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スローということ - 2006年08月10日(木)

夕食後に貰い物のケーキで家族(母欠席)で喫茶。

ネタはだいたい、
スローなフードやスローなライフに憧れるしすべきだと思うけどうちではやっぱり無理だね、
ということで集約される感じでした。

スローであることの価値が認められなければ、
寂れた田舎を存続させることも、
そういう場所で成長してきた郷土料理を守っていくことも、
その郷土料理が支え、またそれに支えられる地場の生産物をつくり続けることも、
できない訳で。
そもそも、そういう市場原理とかネオ・ダーウィニズム的な弱肉強食とかで
切り捨てられ続けているのがスローなモノたちであって。

イタリアのような埃に埋まった古いものを力で後押しして頑なに守り続ける国でもない限り、
中国の富裕層に育つ子どもがそうであるように、ハンバーガーとコークに既存のものが駆逐されてしまう。
そういうものに見向きをするようになる頃にはほとんどが地域絶滅や野生絶滅状態。

それは分かっていても、
「スローな田舎」の価値に正当にカネを落とす為にはガソリンをバカスカ食うことになったり、
その時間の確保の為にファストな働き方をファストな食事の補給でしたり、
スローフードの代表格の料理の為に購うのが輸送費の掛かった外国産であったり、
地場のものを食べようとして外食産業の製品に乗っかってしまったり。

真にスローな、たべものにとってのマイペースに合わせようとすれば、
現代の時計と「時は金なり」体制では無理が生じて結局詰め込んでしまうことになったりもする。

現代生活と対極にある相容れぬものがスローだというのなら、
スローなものすべてが絶滅しても単なる道理でしかない。
そうも思ってしまう。

それで片付けるべき問題ではないのだけれど。

本来、地べたに根付いているはずのものなのに、どこか、とても途方のないところにあるもののように思えてならない。
マネをしても、結局根本では身に付いていないことが身に滲みる。
それが、私にとっての「スローということ」。

願わくば、この現状のブレイクスルーの起こらんことを。


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