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Mi Pensamiento Diario

祖父母へ

明日で春休みも終わり。そろそろ生活のリズムを取り戻さなきゃいけないし、1週間も外に出てなかったから寒さにも慣れなきゃいけないし、ちょっと大変。それに唯一出されていたプログラミング言語理論の宿題もやらなくっちゃ。今日の午後、宿題をやろうと思って教科書を読み始めたんだけど、10分もしないうちに飽きちゃった。困ったよ。この調子だと明日は気合入れて宿題に取り組まないと…。明日の晩になってからあせりまくって、いつものように適当に書いて出すことになっちゃう。これだけはやめようって、中間試験が終わったときに自分に誓ったんだからどうにかしなきゃ。ムースの明るい未来を夢見て…。

うぅ〜ん、今日はかなり前向きな発言。っていうか、昨日も今日も頭がボーっとしてないからだと思う。それと今日は久しぶりにある留学生のHPを見に行ったんだ。その人はもう日本に帰ってきてるんだけど、今でも日記だけはつけてるの。今日はそこへ行って、その人の日記を読んでたんだけど、がんばんなきゃって気になった。ってこれを他人からいわれると拒絶反応示しちゃうからいわないでね。その人、ムースと歳は変わんないんじゃないかな?でも、MD(医学博士)とPh.D(博士号)を持ってるの。ちょー尊敬しちゃう。血を見ると卒倒しちゃうムースなのでMDには縁がないけど、Ph.Dっていうのはいい響きだねぇ。って実はお正月に実家へ帰った時、父に「もしお金があったらPh.D取りたぁ〜い」っていったら驚いてたけど…。当たり前かぁ。なんてったってムースは中学・高校と落ちこぼれ街道バク進して、大学に行けないところか、高校すら卒業できないっていわれてたんだもんなぁ。成績は下から数えて1番だったし…。Ph.Dはいいなぁって思うけど、そんなのとっても教員になる以外は仕事がないよって友達にいわれたから、この間諦めたばかりなんだ。その友人曰く、「Ph.Dを取ることを考えるより、今やってる勉強を一生懸命やって、いい仕事をする方がいいよ」って。う〜ん、納得。その通りだった。本当だったら無気力になんてなっていられないんだけど、こればっかりは…。去年の12月に自分の一番弱い部分を傷つけられちゃったようなものだから、どうすることもできないんだ…。でも、リハビリに精を出しますよ。この乱れた生活。1分たりとて勉強しない生活。徐々に直していきますよぉ〜。

ってちょっとカラ元気気味に書いたんだけど、1つ気になることが…。この間からどうもすれ違ってるんだよねぇ。チャットの部屋と…。なんてことはないんだけど、何かイヤな感じがする。昨日、冗談混じりに「ムースにも神の見えざる手を差し伸べて」って書いたんだけど、もしかして見えない手で何かされてのかな…。 実はムースって今まで運だけで生きてきたようなところがあるのね。試験って基本的に苦手でいつも失敗してばかりなんだけど、これだけは…って試験はなぜか通るんだ。もしかしたら自分の実力とちゃんと相談して、自分に見合ったレベルの試験を受けてるのかもしれないけど、でも一概にそうもいえない気がするの。一番いい例は今までやった受験なんだ。ムースは私立の中学校を受験したんだけど、滑り止めには受からなかったのね。でね、不幸は続くもので、その1週間後には左手の親指の付け根の部分の剥離骨折したのね。調子は最悪でしょ?で、骨折の3日後。本命中学校の試験。簡単とは思わなかったけど、何となくできたのかなぁ…って思ったの。でもね、ムースのできたはあてにならないから、実際に発表があるまではわかんないのね。もうねぇ、ドキドキ。発表の日は別の中学校の試験を受けてたから、発表のことなんてすっかり忘れてたんだけど、試験が終わって帰る途中、両親に会ったの。どうした?って聞いたら受かってたんだって。ちょーラッキーだったよねぇ。結局受かったのは本命だけだったんだもん。

実はこれと似たようなことが大学受験でも起こったの。これは本命ってところじゃないんだけど、っていうか、とにかく大学って名前がつくところに入れればいいやって思って受けたから何でもよかったんだけど、でもせめてここには受かってほしいってところがあったのね。浪人をしてたから、もしもを考えてその下のレベルまで受けてたんだけど…。父には、もし受からなかったら働きなさいっていわれてたから、何が何でも受からなきゃいけないって思ったんだ。でもね、何せ古文が全然わかんなし、英語も全然わかんないの。だって古文はキライだったし、数学が好きだったら理系のクラスに入ったくらいなんだから。なのに浪人してから文系へいっちゃたし…。英語なんて偏差値がいつも30台後半から40台前半なの。すっごいバカでしょ?それなのに大学ってところに行きたかったのね。で、何も考えずとにかく受けまくったの。そうしたら滑り止めがダメだったの。しかも1番最初に結果が送られてきたんだよ。もうねぇ、ショックなんてもんじゃなかったね。人生終わったと思ったもん。考えることは一番苦しまないで死ねる方法。それだけ。で、その2日後くらいかな。今度はせめてここだったらってところの発表だったの。同然ダメだと思うよねぇ。だって競争率が20.6倍くらいあったんだもん。でも、わずかな望みを胸に発表を見に行ったの。そうしたらあったんだ。自分の受験番号。50人くらいの教室で受けたんだけど、その教室で受かったの3人だけ。受験番号が飛び飛びだったから、最初は自分の番号じゃないと思って5回くらい確認しちゃった。本当にびっくり。いうまでもなく、他は全滅だったんだけどねぇ。

何かねぇ、ムースの人生ってこんな感じだから、たまにこれって運命なの?って感じる時があるの。すれ違いとかって何気ないことなんだけど、変に考えちゃうの。今はちょっとお休みしなさいってことだけだったらいいんだけどねぇ。ちょっとイヤだなぁ。といっても運命に逆らう気はないから、自然の流れに身を任すんだけど…。

今日はそんな訳で朝早かったんだけど、チャットすることがなかったから、ムースのお気に入りにの日記を朝から読んでたんだ。考えてみれば、ここまでダラダラ書いてる人っていないよねぇ。やっぱり人気の高い日記は簡潔に書いてあるし、しかもたのしい。ってことだからムースの部屋は永久に人気の高い日記サイトにはならないけど、でも読み応えあるからいいでしょ?読んでて飽きることも多いと思うけど…。でね、今日は看護婦さんの日記へ行って過去の日記を読んだのね。そこには患者さんなんだけど、何人かのお年寄りのことが書いてあったのね。それを読んでちょっといろいろなことを思い出したんだ。上にも書いたけど、ムースって試験には縁がないじゃない。落ちてばかりだし…。でね、現役の時、記念受験と称してポプラ並木で有名な某大学を受験したのね。半分旅行も兼ねてたのかな?本当はそこなんて受けるが全くなかったんだけど、お正月に友達と会った時、いろんな話をしてたら、みんなで受けに行こうよって話しになったのね。気が進まなかったけど、行き慣れた街へ行くわけだし、まぁいっかぁーって思って突然受けることにしたの。でもって、友達とは現地集合になってたからこっちも気楽だったのね。っていうかうちらはいつも現地集合だから。わがままの集まりだし…。でね、ムースは先に現地入りして、みんなと落ち合うまでは叔母の家に泊まることになってたの。汽車に揺られ、窓の外を眺めながら、叔母の家に向かったのね。で、夕方、叔母の家について、その晩はいろいろな話をしてたのね。特に祖父のことについて。実は家を出る前に母から祖父を見舞ってらっしゃいっていわれての。そのことは叔母も知ってるから、どうする?とか今は忙しいからまた今度来た時にしようかぁとかそんなことを夜中まで話してたんだ。で、次の朝。ムースのいとこが保育園へ行くからっていって用意をしてたときに1本の電話があったの。それは祖父の入院してる病院から。保育園どころじゃなくなって、タクシーに乗ってすぐに祖父のいる病院に駆けつけたんだ。でも1歩遅かったの。叔母とムースを乗せたタクシーが病院に着いたときには祖父はすでに他界してたんだ。祖母や親戚はムース達が着いてから1時間くらいしてから病院に着いたんだけどねぇ。ムースが病院にいたことにみんなびっくりしたみたい。って当たり前なんだけど。だってムースは内地にいるはずの人なんだから。大変だったぁ。受験しに行ったつもりがお葬式になっちゃって。でもね、親戚の人みんなにいわれたの。きっとおじいちゃんが呼んだんだよって。そんな気もする。だってタイミングよすぎだもん。それにムースはいつも遊びにいってたし、孫の中でも唯一覚えてもらってた人だから。あとの孫、っていとこなんだけど、あまり記憶になかったんじゃないかな?祖父は晩年目がほとんど見えなかったし、耳も聞こえなかったから、いつも誰かがくると祖父の手に名前を書いてあげてたのね。でね、ムースがいったときにムースの名前を手に書いてあげると、いつもよく来た、よく来たっていってにこって笑ってた。考えてみればムースがアイスホッケーと出会ったのは、祖父の病院へ連れて行くために製紙工場で有名な町へ行ったとき、初めて見たんだっけなぁ。まだムースが10歳の時のこと。懐かしい…。

ってこれは田舎にいた祖父の話なんだけど、実家で一緒に暮らしていた祖母もムースにとって大切な試験の前の日に他界したんだ。もう大変。正直、どうして今日なのーって叫びたい感じだった。でも試験当日じゃなくってよかったけど…。実家で一緒に暮らしていたんだけど、祖母は晩年、老人ホームに移ったんだ。最後にムースと会った、っていうか話をしたのは4年前の夏のことだったかな?老人ホームの盆踊り大会があるからっていってムースも学校の帰りに寄ったんだ。毎週土曜日にスペイン語の学校へ行ってたんだけど、学校のあるところと、祖母の老人ホームがあるところが同じ駅だったから、たまには顔でもだそうかなって思って寄っていったんだ。同じ駅とはいっても方向が全く逆だから歩くと1駅分くらいあるの。でもその日は珍しく歩いていった。きっと鬱になってたし、疲れてた時だったし、何か違うことがしたかったのかな?って何だか3日間も連続して鬱の時の話をしてるみたい。で、久しぶりに祖母に会った時、何やってたの?っていうから学校の帰りだよっていったら、まだ勉強してるかぁ?ってちょっとあきれてたっけ。そして、もう勉強するのやめて結婚しなさいって。そりゃ、結婚できるんだったらいつでもするけど、結婚してるれる相手がいないことにはどうしようもないよねぇ。しかも、その時は失恋したばかりでかなり落ち込んでた時だったし…。

来週はお彼岸だねぇ。看護婦さんの日記を読んだら、ふと祖父母のこと思い出しちゃった。今年はもう東京でも桜が咲いたみたいだね。ってことは今年のお彼岸は桜の花がそこら辺で咲いているのかな?ムースの住んでるところはまだまだ雪の話ばかりだし、桜は当分見れそうにもないしねぇ…。去年は桜が満開の時に、毎日谷中墓地を通ってお仕事に行ってたから、数年分のお花見をしちゃった。いつも1人でちょっと寂しかったけど…。さぁって、明日からはリハビリ生活に入らないとね。プログラミング言語理論の先生がいったことじゃないけど、春休み中に頭がフォーマットされちゃって今中身が空っぽだから、またOSからインストールし直さないと…。クラッシュしてるところはごまかし、ごまかし、飛ばしながら書き込みしていかないとダメかな?じゃないとまた頭をフォーマットし直さなきゃいけないから…。明日からの日記が今の半分になっちゃたりしてね!?

最後に…。

ムースは夏にこっちに引っ越して来ちゃったから、去年の秋、ばあちゃんの一周忌に出れなかったけど、まさかそのこと怒ってないよね?だからバチが当たって、去年の暮れに大変なことになっちゃったのかな?それともやっぱり縁がなかったのかな?今、こう思い出してるから許してね。

田舎のじいちゃん。3月1日が命日だったねぇ。もう何年も経つね。いつも雪が降ってる時に遊びにいってたよねぇ。今、ムースは毎日雪の降るところで暮らしてます。雪かきは大家さんがやってくれるからすることないけど…。でも雪国の生活はいろいろと大変だね。

そしていつもムースの手を引いて一緒に歩いてたじいちゃん。今年の4月でじいちゃんが他界してから17年かぁ。早いねぇ。今年もまたお墓参りへいけないけど、ちゃんと彼岸とお盆には思い出してるから…。無事に卒業できるように見守っててください。それと、うちは飲兵衛の家系だけど、ムースは断酒してるからねぇ。気がついたら1ヶ月以上飲んでないよ。早いとこ心の風邪を治して、勉強がんばるから。


2002年03月16日(土)




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