第2期も無事に最終回を迎えました。 第1期の方がいい話が多かった、というのが大方の感想ですし、まあ正直私もそう思わなくもないのですが、物語の構造みたいなものから考えると、仕方がないかなとも思います。 第1期の話では、ほとんど夏目は「傍観者」でした。切ない話を繰り広げるのは主に夏目以外のキャラであり、人間には到底持ち得ないような純粋さや一途な想いを妖怪に持たせ人間と関わらせることで、人間である視聴者の中の「妖怪的な部分」に訴えかけるという性質を持っていました。 (しかし、好きな作品をこういう分析するのも物好きだよなあ) そこでは、夏目は人間や妖怪の心の機微(笑)を「学ぶ」側でした。 しかし、いつまでもそれを繰り返すと、夏目自身は何も変わらないことになります。 夏目を変化させること、成長させることを完全に拒否しなければ、このパターンはいつまでも続くことはないのであり、実際、第2期からは妖怪とのバトル漫画に近づいていきます。 それしか、「夏目を変化させつつ話を続かせる」方法がないからです。 第2期の最終回は「人と妖」でした。 「どちらを取るのか」と妖怪退治人である名取が言います。 夏目の答えは「どちらも」でした。 いいヤツと悪いヤツ。それは人間だからとか妖怪だからとかでは区別できない。夏目にとって大事な存在は、人間にもいるし妖怪にもいる。 それでいいじゃないか。 という結論です。 テーマが夏目自身の成長であるので、「彼にとって大事かどうか」で決めることはやむを得ないとはいえ、ここではシビアな選択が巧妙に回避されているような気がします。 「夏目にとって大事な存在だが、その他大勢の人間に害を及ぼす存在」というのが、登場しないことです。夏目にほだされる妖怪は、そのまま消え去るか「人を食う」という行為が描かれない(あるいはもともとしない)か、どちらかです。 夏目が「居場所を得る」という意味では、もう第2期で終わったと見てもいいかもしれません。とすると、第3期では、夏目は藤原家を離れて妖怪退治の旅にでも出るか、学校を卒業するか、とにかく「別の場所」を必要とすることになります。 「自分を活かす場所」をです。 原作がどうなっているのか読んでいないのでわかりませんが、バトル路線で行くか、レイコさんの過去の話をするか、そのあたりではないでしょうか。第3期は難しそうだなと思います。 ニャンコ先生は夏目の用心棒として側にいますが、いつかは夏目と別れることになるのではないか、と思います。作者(たぶん)も読者もそれを望んでいないので、その話が描かれることは恐らくないでしょうが。 というわけで、『夏目友人帳』は危ういバランスで成立している作品だな、というのが私の感想です。
|