やさぐれ日記・跡地
アルティーナ



 

人はいつか死ぬものだし、いつか今いる人に別れを告げなくちゃならないもの。

死は全てを遮断する。

命も、希望も、理想も、未来も、全てストップ。

停止する。

その人が生きてきた証は、全て静止する。


・・・私には、1つ年下と2つ年下の「先輩」がいる。


M先輩とS先輩は、生徒会の役員だった。
私は高2の学校祭で、2人の先輩に大変お世話になった。
学校祭実行委員という仕事をやっていたので、
生徒会のメンバーの方と協力して運営に携わったから。

私の高校の学校祭は7月。海の日前後にある。

その年の学校祭も無事に終わり、夏休みに入った8月。

M先輩とS先輩を含む生徒会メンバー5人ほどで、
地元からほど近い海へ自転車で遊びに行ったらしい。

行ったらしい、と言うより行くのは知っていた。
前日私は、2人の先輩と偶然学校で会っていたから。



『明日、海行くんだよねー。自転車で』

え、どこの海ですか?

『望来浜だよ。男ども5人くらいでさ』

へーぇ、楽しんできて下さいね(笑)



と言う会話を、私が部活後に残って練習していた部室で。

次の日、私はランフォPLの家で友人と遊んでいた。
他の友人がゲームをやっている中、
私はボーっとソファに座って適当についてるテレビを見ていた(聞こえてた)

時刻は夕方。遊んでる部屋も薄暗さが出てきた頃。


「望来浜で高校生2名が行方不明に────」

・・・?

音源はテレビだった。私は咄嗟にテレビに集中する。


「行方不明になっているのは、I市H高校の────」

・・・うちの高校だ。
M先輩とS先輩だ。

生徒会長が画面に映し出される。
・・・青ざめた表情で、何を喋っているのか本人もわかっていないのではないか。

全身に緊張が走って、思いっきり取り乱してランフォを呼んだ。



先輩が海で溺れた。テトラポットの近くで。

生徒会長は、助けに行こうにも波が高くて行けなかった。
2人が沈んでいくのを、唯呆然と見つめているしかなかったのだ。

後で会長は「3時間くらい2人は溺れてた」と口走ったのだと言う。

3時間。まさか。
時間の感覚が狂うくらい、会長の目の前で起こった事は。


ニュース記者が、「今日は遊泳禁止の旗が上がっていたにも関わらず、2人は────」と伝えた。

そんなこと言ったら、2人の立場はどうなる。
旗が上がっていたって、大勢の遊泳客が泳いでいるじゃないか。
まるで、2人だけが悪いことをしたみたいじゃないか。



・・・2人はその日、見つからなかった。




次の日のお昼頃、M先輩が見つかった。

テトラポットに頭がはまり、頭がぱっくりと割れた状態で。


暫く後、S先輩も見つかった。

小さな子供がすぐそばで遊んでいる、岩場の回りで。

引き上げられるS先輩を偶然見てしまった別の先輩は、その場で泣き狂ったと言う。



17歳と18歳の先輩は、全ての歩みを止めた。

海が全てを飲み込んだ。



・・・・・・通夜と告別式は、2人とも同じ日だった。
式場が離れていたため、S先輩の通夜にでた次の日、M先輩の告別式に出た。

先輩に最後の花を捧げる時、先輩の顔がまともに見れなかった。

それでも傍に近寄って見下ろした時、私は声を上げて泣いた。


ずっと泣いた。ずっと。




次の年の学校祭では、全校生徒で黙祷を捧げた。
私はまた、学校祭実行委員を務めた。


5月に亡くなったH先輩も含め、2年前は3度も黒い服を着た。
最悪な世紀末だった。

それから私は一度も海に行っていない。
誘われても行くものかと思うし、見たくもないと思う。

千葉に引っ越してきてからも、その考えは変わらない。


海は繋がってる。

世界中のあらゆる海に。

2002年08月02日(金)
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