| 2009年02月22日(日) |
ウチダセンセイのブログより |
“「言葉にできる」というのは理解され、共有されるということであり、それは「かけがえのなさ」uniquenesse 「代替不可能性」irreplaceablity という「いのち」の定義に悖る。
言葉にすることができないものが、私たちひとりひとりの「命」soul をかたちづくっている。”
語りえぬものについては人は沈黙せねばならない、という有名な結句を思い出す。
語りえぬもの、共有されないもの、理解されないもの。
どうしようもないほどにそれが自分であると感じることがある。 語られること、理解できることの中に、ふと引っかかり「でも」とつぶやくときに立ち上がるもの。 その「でも」が人を救いえることを知っている。
私が何故その選択をしたのか。 言葉を尽くすことはできても、すべての人を納得させることは恐らくできない。 私だって、100%迷いがないわけじゃない。でも。 それが、「語れない」ということ。
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