高校の時の話。
なんか「塾」とまではいかないけど、 近所に通訳の仕事をされてる方がいて、その方のとこで、個人的に英語を教え てくれる時間っていうのがあった。んん、説明しずらいけど、なんつーかな、 ホント、超個人的に英語のレッスンをしてくれる女性で、その方(先生と呼び ます)は今でも心の恩師と思っている。
で、まーぶっちゃけすっげ厳しかったんだ。 別に「がみがみウルサイ!」っていう厳しさじゃない、こう、なんていうか、 出来ないと置いてかれる、というか、置いてかれたら最後、ドロップアウト。 毎週1回、先生の英語の時間は文字通り「試練」の時間だった。
とにかく「自分が頑張らないと恥ずかしいし、他に一緒にレッスン受けてる 同級生に迷惑がかかる」っていうプレッシャーの中で、必死こいて英語を勉 強してた記憶がある。同じ学年で6,7人、その中でTAKUは明らかに最下位だ った。
一緒に勉強してたヤツっていうのは、小学校一緒だったけど中学受験で超名 門の私学(E光学園とかA野高校とかさ)に進んでったツワモノ達。 そいつらの教科書(公立高校の教科書と違って、んげーー難しいわけさ)の 問題や、文法や熟語のドリル天声人語の英語版や高校2年なのに受験用の英文 読解や和文英訳(これは意訳できるから好きだった)をやってた記憶がある。
そいつらは現役で慶応とか早稲田に行くのは当然として(笑)、今やってる職 業がこれまた驚く。エンジニア、医者、アナウンサー、スチュワーデス、海 外赴任の銀行員・・・「嘘だろ!?」っていうくらいエリートな奴らでしょ( 笑)。そいつらは連絡こそ取らないけど、今でも尊敬してる。
ホントに、みんな妥協しないで勉強してたんだ。だからTAKUは今でも勉強す るヤツ(っていうか勉強を投げ出さないで頑張るヤツ)はカッコイイと思っ ている。
さっきも書いたけどTAKUはその中でもビリを争う頭の悪さというか、勘のみ で英語やってるというか、何しろみんなの足を引っ張るお荷物だったんだけ ど、先生はなんとか見捨てないで一緒に受験まで面倒をみてくれた。
おかげでTAKUは大学受験ではモロ役に立ったし、そのほかにも「英語でなん かする」時におじけづかないようになった。今は全然英語なんて勉強しない し使う機会もないから衰えてく一方だけど(^^;;大きな財産を得たなーって思 ってるんだ。
一緒に頑張った仲間は努力した分だけ結果を出して世界にはばたいてる。 じゃぁ、TAKUはどうなのか、っていったら、結構面白いことやってる会社に 入れたのに、3年勤めたところであっさり辞めちゃって、稼ぎになるか分から ない音楽を続けてる(しかも当時は道端で歌ってたし)。
でも。 やっぱしTAKUにだって誇りがあって、さ。 はっきり言って、結果が出ないうちは、先生に顔向けできなかったんだ。
1月25日にTAKUとして初の全国流通のアルバム「コバルト原チャリ」をリリー スすることができた。で、ようやく、本当にようやく先生に 「先生、今TAKUはこんなことやってます」って挨拶することができるんだ。
先生、今、TAKUは歌ってます。
久々に先生に会って、話をして、あの頃の気持ちを思い出した。 「上には上がいる」っていう現実を実体験の中で感じ、悔しさの中でもがいて た高校時代。焼きついた屈辱感。
ことばを操るなりわいを選んだ以上、 ことばを知ることに、もっと貪欲になりたい。 生きていることばを恐れることなく、使いたい。 ことばに使われることなく、使いこなしたい。
先生は偉そうな格言なんて何も言ってない。 ただ英語を教えていただけ。TAKUは勝手に色んなことを学んだ。 そして今、先生を師として仰ぎ見ることができる自分を幸せと思います。
つきつめたらもっともっと奥は深い。 「奥」に入れば孤独だけど、言いようもなく趣深い。
ハードルを低く設定することによって得られた、居心地の良すぎる場所に安住 しないよう、自分を戒めます。まずはどの道を求めて行くのか、そこを見極め なければ。
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