徒然なるままに…
DiaryINDEXpastwill


2008年03月06日(木) 尊敬する?

「尊敬する」ってどういうことなんだろう。
以下、考えたことをつらつらと。
考えたまま書いているから、読みにくいでしょう。たぶん。
そんなことはお構いなしに書く。


『大字林 第二版(Web版)』によれば、

 尊敬:
 人格・識見・学問・経験などのすぐれた人を、とうとびうやまうこと。

と書いてある。
ふむ。言ってることは分かるけど。分かるんだけど。
「すぐれた人」である必要はあるのかというのがまず疑問。


定義を読んでもあんまり納得しないということで、身近なところから考えてみる。
私が尊敬する人はどんな人か。
真っ先に思い浮かぶのは、無条件で子供を愛することのできる親。
見返りを求めない愛というものを、一番顕著に見られるのが親子関係なのではないかと思う。
(もちろん例外もあると思うけど。)
それ以外は、、、うーん。
「すごい」と思う人はたくさんいるけど、「尊敬する」とはまた違うんだよなぁ。
思いつかない。


私の中で、「〜として尊敬する」というのはよく分かるけど、「(人)を尊敬する」というのはピンとこない。
ある人を色々な面から見て、全ての面において尊敬できる人なんていないんじゃないかな。
それと、その人についての知らない面までも尊敬することはできない。
というのは屁理屈か。
でも、少なくとも私は、ちゃんと知っている面でしか尊敬できない。
知りもしないで「尊敬する」と言ったところで、本当は尊敬してないんだと思う。

それと、「尊敬する」には、「自分にはできないことをしている」というのが含まれる。
もちろん「自分にはできない」というのは、「それをやることに価値はあるけれども自分にはできない」ということ。
自分が価値がないと思っていることであれば、それは「尊敬する」とは言わない。
あぁ、この辺が辞書の「すぐれた人」という記述につながるのか。
「すぐれる」でまとめるのはちょっと強引な気もするけど。


あぁ、思いついた。
尊敬する人。
周りに振り回されず、自分を信じてコツコツ続けて、周りから認められる成果を出す人。
(周りから認められる成果が出ないと、ただの自己満足になってしまう。)
あとは、ちゃんと自分を疑うことのできる人、かな。


自分を信じる=「自信」について思いついたことを少し。
「自信」には少なくとも二種類あると思う。
根拠のない自信と、積み重ねによって得た確実な自信。
私が根拠のない自信を感じるのは、「あ、これやってみよう!」というような、
何か新しいことを始めるとき(まぁ、普通は自信よりも不安の方が大きいんだけど)。
直感みたいなもんかな。
根拠のない自信や直感って馬鹿にできないと思うけど、でも、ずっとそれだけというのは弱いんだよなぁ。
実際にやってみて、自分の感覚を疑いつつ、それでも少しずつ確実なものを
積み重ねていって得た自信を持っている人は、強いと思う。



こんな感じかな。
個人的には、「尊敬する」は滅多に使わない言葉。
軽々しく使える言葉ではない、と言った方が良いかも。
久しぶりに長々と書いてしまった。


DiaryINDEXpastwill
ryo |yaplog!MAIL