| 2006年09月21日(木) |
まぁいつもどおりIDについてのこと |
音楽への憧れがある。 憧れであるが、憧れでしかない。
生き方。
たとえばロックであるか? ロックではない。
だが、ロックを正面切ってやれてる人に憧れがある。 まねしてみるが、まねでしかないのだ。 憧れるが浅井さんにはなれない。
フォークであるか? フォークではない。
フォークを正面切ってやれてる人に憧れがある。 まねしてみるが、これもまねでしかない。 拓郎にはなれない。
ファンクであるか? ファンクではない。
ファンクを正面切ってやれてる人に憧れがある。 まねしてみるが、これもまねでしかない。 俺がやってるのはインチキだ、とれお君も言ってた。
詩作の人であるか? 詩作の人ではない。
憧れて偉そうなことをほざいてみるが、 まねはまねで、斬新さなどどこにもない。 うまいこともいえない。
言葉って生き方だと思う。
生き方が見えてる人は、ポッと出す一言も、重い。
生き方が見えてない人のそれは、かりそめで、笑うくらい軽い。
本物ってなんだろうか。
まねがうまい人は本物であろうか。
器用な人は本物であろうか。
「何か」ではないが、「何か」を目指している状態、
それが、やがて本物へと「化ける」のであろう。
不器用でなにものにもなれない状態を アイデンティティとする、
つまり 試行錯誤し、苦悩するのがアイデンティティである、というのは、
徹底的に「逃げ」である気がするが、どうか。
たとえ俺が「それ」でなくても 「それ」が俺の目指すところである、 というのを明確に表明し、責任を負うべきである。
何を目指しているのか断定しなきゃならんのである。
たとえ疑念の余地があっても、ね。 今の立場を決定する必要がね、ありますよ。ね。今ね。
断定しない風に生きてきちゃったんだもの。 「俺はどっちでもないですよ。どっちにでもいけるんです」 どっちも目指しているし、どっちも目指してない。 これは結構やっかいである。
何にでもなれるが、何にもなれない。
既存のジャンルにとらわれちゃいかんとも思う。 でも僕は民生もマサムネも和寿も拓郎も高田渡もみうらじゅんも みーんな憧れなんである。なりたいんだ。なりたいがなれない。 でもそれは既存の価値観だ。既存の価値観をめざし、切磋し、 それでたどり着くわけのわからないものが新境地ってやつだ。
で 俺はここだと、表明する必要があるとすれば、
俺はどこを目指してるのだ?
何になりたいのだ??
我思うゆえに我あり、 本義を揺さぶる、ほろ酔い書き込み。
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