徒然なるままに…
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「尊敬する」ってどういうことなんだろう。 以下、考えたことをつらつらと。 考えたまま書いているから、読みにくいでしょう。たぶん。 そんなことはお構いなしに書く。
『大字林 第二版(Web版)』によれば、
尊敬: 人格・識見・学問・経験などのすぐれた人を、とうとびうやまうこと。
と書いてある。 ふむ。言ってることは分かるけど。分かるんだけど。 「すぐれた人」である必要はあるのかというのがまず疑問。
定義を読んでもあんまり納得しないということで、身近なところから考えてみる。 私が尊敬する人はどんな人か。 真っ先に思い浮かぶのは、無条件で子供を愛することのできる親。 見返りを求めない愛というものを、一番顕著に見られるのが親子関係なのではないかと思う。 (もちろん例外もあると思うけど。) それ以外は、、、うーん。 「すごい」と思う人はたくさんいるけど、「尊敬する」とはまた違うんだよなぁ。 思いつかない。
私の中で、「〜として尊敬する」というのはよく分かるけど、「(人)を尊敬する」というのはピンとこない。 ある人を色々な面から見て、全ての面において尊敬できる人なんていないんじゃないかな。 それと、その人についての知らない面までも尊敬することはできない。 というのは屁理屈か。 でも、少なくとも私は、ちゃんと知っている面でしか尊敬できない。 知りもしないで「尊敬する」と言ったところで、本当は尊敬してないんだと思う。
それと、「尊敬する」には、「自分にはできないことをしている」というのが含まれる。 もちろん「自分にはできない」というのは、「それをやることに価値はあるけれども自分にはできない」ということ。 自分が価値がないと思っていることであれば、それは「尊敬する」とは言わない。 あぁ、この辺が辞書の「すぐれた人」という記述につながるのか。 「すぐれる」でまとめるのはちょっと強引な気もするけど。
あぁ、思いついた。 尊敬する人。 周りに振り回されず、自分を信じてコツコツ続けて、周りから認められる成果を出す人。 (周りから認められる成果が出ないと、ただの自己満足になってしまう。) あとは、ちゃんと自分を疑うことのできる人、かな。
自分を信じる=「自信」について思いついたことを少し。 「自信」には少なくとも二種類あると思う。 根拠のない自信と、積み重ねによって得た確実な自信。 私が根拠のない自信を感じるのは、「あ、これやってみよう!」というような、 何か新しいことを始めるとき(まぁ、普通は自信よりも不安の方が大きいんだけど)。 直感みたいなもんかな。 根拠のない自信や直感って馬鹿にできないと思うけど、でも、ずっとそれだけというのは弱いんだよなぁ。 実際にやってみて、自分の感覚を疑いつつ、それでも少しずつ確実なものを 積み重ねていって得た自信を持っている人は、強いと思う。
こんな感じかな。 個人的には、「尊敬する」は滅多に使わない言葉。 軽々しく使える言葉ではない、と言った方が良いかも。 久しぶりに長々と書いてしまった。
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