雑談徒然爆走日記
言いたい事を適当にくっちゃべってるだけなんでね、ええ、暇な人だけどうぞ(笑)

2002年12月26日(木) あふれてくる言葉

 ←彼女、好きです。(行き成り告白かよ)多分、彼女は二次元での世界での「私」なのですよ。私という人間の価値観をあらわすためのものさしの一つなのですよ。
 まぁ、私の作ったキャラ、描くキャラは総じてそういうところが無きにしもあらずですが。そして彼女は「理想の私」なのです。そういう風になりたいという理想の二次元化です。だから好き。
 私という人間の延長線上にあるものだから、自分で作ったキャラは大抵好きです。その少しずつが私の中にあるものの一つなのでしょう。

 小説は、自分を少しずつ表していくためのものだと思う。自分の価値観、見方、思想・・・そういうものを、いろいろとあらわしていくものだと思う。そしてそれが広く深いほど、いい作家になっていくのではないかな、と思う。
 屍鬼の静信は小説家だけれど、静信は小説を書きながら自分を見つめて、そして自分を確認していくのだと思う。ていうか、そうなのでしょう。その主人公に自分を重ね、そしてその主人公に自分の価値観などを移行していき、自分の価値観を言葉にあらわしていくのだと思う。静信の小説を書いている描写はまさしくそれだと思うし、静信=主人公というのがはっきりしていると思う。
 他にも小説家というものを自分の書く話に出している作品がいくつかあるけれど、その小説家はそれぞれ、「自分」を書くか、「理想」を書くかなのだと思う。こうでありたいという理想。綺麗な虚像。綺麗な人間を書いていく作家もあれば、現実を剥き出しにした、本当に現実的で、そして醜いものも全てをそこに書き連ねていこうというものもある。
 私は、醜いものも書いていきたい。最近、いろんな言葉があふれてくる。全てをメモすることは不可能なのだけれど、そのどれもが私の中にある価値観を言葉にしたものだから、一つ残らず取っておきたい。やっぱりメモ帳を持ち歩くしかないのだろうか・・・。
 汚いものも書きたい。理想だけの文章なんて本当に綺麗だけれど、だけどひどく現実感を欠いている気がしてならない。汚いもの、人間の本性みたいなものも、私は書いていきたい。どんなにやりきれなくても、これが私の中の現実なんだというものを書いていきたいと思う。
 まぁ、私の人生そのものが酷くドラマティックな気がしないでもないけれど。理想と現実と夢と絶望と。まず、アンハッピーエンドの小説を書くべきだろうか。終わらない話を書くべきだろうか。綺麗に終わる小説は、私は好きだけれど、やはり現実を映し出すのならばやっぱりアンハッピーエンドがいいかな、終わりきらない話がいいのかな、と思う。
 読んでいてやりきれない話というのがある。屍鬼がその一つだし、その人間の醜いものと綺麗なものとが交錯していてひどくやりきれない。その人物の心理描写は全て自分を正当化しているし、正当化していないまでも、自分の心理を把握しようと一生懸命なっていたり、自分の傲慢さをどこか理解していたりする。善人と悪人の違いがあるとしたら、自分を善人だと本気で思っている人間は悪人なのだと思うし、自分を悪人だと思っている奴は本当の悪人かもしくは、これ異常なく自己に自身のない善であろうとする人なのだと思う。
 本当の善人というものは居ないと思うし・・・。ってマジで夢も希望もない結論出しちゃだめかな・・・。だけど、結局人間は自分のために生きているのだから仕方ないです。人は同情だって哀れみだって持っているけれど、それも自分に害が及ばない事に対してだと思うし。もし自分に害が及ぶ時点でまでも哀れもうとするならばそれはやはり自分の「理想」というものに対しての自己満足の領域なのだと思うし・・・。
 まぁ、人間生まれたときから「悪」という結論を出すつもりは無いのだけれど。というか、むしろ基本は「善」であるけれど、やはり「自分」というカテゴリーの中での善でしかないから万人に受け入れられるものなど決してないものだと思う。結局多数決の世界で、自分の善とその他大勢の善とが食い違ってしまえば自分の善は悪になってしまうのよね・・・。
 ああ・・・話してたらキリがないな。この辺でやめときます。
 私の思想弁論なんて聞いても誰も喜ばんだろうしね・・・。


 < 過ぎ去りし日々  INDEX  明日へ >


あすか [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加