Diary
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朝、軽井沢某所の、某大企業の某元会長の別荘なるものを見学させてもらった。
午後は、地元の友人Nちゃんの家に遊びに行き、夫君お手製のパスタに舌鼓を打ち、ラブリー愛娘Yちゃん(3カ月)の柔らかい頬の触感を楽しませていただいた。
さて、前述の「別荘」、いわゆる会社用の「迎賓館」なんだけど、贅を尽くしまくった超広大な邸宅である。敷地は何万坪スケール。んでもって敷地内に一級河川が流れているし、その水を引き込んでお庭にしているし(水利権なんぼやねん)。
調度品も、ガラス製品は全部バカラだし、ナイフ・フォークは銀製品だし、西郷隆盛の自筆の書やら横山大観やらの掛け軸がシレッと吊るされているし、何気に置いてある竹細工とかも人間国宝の作品だし。
で、壁面の内装は、全部「絹布」なんだけどさ、軽井沢って湿気が多いからカビが生えるんだって。室内にベンジャミンやら胡蝶蘭を配しているけど、亜寒帯の軽井沢の気候に合わないから植え替え・交換は必須だし。管理者は「維持が大変なんですよ」と言っていた。そりゃ大変だわなー。
こういう、地域の気候を無視した建築物ってどうなんだろうね。贅を尽くした建築なら、京都こそお膝元だけど、気候を無視した建築というのはほとんど見かけない。むしろ、「家の北側の柱は山の北斜面の材木を、南側の柱は南斜面の材木を」等、家を長持ちさせるため、狂いの少ない資材を厳選している。
資産を見せつけるような調度品も、京都の名所旧跡で数多く見るけど、京都のモノは古い分、悪趣味な中にも歴史を見て取ることができる。「うわ〜金閣寺だよ〜マジ金ピカだよ〜」と嘲笑しながらも、それを室町時代に建てちゃった権力者がいるという事実が、人をして「人間って何だろうねえ・・・」という一種の感慨に至らせるわけである。
地域の自然条件を無視し、ただ金にモノを言わせぶっ建てた、たかだか築20年の邸宅。管理者たちは、客のいないときは、グラスやナイフ・フォークや碁石を磨いているそうな。そして、壁にカビが生えれば修繕し、南国の植物が枯れれば入れ替えて、台風で川が荒れた後は庭の回復作業に追われている。
VIPやらセレブやらは、金に飽かせて「自然の摂理」「人間の知恵」なるものをバカにしたような、こんなしょうもないもんをヨロコブのか?
ま、私には縁遠いながらも、そーいう世界が現存するのねーということを学ばせていただき、実に勉強になりました。世界観が広がった気がするわね。1mmくらいだけど。
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