お嬢の日記
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私が見つけたラッキー♪
生きたくない人にとっては。 いくらか生きている事になんらかの価値を。 見い出し幸せだと思い込むことは出来ても。 現実は幸せに生きるのは難しい。
気安く安楽死などと口にするのもどうかと。 言うのもあるが… この機会に考えてみてもいいと思った。 人間はいつかは死ぬ。 そして最後は事故にしろ災害にしろ病気にしろ。 大抵は苦しみを伴って死ぬ。 寿命があるし人にはそれぞれが背負った運命がある。 安楽死を遂げた日本人女性が言っていたが。 決して生きることから逃げたいから死ぬのではなく。 いい生き方をしたと思いたいから最後は。 自分で死期を決めたいと言っていた。 そして何度も自問自答して決断し実行したのだと思う。
私もその言葉の意味がよく理解出来る。 大抵の人は死にたいと思うことはあっても。 実際に行動するかと言った時はやっぱり。 躊躇してしまうと思う。 普通は生きることにまだ未練があるからだろう。 人は漠然と死にたいと思うことがあると思う。 私は自殺も安楽死も否定しない方だが。 よく自分の人生を考えて後悔しないなら。 死ぬ事は悪いことではないと思っている。 そもそも人は自らが望んで生まれてきたわけではない。 だから次世をこの世に残す義務もないと思っているし。 死ぬことも含めて自分の人生を決める権利があると思う。
安楽死によって。 死に纏わる不安、孤独、恐怖、それに伴う家族や。 さまざまな事由を想定することも出来るし。 解決出来ることも多い。 住処の処分や財産の整理、遺体処理の手続きと。 いったことを済ませれば家族も助かるし。 本人も安心してあの世にいける。 資産なども計画して使える。 安楽死が普及すれば年金問題も多少改善する所もあると思う。 だけど死ぬことを目標に生まれてきたわけではないし。 生物は寿命が来るまで全うするのが本来なのだろうが。 そもそも体外受精など生体を超えた域にある医療の進歩と共に。 死期も薬と言う医療でコントロールしてもいいと思う。
あくまで自分の人生を客観的に見て。 後悔しないと思えるなら安楽死はあっていいものだと思うし。 選択出来る世の中になってほしいと願う。 かく言う私は過去に仕事を二か月分先に見越して。 仕事をし、友人にも手紙を書いて旅立つ準備をした。
本気の自死を試みたのだが失敗に終わり。 こうして今も生きながらえているが。 生きてきてよかったとも正直思えない。 あの時踏みとどまってよかったと思えるなら。 それは幸せな人生なのだが。 24時間365日不調を抱えた人にはやっぱり人生は。 しんどいと思う。 そう言いながらも毎日毎日義務をこなしながら。 幸せのふりもいくらかしてこの先もきっと。 生きながらえていくのだ。
今日は両親が週一、私の手抜き夕食を。 食べに来る日でバスから降りて。 見上げると両親がベランダに出て洗濯物を。 取り込んでいてくれた。 それだけでも身体がとても助かる… 最近はようやく私の障害のことを認めくれている。 しんどいのは皆同じと言っていた人達だったから。 夕食をとりながら一昨日の安楽死の番組見た? 恐る恐る聞いてみた。
母曰わく、あんな番組すぐチャンネル変えたわ。 外国に行って登録している施設でどうとか。 するやるやろ?とご機嫌ななめ気味に母は言う。 3回も死の淵に自ら立った身としては。 母が憤るのも無理はないかも… なんとも親不孝なのはわかっている。 親としてはそりゃ子供な死ぬなど。 考えられないものなのも理解している。
先生に助からない可能性が高いと言われた時は。 どう思ったか昔聞いたことがあったのだが。 あんたが死ぬなんて考えられなかったと言っていた。 一度目は救急車で二度目は母が5階から。 私を担いで降りた。 どんなことがらあろうと死なせないのが。 親心なのかとも思った。 未遂の後はしっかり身体の傷として残ってしまったし。 肝臓がやられてなかなか退院出来なかった。
安楽死でも使われたバルビタールなどを。 ごちゃ混ぜに大量に酒で流し込んでも。 若くて体力もあり。 結局嘔吐してしまうから。 薬ではなかなか吸収しきれないらしい。 首を吊った時はカーテンレールが落ちて。 失神して痙攣して終わった。 その時、あー私は死ねないんだなって思って。 仕方なく生きる道を選んだ。 自死の経験をして思ったのは未遂に終わると。 やっぱり後遺症が怖い。 7日眠って助かっても脳がやられるかも… とかいろいろ。 そう言う意味でも安楽死はやっぱり確実だし。 苦痛のない死に方としては理想的とも言える。 21から24才に渡る三度の自死の経験をして。 今に至るわけだけど、今でも死にたいと。 言うことは生きているのはやっぱり幸せだとは。 思えていないわけで、私にとっては生きているけど。 やはり安楽死が正解なのだと思う。
死ぬのって見た目にも大変だし。 どうしても死にたい人は安楽死が最適だと思う。 ただハードルが高過ぎてなかなか実行が。 難しいのが現状なのだけれど。 自死にしろ、安楽死にしろ、やっぱり両親が。 健在なうちは駄目かな…と言うのはある。 でも26年も生き延びて苦しいなら。 やっぱり苦しまずに人生を終わらせる選択を。 したいと思うのも事実である。
安楽死の条件には治る見込みのない病や痛みに。 苛まされていること…に。 私は思いきり該当する。
毎日目覚めて思うのが私の人生この痛みと。 倦怠感から逃れられたらなぁ。 もっと違う生き方が出来るのになぁ…
長らくごまかしてきた気持ちを再確認してしまって。 朝まで眠れなかった。 週末はアルコール依存気味になっいて毎週。 辛いのだけどこの時間は私にとって。 必要な時間なのも確か。 だから無理に無理を重ねても誰にも迷惑を。 かけることなく社会生活が送れているのだとも思う。
昨日終盤チラッとだけ安楽死の番組をやっていて。 封印していた気持ちが蘇ってきて震えてしまった。 あーやっぱり私は死にたいのだなと。 今となっては若い頃みたいに突破的に。 行動出来たりするわけでもないのだけど。 あの時死ねればよかったのにといつも思う。 語学力さへあるのならあっと言う間に。 行動してしまいそうなのだ。 へんに行動力があったりする自分に。 想像してしまって暫くは落ちつかないのだと思う。
こう言う話は主治医にも友達にも言うことは。 出来ないから苦しい。 最近は好きなドラマを見るのですら疲弊していて。 横臥して過ごすしか出来ない。
50才を過ぎて51才になる方が近く。 生きてきたのだけど。 たぶん5才くらいから身体が痛くて倦怠感に。 悩まされてきて普通に生きられなくて。 もがきながらここまできて。 両親は器用な人ではなく足りない部分は。 頑張って努力しているのを見ていてくれる人が。 どこかしらいつも居て。 社会で出会った人達に恵まれてここまで繋いでこれた。 結婚と出産こそ経験していないが夜の世界で働いたり。 本一冊出せそうな位の波瀾万丈な人生を。 歩んできたとさへ思う。
今では自立しまだ親の介護もきていなく。 資産も小さめの新築一軒買えるくらいはある。 今は他人から見ると恵まれている方の。 人生なのだと思う。 だけど身体が思うように動かなくて。 出来ないことが多い人生はやっぱり辛くて仕方がない。 精神だろうが身体だろうが身体がついていかなく。 人についていけなく一人を選んでしまう。 本当はもっと人と居たいし寂しい。 見た目には身体障害ではないので。 出来ない自分をどうしても何年経っても。 認めてあげられない。 世の中にはもっと困っている人や出来ない人が。 居るのに…なんて言葉はわかっている。
今では身体の病名がついて主治医は2人居る。 だけど安楽死したいなんてとても言えない。 鬱がひどくなっているとも思われたくもない。 そう言うのはもう要らない。 毎日毎日演じて生きなければいけないのが辛い。 何を甘えたことを言っていると言われるのは。 百も承知なのだけど。 本気でこの事を思ってしまう…
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