まったりぐったり日記 メモ 夏古
2009年09月26日(土)  こまったさん
夏休みの間ずっと具合が悪かったわけですが、今日は通学の行き帰りのバスと電車の中で涙腺がおかしくなってしまいました。
今まで具合が悪くても「ちょっと疲れてるだけで違うと思いたい」と願っていたのに、これはさすがに認めざるを得ないのかな、と今日は思いました。
再発しているかもしれません。
来週あたり、適当な病院へ行ってこようと思います。
電車通学は今の私にとって誘惑だらけなので、大勢の人に迷惑をかけることはしたくないんです。

ということで、しばらく日記での言動がおかしいかもしれません。
ごめんなさい。

昨日も、友達と久しぶりに会って夏休みの話をしていたのに、私が急にそれまでの話と全く脈絡のない話をして空気をぶち壊してしまって、喋り終わってからそれに気が付いて多大な後悔をしました。
前回病気がだった時もそんな感じのことを何回も繰り返して、どんどん自分が辛くなってしまったので、デジャヴして仕方ありませんでした。

ぼーっとしているので、自分が言ってることも相手が言ってることもいまいち理解が遅いです。
なんか不快になるようなことを言い出したら指摘してくださると嬉しいです…。


法事があるのでこの土日はまた帰省します。
一人でいると悪いことを考えてしまいそうだったので、夜中になってでも出来れば金曜日中に帰りたかったんですが、母に「夜中に帰るかも」と言ったら「はあ?明日にしなよ」と受け容れてもらえませんでした…残念。
私は誰かと一緒にご飯を食べるのは大好きなんですが、しかし人前でご飯を食べるのは実は苦手です。
今考えれば、だから給食が全部時間内に食べられなかったのかなあと思います。
いつもお昼休みまで居残り組でした…ハイ…。
この前家族で外食したら、私以外の三人はササッと食べ終わったのに、私一人もたもたと食べていて、悪いなあと思いつつ残すわけにもいかないのでもぐもぐしていたら、「食べ方が汚い」と弟に言われてしまって、家族の前でさえもゆっくり食事が出来ないんだなーと感じました。
まあなんだ、私が家族にすら理解が得られない程の変人だということですね、わかります。


私のことを「親友」と言ってくれた友達と今日一緒のバスになった。
といっても、私が最初に一人で乗っていたところに、彼女が別の友達と乗ってきて、私に気が付かずにすれ違ってしまったんだけど。
狭い車内で2人の話が聞こえてきて、私には免許が取れたよという話はまだなかったな、とぼんやり思った。
いつもは夏休みになったら真っ先にメールしてくれて、夏休み中に一回は遊んだりしていたけど、今年はそれがなくて、3年生だし忙しいか嫌われたかなあと思ってた。
夏休み前は、その友達が授業がほぼ一緒だという友達とよく一緒にいて、それを見たら私もなんだか遠慮してしまって、そうしたら疎遠になっちゃった。よくあることだけど。
夏休みは寂しかった。


他の人と違う生き方を望んでしているわけじゃないのに、ただ私は私として生きているだけなのに、認めてもらえないのは悲しいね。
友達や先輩や知り合いのほとんどは、同じ学年の人は同い年だと思っているし、自分の隣にいる人は普通の全日制高校に通っていた人だと思っている。
笑顔の人がいれば、その人は病気なんかない、悩みなんかないと思っている。
学校に通っている人はみんなお金があると思っている人がいて、経済的事情を原因に学校を辞める友達を理解できず、?マークを頭に浮かべる。
そういう人生を歩んできた人は幸せな人だと思う。
すごく羨ましいし、同時にその逆の感情も持ってしまう。

孤独になったことはないのかな。
自分のことを誰も知らない中に行って、緊張したことはないのかな。
学校へ行っても誰とも喋らずに帰宅するなんて、したことなんだろうな。
一日中家に一人でいたり、一日中誰とも喋らずにいたりしたことなんか、ないんだろう。
私の家族だって、そんなことしたことはないだろうと思う。
普通に学校へいって、普通に就職したり進学したりしている人たちだから。

私には普通が分からない。
もうとっくの昔に根本的な部分が普通じゃないから、みんなと同じことをしても違うものになっちゃうのかもしれない。もういい大人だし、これは治らないのかもしれない。

だから、みんなに私を理解してもらいにくいのは分かる。
私も、そういうの理解してもらうように努力するなり、しょうがないなって諦めたりしなきゃいけないんだと思う。
今のまま、私が変だってことを伝える努力も、普通になろうとする努力もしないで受け入れてもらおうなんて無理に決まってる。
でも、一人くらい近くにそのままでいていいんだって優しくしてくれる人がほしかった。


私の唯一の理解者はカウンセリングの先生だった。お仕事だけど、私のために時間を割いて話を聞いてくれた。嬉しかった。でも本当はカウンセリングの先生じゃないから上京する時にお別れしてしまって、だからもう頼れない。
私が一番辛い時にそばにいたのは、人じゃなかった。家族じゃなかった。ぬいぐるみだった。
もう大人になって、大学生になって、落ち込むことも少なくて、もう大丈夫だって手放した。

私にとって家族は頼るべきものじゃない。友達も同じく。私が頼りにされるほう。だって私はお姉ちゃんだから。背が高いから。年上だから。
お母さんはあの頃泣いた。強くなんかない、ただの普通の人間だった。私は守られる側だと思っていたけど、守ってあげなければいけない存在になった。
昔からうまく甘えられない。誰かに頼りたいけど、どうやって頼ったらいいのか分からない。

どうでもいいですが、私の家族ってかなり冷めているんだな、と最近ようやく知りました。友人や知り合いの話を聞くと、他の家よりもだいぶドライみたい。
そういえばついでに、私の昔の病気について家族はほとんど知らないらしい、と最近知りました。
母はテレビでその話題が出ると「こういう気持ちはよくわからない」とか「こういう人って〜〜みたいな症状が出たりするらしいね」とあたかも何も知らない娘に教えるように話す。私は散々自分で本を読んだし、いやというほど体験しましたよ、お母さん。弟も「ほんとにその辺にいるのか」というし、父は興味自体ないらしくチャンネルを変えます。
一体私のあの数年は、夜中に一人でしくしく泣いていた私はどこへ行ったの。同じ部屋で寝ていた母や弟は知らないの?
私が学校休んで、通信制へ通った理由を家族のだれも知らないの?
私がその話を出来ればしてほしくないということにきがつかないの?
私のことを知っている人がいないの?
私のことを知っている人がいないなら、それは私がいないのとほとんど同じことじゃないんだろうか。




話は打って変わりますが、文化祭にウィッシュ☆な彼が来るらしい。
うちの学校にしては珍しくすごいの呼ぶなあ。

私はその時間は、ざぜん体験のお手伝いをしているので行けません。
一般客で体験希望の方に簡単なやり方を教えるというか、見せるだけですけども。
あぐらをかければあとの作法は間違えても大丈夫なものだし、身体が固い人だったら、たぶん腰かけるだけでOKになると思います。
木の棒でバシーンと肩を叩かれるイメージのあるアレ(警策きょうさく、といいます)も、宗派とかによって全然違うし、うちは女子大なのもあって、何回もバシバシ叩かれたことはありません。喝、と言うように、修行者を激励するためのものなので、むしろざぜんしている側の人が、「(眠気や瞑想などの)邪念を飛ばしてください」という意味を込めて手を合わせてお願いするものなんです。お坊さんからいきなりは、うちはないですないです。
修行僧じゃないし。学校だし。女子大だし。
まあざぜんの授業で寝てたら叩かれますけどね。軽くね。
というわけで、もし本当に興味がある方はメールででも連絡くださいな。アクセス方法や日時や場所をお教えしますよー。
去年は二日間で10人くらいしか来なかったらしいので、おそらく相当私は暇でしょう。


まあそんな感じで、私は再発におびえる日々を過ごしていますとさ。
……まあ、もしも、3か月くらい日記の更新がなかった時は、その時は本当にごめんなさい。察してください。
そうならないように、したいとは思っています。
そうなる時は、たぶん事前に日記を更新すると思います。ここは私の日記帳だから。
なんか、暗くてごめんね。早く元気になろうと思います。
たとえ誰も私のこと知らなくても、勉強できなくなったら学費もったいないもんね。
ってことでまた次回。おやすみなさーい。
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