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2002年10月13日(日) 歌は夜空に消えてゆく〜イースタンユース@日比谷野外音楽堂〜

 時間厳守。どこの世界でも当たり前なのに、何故かコンサートは押しで始まることが多い。日比谷公園に着いたのが6時に差し掛かる頃。大丈夫だろうと、のたのた歩いていたら「ジャラァ〜ン」と『夜明けの歌』のイントロのギターの音が公園に響き渡る。「外でも結構聴こえるなぁ」などと心は暢気に構えながらも、駆け足で会場へ。暗闇の中で係員に尋ねながら席を探す。探し当てた頃には「ジャラァ〜ン」と『夜明けの歌』の後奏が終わっていた。
 続いて新曲『世界は割れ響く耳鳴りのようだ』。初の野音ワンマン、彼らのライブで座席があるのもかなり珍しい。煌煌と照り付けるライトの下、声はいつも以上に擦れている。そもそもライブの度に絶叫し続け、まだ声が出るというのだから不思議でならない。「枯葉が落ちるのは嫌いじゃねぇんだ」と歌い始めた『街頭に舞い散る枯葉』。思えば彼らを知ったのもこれが入っているアルバム『孤立無援の花』を聴いたから。何遍もCDで聴いた「舞い散る枯葉の心を知りたいのだ」をはじめて生で聴き、感無量。

 『泥濘に住む男』『男子畢生危機一髪』『浮き雲』とまるで殺戮兵器のような曲が続く。ただ、それで死に至る事はない。胸倉を捉まれながら生きる事を問われているような感覚に陥る。特に『男子畢生危機一髪』は肌寒い秋の風を一刀両断するような演奏。3人で出しているとは思えない程の分厚い音。まるでオーケストラを従えたような迫力。そもそも彼らの楽曲はアレンジが非常に面白い。イントロで変拍子使ったり、裏でリズムを取ったり、ベースがかなり早いフレーズを弾きまくったりと、ただ作った曲を垂れ流すだけの8ビートのパンクバンドとは訳が違う唯一無二の存在。
 「狂気ってえのは絵画とかコンピューターとか文章とか音楽の中に潜んでいるんじゃなく、小鳥が囀っている中とか信号待ちの時とか、何にも考えてない時に潜んでいる」とMCの後『踵鳴る』。それでも発火しそううなギターのカッティングに尋常じゃない速さで入ってくるドラムに狂気と似たようなものを感じてしまう。ましてや教典を説いている訳でもない彼らの音の中に解答を探してしまう。息をつく暇もなく疾走し続け『砂塵の彼方へ』で本編終了。大体が座ってはいるものも、アンコールを求める拍手は止まない。

燃え尽きて 一日を道連れに
太陽が死ぬ時 雲さえ泣いている

今の今迄生きてきた
何がどうやらやって来て
歌は夜空に消えてゆく

何を儚む事があろう
何を失うものがあろう
歌は夜空に消えてゆく

 アンコールに応え『歌は夜空に消えてゆく』。ライブでは初披露。彼らの曲の中でもかなり時間が長いため、やる機会がなかったそうだ。一見、合わなそうなこの座席のある野音が、これ以上ないほどこの唄を反映させる。夜空を見上げながら聴いていると、此処が何処だか分からなくなる。只、この唄がいつまでも終わらなければといいなと思った。
 吉野がぽつり「暮れる前にやりたかったなぁ」と吐いて、田森の刻むハイハットに二宮がベースを重ねる。とどめの一発に『青すぎる空』。そして客も大合唱。すごく月並みだけど「あぁ、生きてて良かった」とか「また、明日から頑張らなきゃな」と素直に思えた。最後の声を振り絞るように「いずれ暮らしの果てに散る」と歌い終わった後、僕は迂闊にも泣いてしまった。秋の少し肌寒い夜、虫の音、半分欠けた月、燃え尽きようとも枯れない声、すべての条件が揃ったような夜。後はもう何に対しても、やりながら自分の解答を見付けていくしかないと感じた夜だった。

 どの曲にも一貫とした凛としたものがある。それは詩の中に垣間見れる彼らの生活にも表れている。生活感の欠片もないような毒にも薬にもならない唄がどうして唄と呼べようか。「音楽聴いてるよりか虫の音を聴いている方が俺は好きだな」とのMCでの彼の言葉が印象的だった。

〜セットリスト〜
1.夜明けの歌
2.世界は割れ響く耳鳴りのようだ
3.街頭に舞い散る枯葉
4.泥濘に住む男
5.男子畢生危機一髪
6.浮き雲
7.二足歩行小唄
8.路端の影
9.黒い太陽
10.スローモーション
11.踵鳴る
12.砂塵の彼方へ

13.歌は夜空に消えてゆく
14.青すぎる空

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