしてみると、
とりあえず自分だけのことであれば、 やりたい事は何かと考えながら、 でも出来る事と出来ない事もあり、 求められる場所と必要とされない場所もあったりして、
そんななかで今があります。
何があってもこの道を進むという強い意志はないのですが、 でも自分の責任でその道を選んだという意識はあるのです。 たとえ後悔することはあってもそれを誰かのせいにすることはありません。
でもただひとつ「一緒に道を歩いてください」と言う一言を言い出す ことだけができずにいます。 一緒に歩きたいと強く思うほど、その一言は遠いものになります。
相手が自分を求めているかわからない。 自分が相手の期待に応えつづけられるかわからない。 失望されるのがこわいし、失望させるのもこわい。
自分にとって価値が高ければ高いほどその気持ちは高まります。
相手は誰でもいいわけではありません。 かけがえがないと思うから慎重になります。
相手に責任を求めませんが、自分の責任は考えます。 責任を考えると単純に好きという気持ちだけでは、 その一言を言うにも勇気が必要です。
こんな事だから未だに独りなのでしょう。
独りが嫌なくせして、独りでいたいと思うのです。 ずるいよね。
僕は道を歩いています。
元気のいいときは走る事もあります。 疲れたら休みます。
でも必ず前に進まないといけません。 後戻りはできないのがルールです。
目的地はわかりません。 目的地があるのかもわかりません。
でも歩きます。 歩くのをやめたくなる事もありますが、今は歩きつづけます。
道はひとつではありません。 曲がり角がたくさんあります。 どの道を選ぶかは自由です。
でも道は同じではありません。
でこぼこな道。 平らな道。 上り坂。 下り坂。
どの道を選んでもかまいません。 ただし必ずどれかに決めないといけません。
ではどの道を選べばいいのでしょうか?
そういえば最初のころは、かなりちぐはぐなメールのやりとりだったような気がします。
スポーツの話題 音楽の話題 テレビの話題
なかなか共通の話題がみつからない。 なのに彼女は飽きずにそんなメールに付き合ってくれました。 実は僕の中では謎だったりしたのです。
彼女は僕のたわいもない文章を好きだといってくれます。 照れくさく恥ずかしいのですが嬉しくも思うのでした。
何かを物議をかもしだしている出会い系ですが、 上手に用法すればそれなりに効果を発揮します。
何気ない日常の話をして暇つぶしになります。 ちょっとした悩み事を打ち明けて気を紛らわせます。 もちょっと深刻な話をしたら助言をもらえるかも。
そうこうしているうちに実際に会って楽しいひと時が過ごすこともあります。 何度かあっているうちに恋人となることもあるでしょう。 幸せな時間を共有できたりもします。
なにかと効果的な出会い系ですが、副作用もあります。
たとえば出会ってしまった人の存在が大切なものなり過ぎたりします。 昨日は何してた?今日はどんな一日だった?今は何してるの? ホントは毎日話したいのを我慢しないといけないこともあります。 メールの返事がないと不安になることも。
というわけで出会い系の使いすぎには注意しましょう。
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