進みたくないとき - 2007年04月15日(日) 流れていく川の中で、みんな留まろうとするんだけどどんどん流されていっていて。 独りだけ、急流の中で立ち止まって踏みとどまれてしまった人は。 周りの仲間はあっという間に流されて見えなくなって。 濁流から顔が出て呼吸は楽になったけれど。 仲間を追い掛けて濁流に再び飛び込むということは、 激流の中必死に抗う力とままならない呼吸、利かない視界に無遠慮な汚濁を再び経験しなければならないということ。 その全てから解放された状態に今現在ある以上、きっと相当な覚悟が必要になるのであって。 仲間が渦中にあるのと同一の苦況を享受できない人間が、仲間と呼べるはずも無く。 仲間から自分が外れてしまえば、仲間の成員から外されるのもまあ現実的。 そういう、泣いたってどうしようもない状況は。 孤独な平和と、仲間との艱難辛苦という、他の人は持っていない選択肢を得てしまったジレンマという不幸。 そのときそのひとは何を思い何を選ぶのでしょう。 最近、「もう一歩も進めない」と思うことが増えてきました。 肉体的な疲労ではなく、精神的な重圧/痛みであらゆる「進む」的な行為を拒否したくなる感覚です。 自転車のペダルを漕ぐ足が止まったり。 道路脇で立ち止まって蹲ってしまいたくなったり。 全く別の場所へ跳躍(ワープ)してとりあえず息継ぎをしたいと無性に思ったり。 未来に起こることへ思いを馳せ、途方に暮れ、悲嘆し、 「現在」という名の列車が勝手に未来へのレールを突き進み続けていることに適応できず恐ろしくなって吐き気すらして。 ちょっと止まってくれ頼むから。 -
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