| まったりぐったり日記 | メモ 夏古 |
| 2004年08月15日(日) 明日は特別な日だから今日までの人生を振り返る |
| 今日の日記は、昨日の日記のあとに書く予定のものだったので、ちょっと内容が突然過ぎかもですが、ご了承下さい。 そして、今日の日記は、私が自分のために書いています。 私が、私の全てとケリをつけるために、トラウマを作った彼女とケリをつけるために、書いています。 見てもらっても構いませんが、私以外の人には分からないことばかりだと思います。 暗くて異常に長い上に、少々見ていて気分が悪くなる方が出そうなことも書いてあります。そういうのが嫌な方は見ないで下さい。 それでもいい方だけ、見てください。 明日トラウマと会います。 私が鬱状態になって、うつ病と診断されてから、ちゃんと面と向かって会うのは明日が初めてなので、本当に何があるか分かりません。 かっとなって何かしちゃうかもだし(理性ばかりは有り余るぐらいあるのでそんなことにはならないと思いますけども)。 ぶっちゃけ遺書代わりですよ、こんにちは夏古です。 ぶっちゃけ、私はこの日記をただのウェブ日記とは考えてないんですよ。ウェブ上には公開してますけどね。 どちらかというと、自分のためのかなり私的な日記として書いているつもりです。 もちろん公的な場ですから、「書かないほうがいいかな」「ここまで書いちゃマズイだろ」と自粛していることもあります。 だから、私にしか分からないことも書いてあるし、他の人が分からなくてもしょうがないんです。 私の持論は「人の心は、他人が推し量ることは出来ても、その全てはその人本人が伝えない限りは本人にしか分からない」ですので。 何が言いたいかというと、「下に書いてある文は夏古以外の人が見ても分からないことだらけだと思いますよ」ってことです。 昨日の日記で「幸せな誕生日を送った」と書いたんですが。 もう本当にここ数年なかったんですよ、一日中幸せな気分に浸るなんてことが。 でまあ、「なんでこんなに幸せなことが続いちゃったのかな?」を考えて、たぶん「最後の誕生日だからかなー」とか思って、じゃあこのあといつもよりもすんごいヤバイ鬱が来るんだろうなあ、と思ってたんですよ。 っていうか、ある程度覚悟したんです、うん。 したらね。 昨日の朝起きてすぐにトラウマの原因の名前を聞いちゃってね。 先日言ってたお祭りのメンバー(私+友達3人の計4人)の他に、友達2人とトラウマも追加されました。 中2の時、最初の4人のメンバーのうち私と友達2人とトラウマが仲良かったので、「最初の4人で行く」って言ってたときから、万が一の確率でトラウマも来るかもしれないとは思っていたんですけど。 ●「トラウマ」がなんだか分からない人もいると思うので、補足。 (っていうか、2年半前からの私の人生って言ったほうがいいかも。) 私が中2の3学期をおくっていたある日、パソコンのメール(当時は携帯を持ってる子は半々しかいなかったので)をし合っていたりとクラスで一番仲の良かった女子S・Sが私だけを突然無視し始めました。 私にはそんなことをされる覚えが全くなく、突然の出来事に軽く戸惑っておりました。 そして当時S・Sと私と同じグループ(よく女の子がつくるグループのことです)だった別の女の子に聞いたところ、「それは夏古がS・Sが話しかけてるのに本読んでばっかりだったからじゃない?そんなようなことをS・Sが言ってたよ」と言うじゃありませんか。 私は昔から読書が好きで、時間さえあれば本を読んでいるような子どもで、一回読み始めると確かに周りの声が聞こえなくなることもしばしばありました。 その事実を聞いたあとも、初めての「無視」という体験にただただ茫然として教室で私のひとつ前の席に座るS・Sにどう接したらいいのか分からずにおり、数ヶ月ほどの間、その同じグループの子が言った「それは夏古がS・Sが話しかけてるのに本読んでばっかりだったからじゃない?」と言う言葉を忘れていました。 そして一週間ほど経ったある日。 同じ部活の友達と一緒に帰っていたら、後ろからS・Sがやってきて私に向かって言いました。 「もう(パソコンの)メールいらないから。もうメールいらないから」 なぜか2回も言ったんです。 それ以後も3学期が終わるまでしばらく顔を合わせ続け、相変わらずどう接すればいいのか分からずにいて、春休みに入りました。 春休みが終わって中3になった私は、S・Sとは違うクラスになり、新しいクラスに緊張していたのですが(誰でもそうだと思うんですが。)、なぜか突然にめまい・吐き気・頭痛・抑うつ気分などに襲われ、おまけに頭痛がすると仮病を使っては学校を休むようになりました。 実は、3年にあがったばかりの5月下旬に修学旅行を控えていた私の学年は、修学旅行1日目2日目のクラス行動・クラスの班別行動のほかに、2年の3学期から旅行3日目のための「好きな人同士でのグループ行動」というもののためにグループを作りどこへ行くか話し合いをしていました。 そのグループにS・Sも一緒にいたんです。 たぶんこのことも体調が悪くなったことのひとつの原因だと思います。 で、3年にあがってからも当日の行動予定のことで話し合いをしなければならず、私はS・Sと顔を合わすことに全然気が進みませんでした。 事実、向こうもその話し合いの場ではあまり私と話はしなかったんです。 そしてあれよあれよという間に修学旅行3日目になりました。 そこで彼女は今まで何事もなかったかのように、私に話しかけ笑いかけてきたんです。 私はまたもそのことに戸惑ったのですが、「せっかくの修学旅行だし、向こうが無かったことにしてるなら私も今日一日ぐらいは無かったことにしよう」と精一杯普通を装いました。 そして何事もなく修学旅行は終わったものの、S・Sはそれ以来廊下ですれ違ったりすると無視をする前のように普通に私に話しかけるようになりました。 私は次から次へと態度を変える彼女に正直ついていけませんでした。 「どうしてメールをいらないって言ったんだろう。何で嫌いになったんだろう」と考えても考えても答えにたどり着けず、最後には何もかもが嫌になってしまい、「死にたい」と思うようになっていきました。 そんなことがあって、私はどんどん体調が悪くなっていきました。 病院にも行って、MRT?とかいろいろ検査もしたものの、頭痛の原因は特定出来ませんでした。 そして私はインターネットで見つけてしまったんです。 「うつ病」という病気があることを。 頭痛・めまい・吐き気・鬱と、それはまさしく私の症状の全てでした。 何軒目かの病院へ行った帰りに母が「神経性のものかもしれない」と言い、その後神経内科へ連れていきました。 そこで出された診断は予想していた通り「うつ病」でした。 薬を出され、「カウンセリングに通ったほうが良い」と言われてカウンセリングだけをしてくれる先生のもとへしばらく通ったものの、その先生と馴染めずに結局はやめ、その神経内科もいつしか行くのをやめてしまいました。 あ、その前に、7月に左手首を小刀で切りました。 血は出なかったし傷も出来なかったんですが、丁度その現場を帰ってきた母に見られてしまい、私はそのことに動揺して泣きじゃくり、母もまた驚いたのだと思います、泣いていました。 次の日から一週間ほどの間、母が仕事に行っている午前中は母方の祖母が家に来るようになりました。 それでも私は夏休みの間、受験のために塾へ通って勉強をしました。 少しは行きたい高校もありました。 夏休みが終わり、私の学校で唯一大好きだったと言っても過言ではない部活を引退し、今まで「部長」という立場があったために行く気のあった学校も、その立場が肩から降りたのをキッカケに、本格的に休むようになりました。 そして迎えた受験の季節。 中3の2学期という、受験生にとって一番大事な時期をほぼ休んだために、担任の先生から「出席日数の関係で、私の行きたかった公立の高校ばかりか公立高校自体を受験することが出来ない」と言われました。 その一番行きたかった公立の次に行きたかった私立もダメだ、とも。 それは仮にも受験生の端くれである私にはショックなことでした。 私はその頃、鬱のせいか、なぜか「お金が、お金が」と思っていて、病院に行くことさえも「お金がなくなる」と心配していました。 私の家は決して裕福ではないし、そればかりかたぶん日本の上中下で言ったら下に入るし、かといって貧しいのかと言えばそうでもないのですが、家は父の会社の社宅だし、周りの友達のようにマンションを買ったり一軒家を建てられるほどのお金はありません。 「弟もいるし、いまここで私が私立へ行ったら確実に将来困るだろうな」と異常なほどにお金の心配をしていた私は、結局悩んだ末に担任の先生が教えてくれた「通信制高校」へと進むことにしました。 定時制なら確実に4年通うことになりますが、通信制ならば頑張れば3年で卒業出来ると聞いたからです。 その後、一度だけ隣町の心療内科へ行きました。 そこの先生に今までの話をし、母もその先生と話をしました。 病院から帰り、父は母にその病院の様子を聞きました。 母は「私はあんなところに行くのはもう嫌だ。今度からあなたが一緒に行ってよ」と言い、私はその言葉を聞いて、母が私やその病院に通う心の病気の人に対して偏見を持っているのかと思い、「お母さんはあの病院に私が行くのをどう思ったの?」と聞きました。 母は泣きながら「心の病気の人が行く病院よ。あんたがそうだっていうことじゃないの。私はそれが嫌なの」というようなことを言いました。 私はそのとき初めてちゃんと母が泣いているところを見ました。 「母が泣いている」ということにすごく驚いて、自分が悪いことをしたと思うと同時に、母もひとりの人間だと初めて知りました。 このことは、私はおそらく一生忘れないと思います。 それほどまでにビックリしたんです。 そして中学を卒業して高校に入ってからも、私は鬱に悩まされていました。 なので、高校入学の4月からは、私が小学校の6年間通っていた小児科のカウンセリングの先生にカウンセリングをまたしてもらうことになりました。 現在進行形で私の通っている高校ではクラスはあっても、みんなが全員一緒に顔を合わせることもなければ、ココと決まった教室もなく、自己紹介もないのです。 今まで小学校中学校では、「同じメンバーで同じ教室の中で同じ勉強をして、いつの間にか相手のことをしっていつの間にか友達になる」というパターンだった私には、入学して9ヶ月の間友達が出来ませんでした。 ただただ一人で黙々と静岡の学校へ向かい、一人で授業を受け、一人で弁当を食べ、一人で勉強をする、孤独な生活を続けていました。 中学のときの友達にも気後れしてしまってメールすら出来なかったため、本当に私は朝起きてから家で一人でいてテレビを見てネットをして、夜には家族と喋ることしかせず、週に一度のピアノ教室以外は狭い空間に生きていました。 9月になって某英会話を始め、週に3日の外出をするようになり、私は悩みに悩んだ結果、鬱と自分から決別をすることを決めました。 それから本当に一進一退の少しづつですが、前よりも良くなっているような気がしています。 相変わらず病院には通っていないし、通おうと思っても、もう家族はみな私がもとに戻ったと思っているはずなので、大変言いづらいです。 カウンセリングの先生も、私が小さい頃から会っている人なので、先生と言うよりは友達感覚で会うようになってしまい、最近では突っ込んだ話は皆無です。 それでも、昔のようにただのうつ状態はだいぶ減っています。 その分、精神的に参ってしまっているときは本気で死について考えるようになってしまいましたが。 そうして、私はいま生きています。 それでも、あの日、S・Sが「もうメールいらないから」と言った時の私と彼女のいたイチョウ並木が忘れられません。 彼女がああいうふうに言わなければ、いま私はこの学校にいなかった。もっと輝いた未来があったかもしれない。もっと別の未来があったかもしれない。それでも彼女を憎めない。もしかしたら何か私の知らない理由があったんじゃないか。許したくても許せない。 そんな思いばかりが増えています。 今でも、彼女のしたことに私の心は傷つけられているのかもしれません。 いろいろなことを一人で考えすぎて、自分の考えのどれが本当の私の意見なのか、それすら分からなくなりました。 「何か良いことがあったら、必ず何か悪いことが起きる」と信じてしまうようにもなりました。 私だってこんなことばかり考えて、こんなことを抱えて生きていくのは性にあいません。 なにしろあの日以前の私は、明るくて活発なリーダー的な人だったので。 いまはまるで真逆を生きてますけどね。 だから、私は明日彼女に会います。 何を話すかは考えていないし、自分でも何を言いたいのか分かりません。 彼女を恨んでるのか恨んでいないのかもわかりません。 それでも、彼女に会うことで何かが変わると確信しています。 それが良い方になのか悪い方になのかは、明日彼女に会うまで分かりません。 明日のことなんて分かりません。 わずか1秒後のことですら誰にも分からないし、わずか1秒前の目の前にいる友達の心だって私には分かんないんです。 だから私は明日確かめにいきます。 何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。 ここまで読んで下さってありがとうございました。 私は「何も分からない」ことに向かっていくことに決めました。 |
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