まったりぐったり日記 メモ 夏古
2005年05月28日(土)  今思えば
おおう、日記見れば分かると思うけど今日はなんだかちょっと疲れ気味だぜ…。
こんにちは、朝起きると身に覚えのない青あざが出来てる夏古です(やばい)。
ここ1年ぐらい良かったのに、また寝相悪くなってきたのかな…。

ハイハイハイハイ。
じゃあ今日はひっさしぶりに頭に「う」の付く気持ちがやってきちゃったので愚痴たーいむ。
以下自己分析だけなので、今日の日記はスルーしたほうがいいです。



結局昨晩は夜更かしらしい夜更かしはしませんでした…(あれだけ言っておいて)。
録画したタイガー&ドラゴン夜中に見たぐらいでした。
昨日は空中ブランコとT&Dのどっち見ようかと悩んだ末に、空中ブランコのほうを生で見ることに決めたので。
んで母と二人で空中ブランコ見てたんだけど。
母(と風呂上がりの父)がいやに「ブランケット症候群」に反応してくださいまして。(どうでもいいですが、ブランケット症候群、って実際には無いんですかね。検索しても「空中ブランコ」に出てたってことしかないし、作者が作ったのかな)
っていうのも、私小さい頃ホントにどこに行くにも毛布持ってたらしいんですよ。
七五三の写真にも載ってるらしいんだけど、私それは見たことない…。
毛布全部じゃ邪魔だから、と母がちっちゃく切った切れ端を持たせてくれてたのですが、あるとき病院へ行ったときに私はそのボロボロの雑巾のようになった毛布をおいてきてしまったらしく、そのまま行方不明になったそうです。
一応あとで探しに行ったのですがもう手遅れだったようで、母が「あんたが置いてきちゃったんだからね。もうボロボロだったから捨てられちゃったのかもしれないよ」と私を説得したらしいです。
で、まあその当時…いくつだったのかな、3・4歳だと思うのですが、とにかくその時の私が泣くこともせず我が侭も言わずただ「わかった」とだけ言って納得したのを見て、母は「なんて聞き分けのいい子だ」とえらく感動したらしいです。
…まあ、そんなことあっても、俺持ってたことすら覚えてないので、「らしい」としか言えないのですが。
っていうかちょっと3歳4歳の子どもとしてその反応はどうかと思うよ自分。
そして母の「聞き分けのいい子」という感想にもちょっとどうかと…もっと心配しようよ。
子どもがそんだけ大事にしてたもん失くしたっていうのに泣きもせずただ「わかった」って納得するのって、よっぽど頭良いかもしくは精神状態に欠陥があるような気が…ちょっとやばいと思うんだけど…。
…自分のことながら、昔から変だったんだなあと思います。
っていうか、今でも「ブランケット症候群」に似たことがあるのでなんだかなあ。

昔からそういう浮いてるとこはちっとも変わってません。
これってもしかしたら生まれつきなのかも。
うちってどっちかっていうと父方の家系がとにかく微妙でして、常識の認識が微妙に世間とずれてるんですよ。おまけに悪気の無い無神経ばっかり。
でもって、うちの母方の家系はとにかくふっつーうの家庭でして。
母方の祖父母宅のほうが家から近いので、会う回数も母方の家系の方が昔から多くて、たぶんそっちよりの思考になってるっていうのもあると思います。
父は周りに気を遣うということがないし、そのくせ変なところで神経質になる。
母は至って普通の人なんだけど、近年では年を重ねるごとに私たち家族の気持ちが理解出来ていないのかちょっと言葉が辛辣なものへと変化している。なんというか、弟との接し方が微妙に分かっていないような気がする。私たちももう大きくなったし、そのせいで大人のように扱うのかもしれないのだけど、私は昔の子どもにはキツイことを言わない母の方がいい。
…違うんだ、こんなことを言いたいんじゃないんだけど。
父さんも母さんも悪い人じゃないんだ、どっちかといえば間違いなくいい人だ。
いい人なんだけど…。

もしかしたら、変わったように感じているのは、むしろ私が原因なんだろうか…。
大きくなって色んなことが、世界が見えてきて、でもその世界に触れることは極力したくなくて。
私には何にも代え難いものができてしまった。
それが何よりも大事だと、自分が必要としていると、気づいてしまった。
だから暖かい毛布に、私は二人で包まれていればそれで幸せ。
そのまま永遠に一緒にいたって構わないのに、それは例え天地がひっくり返ったとしても、私が生きてても死んでいても無理な話で。
私たちが一緒にいられるような、二人だけの世界はやってこない。
でも、私は必要としている。
この世で一番私がほしいものを、私は必要としている。
そして私も、私が一番ほしいものに、必要とされている。
こんな幸せ、本当だったらきっとどこにもないんだろう。
私はこの世で一番の幸せ者で、だけど不幸なのかもしれない。
だから私は二人でいるときに死ぬことが出来ればいいと願う。
それが叶えられないのなら、どうか、私は私のせいではない死を与えられるように願うしかない。
私のせいなら、私は満足できてもまわりのひとたちに迷惑をかける。
私のせいじゃなければ、私も満足できて、周りのひとたちも納得が出来る。
そして出来れば、私にその時が来るのが家族の前では無いように祈る。
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