メモ - 2009年04月26日(日) 眼鏡→見ること・断片 眼鏡が合わなくなる。かけかえる。視界が一定しない。視界が一定しないと、身体がぐらつく。世界との関係がぐらつく。「見る」ということについて考える。 ●白川静先生の「字統」より。見るという行為は対手に向かって霊的な交渉をもつことを意味する。見ることによってその霊は「見れる(あらわれる)」とある。「初期万葉論」より。自然との交渉の最も直接的な方法は、それを対象として「見る」ことであった。また、「見る」ことの呪歌的性格は、「見れど飽かぬ」という表現によっていっそう強められる、という。 見れど飽かぬ吉野の川の常滑(とこなめ)の絶ゆることなくまた還り見む 柿本人麻呂霊的なつながりを絶やすことへのおそれ。保ち続けることへの意志・欲望。「観光」の本義もここにあるのか。 ●棟方志功と池田満寿夫の番組をBSでやっていた。池田満寿夫も言っていたが、見ることはすでに欲望だ。聞くことは待つことだ。何かが自分のもとに訪れるのを、何かが自分の中に入ってくるのを待つことだ。見ることは待たないことだ。時間を狩る・刈りとることだ。見ることは欲望することであり恋情の矢だ。トーマス・マン「ベニスに死す」のアッシェンバッハのように。美少年に恋して「見れど飽か」ず、さまようアッシェンバッハの姿は、恋する心の痛みに満ちた表象だ。肉体がすでに沈みはじめた船であっても、対象をもとめる眼・視線は、熾火のように燃える。眼だけがふらふらと奔り出る。江戸川乱歩「押絵と旅する男」で、男の兄は遠眼鏡で距離を刈り取り、押絵の恋人を発見した(切り取った)。恋情は遠眼鏡に充填され、恋の矢となって放たれた。人にあらぬ恋人と添うために、最後に兄は、弟に遠眼鏡で覗かせ、自分自身の像を遠眼鏡に充填する。 ●古事記、火の神を産み落として神避(かむさ)ったイザナミを追うて黄泉の国に入ったイザナギ。会いたい見たい一心でやってきたが、タイミングをまちがった。(時間を刈り損ねたのだ。)「覗く」という態度で、見てはいけないものを見た。蛆タカレコロロクイザナミの姿だ。見ることのタブー(禁忌)。見ることはときに危険を伴う。欲望が禍々しきものを喚ぶ。 燭一火。入見之時。宇士多加禮斗呂呂岐弖於頭者大雷居。於胸者火雷居。於腹者黒雷居。於陰者拆雷居。於左手者若雷居。於右手者土雷居。於左足者鳴雷居。於右足者伏 雷居。并八雷神成居。於是伊邪那岐命見畏而。逃還之時。其妹伊邪那美命言。令見辱吾。即遣豫子母都志許賣令追。 令見辱吾。アレニハヂミセツ。私に辱をかかせたわね。ハジをミセツ。「見せつ」という表現が気になる。 ●「国見」は高いところから見る。見ることは所有すること、統治すること。高いところから見られている対象は見かえすことができないから、見ることがは権力だ。パノプティコンPanopticon(全展望監視システム。全てをpan-見る-opticonの意)。透き見(窃視)は、高いところからではないけれど、やはり対象は見られていることを知ることができないから、所有、被所有の関係になる。圧倒的な非対称。恋はときに強い所有への欲望だ。そしてそれは目で見ているだけでは終わらない。土地(地霊)との霊的交渉であった「見る」は、人との交渉(男女の関係)の意になる。 逢ひみてののちの心にくらぶれば昔は物を思はざりけり 藤原敦忠 見ているだけだったのが逢うことにより「相見る」ことになる。所有を欲望した対象から所有されることになる。見て見られて、心も身体も縛られる。縛られることが苦しみでもあり喜びでもある。 ●先日教えてもらった歌。 手にむすぶ水に宿れる月かげのあるかなきかの世にこそありけれ 紀貫之 じっと「見ている」歌。ここで、「見る」ということは世界の外に出て、外から「見る」ということなのだろう。辞世の歌らしい。「この世」にありながらすでに「この世」の外にでているというわけだ。古今集の時代には、人は言葉で世界の外に出られるようになったということか。天上の月と手の水に宿る月とあるかなきかの世が次々と等価で交換されてゆく。外から世界を見ているが、この際、見ることは世界の所有を保障しない。対象は揺らぐ。見ている世界を安定的に所有できない。むしろ見ることで世界に疎外されるようだ。果なし(はかなし)。 ●眺める。眺む。ぼんやりともの思いにふけって見る。小野小町も伊勢物語の女も、見るべき対象を定められずにいたのか。それが「眺む」だろう。和泉式部日記の冒頭もそうだ。 夢よりもはかなき世の中を嘆きわびつゝ明かし暮すほどに、四月十余日(よひ)にもなりぬれば、木のした暗がりもてゆく。築地(ついひぢ)のうへの草青(あを)やかなるも、人はこ とに目もととゞめぬを、あはれとな がむるほどに、 近き透垣(すいがい)のもとに人のけはひすれば、誰(たれ)ならんと思ふほどに、故宮に候(さぶら)ひし小舎人童(こと ねりわらは)なりけり。 恋人は死んでしまった。「見る」対象の欠如。視界の中心は空虚だ。視線を一点に集中させることができないのだ。そんなとき世界は夢よりもはかないのだ。 ●子どもの本からかけ離れてしまったので、これまでの文脈とはつながらないけれど、最後に子どもの本の紹介を。エゴン・マチーセン「あおい目のこねこ」。 たぶん人生の最も初期に出会って人格の重要な部分を形成したかと思われる一冊。今も大好きな本だ。主役のこねこはやせっぽちで相当変な顔。ほかのねこたちにあれこれいわれても、迎合しない。かっこいい自由な猫だ。「やまをのぼって やまをくだって」「またまたのぼって またまたくだって」何度繰り返して読んだことか。こねこのすばらしいあおい目はとうとうねずみの国を見つける。ほかのねこたちも恩恵にあずかる。あおい目のこねこは自由だが、王者の資質を持っている。限定された配色が、こねこの(何かを見つける)目をひきたたせる。 あおい目のこねこ (世界傑作童話シリーズ) 作者: エゴン・マチーセン, せたていじ 出版社/メーカー: 福音館書店 - 読み終わったら押してみる。
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