ぱらやんの撃痛リーマン日記...ぱらやん

 

 

【その時歴史がフゴイド〜急転直下〜】 - 2006年03月27日(月)

犬の栄養学を学ぶ前に自分をどうにかしろって?






こんにチワワ。(でもロングコートは嫌い)

某所の紹介文で綱吉をリスペクトしていると思われるほどの犬狂いデス。

真にありがたい表現ついでに、ここで一つ一般大衆の誤解を解こう。






「生類哀れみの令」と「犬贔屓」をごっちゃにしちゃイカン!






綱吉の歴史的評価が低い原因の一つでもある「生類〜」であるが、

その施行は1687年。犬を大事にせよ、と進言したとされる隆光僧正は

実はまだこの頃、江戸に入ってきていない。



「生類〜」の本質は民衆に対する文治政治を徹底するための一環として

取り入れられた、とされる説が現在では有力なのである。

実は半島を馬鹿にできんのだ。当時は戦国時代の名残で犬食文化が

残っており、隣人の飼い犬を勝手に食っていざこざになるなど日常茶飯事

だったりする。武士もやれ鷹狩りだ、鳥撃ちだと治世に関係ないところに

励んでたりする風潮が強かったのだ。そのため、今で言う「構造改革」を

将軍自ら率先して断行していった次第なのだ。

(武士も民衆も、もっと知的に節度を持って生きようZE!というこっちゃ。)



で、犬贔屓に関してなのだが、当時は江戸の町では野良犬が大量に

居り、衛生上とても宜しくない。そこで一っ所に集めて管理していた。

それが有名な中野の「犬お屋敷」である。これは欧米の歴史家も高く

評価している野犬対策法とされている。加えて「捨て子」を地域住民が

責任を持って世話するように、という人権に配慮した法も制定している。

犬だけじゃないのですよ。



まぁ多少、急激で強引な構造改革であったんでしょう。特に現代ほど

情報が正確に伝わる世の中ではなかったですしね。その辺の誤解が

風刺文献を残し、綱吉低評価の最大の要因となったのではないかと。

(二度の大火や富士山噴火、赤穂浪士の討ち入り等イメージ的マイナス

 要素もかなりありましたしねぇ・・・。)






最終的結論。

ワタクシは将軍綱吉の先を見通した愛護精神をリスペクトしております。









私的爆弾発言:

「江戸300年奇跡の平和期間」を意図的に「武士による圧政300年」と

曲解させようとする連中がいる。今も世界に誇れる江戸の町人文化が

花開いた時代だというのになぁ。

やはり日教組による自虐史kうわおまえなにあqwsれdtfyぐひじょk


...




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