徒然なるままに…
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他人の存在を介して自分の存在を確認することは、よくあること。 もしかしたら、他人の存在を介することによってしか、自分の存在なんて確認できないのかもしれない。 でも、私が(たぶん)望んでいるのは、他者を介さない自己確認。 自分の中で、自分の存在を確認したい。 極端に言ってしまうと、「自己=他者以外」「他者=自己以外」なんていう意味のない定義はしたくないということ。 そう定義したところで、一体何が分かるというのか。 いや、分かることもあるかもしれないけど、それは私の求めているものではない。
私のありのままの存在を、そのまま受け入れてくれている人が、わずかだけれどもいる。 わずかでもそういう人がいるというのは、それだけでも素晴らしいと思う。 でも私にはそれだけでは足りなくて、その人にとって自分が一番の存在であることまで望んでしまう。 無理な望みだとは思うけど。(でも叶ったことはある) 何故私はこのような望みを持つのか? うーん、それはたぶん、他者を自分の一部にしたいからかな。 「あなたの心の一部を私にちょーだい」って言ってるようなもんだよ、きっと。 そうすることで、結果的に自分の存在の確実さが増す。(あくまでも結果的に、であって、これは目的ではない)
でも、ありのままを受け入れてくれる人(しかも、私が望むような形で)って、 いても結婚してたり彼女持ちだったりすることが多い。 それ自体は別にいいんだけど、何ていうか、私の望みが果たされた場合、そのプラトニックな関係って何なの?と。 心地良いんだけれども、負い目を感じてしまう。 お互いにしんどくなってしまう。 そういう人が人生の伴侶になり得る人ならいいんだけど、結婚してる人とかだとそういうわけにもいかず。
兄も私をありのまま受け入れてくれる人の一人なんだけど、兄の場合は「家族」だから 特に兄の恋人に遠慮することもなく、そういう関係が築けた。 でも結婚してしまうと、やっぱりちょっと寂しいけど。
何だかよくわからないな。 色々と頭の中で考えたことを文章にすると、自己矛盾に気づくんだけど、 それは異なるレベル(というか、層?)にある事を、同じレベルでごちゃまぜにして言ってるからだと思う。 なんて「いかにも」な事を言ってみたけど、矛盾してたっていーじゃーん、というのが本音。 理由なんて後からいくらでも付けられる。
たまには頭の中を(ほぼ)そのまま文章にしてみるっていうのもいいよね。 (読んでる人は訳が分からないかもしれないけど、これ、私の日記だし。)
ところで、兄の結婚式は無事終了。 見ず知らずの人にまで祝福してもらったり、というなかなか良い結婚式だった。 私はどうやら、兄の奥さんを既に家族として認めているようで。 というのも、家族と喋るときだけに使う変な言葉(他の人がいるところでは絶対喋らない)を 兄の奥さんの前でも普通に使えたから。
ふぅ。
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