いいこと見聞録

2004年12月30日(木) インド洋津波とチリ地震津波

悲惨なことの続く2004年に追い討ちをかけるように、スマトラ沖地震でインド洋に津波が押し寄せた。その被害は、筆舌に尽くしがたい。津波の恐さを目の当たりに見せ付けられた人がほとんどだと思う。
このニュースを見た瞬間に、40数年前のチリ地震津波の光景がダブってきた。青森県八戸市に住んでいた、当時小学生の私は、午前5時ごろ、ゴーという激しい水音で目がさめた。家は太平洋から入り込んだ河口にあったのだが、目の前の川がなんと、海に向かって激しく逆流していた。ほとんど川底が見えるまで呆然と見ていた私は、津波が来るから屋根に上れという父の声で事に重大さに気づいた。多くの人は、玄関に戸を打ちつけ波からの被害を避けようと必死で立ち働いていた。
もう記憶はあいまいになってしまったが、30分くらいだったかわからないが、大きな波が押し寄せ、河口の道路伝いにやってきて、あっという間に、家の玄関を破り、裏口まで流れていった。家の中のものは流され、子供の身長くらいの高さまで、水あとを残していった。
河口の道路には、イカ釣り舟がきれいに並べられたように打ち上げられ、子供心にはなんだか不思議な見世物のように映ったのを覚えている。
書き出すと何10枚もかかりそうなのでやめるが、あれから40数年後に同じようなことが起こるとは思いもしなかった。
それだけ津波の恐ろしさは記憶の奥深くにしまわれていた。被災の当事者でさえそうなのだから、ほとんどの人にとっては無理もないことだと思う。
しかし、大事なのはこれから。その当時も、全国の方たちから、たくさんの励ましと援助をいただいた。人間の素晴らしさはその助け合う気持ち。それが明日への力となる。三陸もあっという間に立ち直った。この復元力を信じたい。
2005年は人と人のつながり、ネットワーク、この基本的な力が湧き上がる。そういう年になってほしいと強く思う。



2004年12月27日(月) ゴールデン・おやじ・カップス

50歳を超えている人なら、ああ、ゴールデンカップスね、なつかしいねえ、今どうしてるの?という声が聞こえてきそうだ。平均年齢55歳の今の彼らを、ドキュメントした映画、”ワン・モア・タイム”である。全盛期を知る人なら、昔の面影を残さないほど姿を変えたれらを見て驚くはずである。
横浜・本牧を拠点にしていたカップスは、英語の歌しか歌わなかった。”長い髪の少女”などは、彼らの本心の外にあったはずである。しかし、多くの50代にとって、カップスはじぶんたちの青春の1ページであり、特別な存在だった。GSとは一線を画すバンドとして、強烈に残っていた。
その映画は、前半は、当時の思い出をインタビューでつづり、後半は今の彼らのライブである。さすがに、デーブ平尾は声が出なくなっていたが、驚いたのが、エディー蕃。さながら、日本のBBキングのように、ブルースギターをかなで、いろんな種類の声で歌う。日本のバンドには少ない、リードギター&リードボーカル。昔の面影もないほど太っているが、それがすごい味を出している。やー、まいったね。まさに、ゴールデン・おやじ・カップス。
おやじになってからでも遅くない、がんばれば、おやじもいける。そう、勇気づけられた。悲惨なことが多かったこの1年だったが、最後に、心が熱くなった。ありがとう、カップス。SEKI



2004年12月09日(木) ジェンキンスさんのラスト・チャプター

曽我さん一家が念願の佐渡生活を始めた。どんなにか長く感じたことだろう。思いはわかっても本当の理解はできないと思う。会見の冒頭での涙は,ジェンキンスさんの現在のすべてを表している。それでも、佐渡が彼の人生の最終章と言い切った後ろには、短いかもしれないが、人生最高のものにしようという強い意志が感じられ、見ている私も涙してしまった。
”人生は短い、そして1度”よく言われることだが、だからこそ、今この一瞬を大事に、楽しく生きようという思いが、”ラスト・チャプター”のひと言に現れていた。まさにその通り。明日だけを思い描いていたり、過去に引きづられていたり、人間はともすれば、いまを、回避しがちである。生きているのを実感できるのは今しかなく、今を生きているからこそ、今が楽しい。
あらためて、人間の基本を思い知らされた。今をどう生きるか、今をどう感じるか、その大切さを一人でも多くの人と共有したい、そう強く思った。せ


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