森鴎外の「かのやうに」を読んだ。 これを小説として評価するのはどうも私にはためらわれるので、あくまでも「かのやうに」を受け入れた鴎外という人の話として書くけれども、この世の多くは「幻想」で成り立っていて、いっときはそれを暴くことが知性の使命であり最終ミッションだと思われていた(ような気がする)。 けれど、数々の幻想を暴き立てて打ち棄てて、真実の焼け野原に立ち尽くす相対主義の私生児たちは、全員とは言わないけれど、不幸だったと思う。 幻想に生きることは、愚かかもしれないが焼け野原よりはマシだ。 ある「かのように」信じる。信じることにする。 そうしなければいけない。 そこからしか始まらない。 それは大人の生き方であり、ある意味で虚しい生き方であり、けれども、「倫理」とは「直接には己の責任ではないことでさえ引き受けることだ」という蓮見重彦の主張に私は同意するので、「かのように」生きることはたぶん正しい、と思う。
愛も善も美も絆も国家も性別もそしてこの体さえ幻想だ、と暴き立てたところで、一体私たちはどう生きればいいのだろう。 暴き立てることが無意味だったとは言わない。 焼け野原に立ち尽くすことで救われる魂もあるだろう。 ただ、この知性の焦土作戦はもう流行らない。 ここから何かを結び直すことができるのか。結び直そうとする意識を、どこから生じせしめればいいのか。 私たちは狼少女にもカスパー・ハウザーにもなりたくはないし、人にそれを許す自由は、与えられていない。
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