Dance日記帳
モクジ|キノウ|ヨクジツ
ゲホゲホ、ズルズルとやりながら、稽古場へ。
休日の稽古ということもあり、諸先輩がたが集まって、凄い状態。鼻水すすることさえも許されない空気。
普段の稽古では会うこともないだろう大先輩や、他の稽古場のお弟子さんたちとも一緒になるのは滅多にない機会でもある。
いつもなら、まずは稽古場に入り、師匠と他のお弟子さんに三つ指をつき、正座で「お早う御座います。宜しくお願い致します。」と挨拶をし、着替えをして準備をする。それが、今日は次から次へと出入りがあるものだから、着替えの最中であってもご挨拶、、、、となる。下半身が裾よけという下着姿で上半身がキャミ(←普段着のやつね)という大変微妙な格好だろうと、先輩より先に頭を下げるために床にひれ伏すのだ。 私は正真正明の新参者なのだから大変。
最近、ようやく慣れて来て、10分前後で稽古着が身に付けられるようになってきた(とはいえ、帯がグズグズ、、、なんてのは毎度のこと)のだが、今日は格別に気温が高く、稽古場の人口密度も高いものだから、着付けをしているだけで滝のような汗。 自分のジャズのレッスンでも、ここまで汗かいてないだろうと思うほどの汗だ。
着替え終わると、稽古場の隅で正座をして、稽古をつけてもらっている先輩方の舞を見学する。 ひとつひとつの先輩方の動きや、それに与えられる指導がどれも刺激になり、いろんなことを学ぶことができる。先輩の稽古を見学させてもらうことは、本当に貴重な経験なのだ。 いつかは、この人たちのように粋に、艶やかに踊るようになれるのだろうかと、ついつい遠い目になってしまう。 そこに師匠が加わり、踊っているのを見せてもらうと、其のしなやかな指先の動きひとつ、流れるような後ろ姿など、何れも此れも素晴しく口を開け放したまま馬鹿づらで見惚れてしまうのだ。
ふと、自分がレッスンを教えている時、みんなも其のような思いをすることがあるのだろうか・・・などと考えてしまう。
先輩方の稽古が終わり、次は私たちの番だ。 演し物は先週あがったばかりの端唄「京の四季」。先週あがったばかりということは、まだうろ覚え。 しかし、ここの稽古は「お浚いしてから、、、」なんていうのはない。稽古の前に自宅とかでおさらいしてくるのは当たり前だから。 師匠の言われる位置に立たされたら、すぐに音が入って踊るのだ。 ひとりでも振りが合わない人がいれば、音はすぐに止められ、その前から何度でもやり直しだ。 新参者としては、先輩の足をひっぱらないように、間違いが少なく、師匠に怒鳴られないように踊るのに必死だ。 今日はひとり今まで一度も会ったことのなかったお弟子さん(年齢はたぶん60才くらい?)が加わっていたのだが、この人の覚えが驚くほど悪く、そのうえ理解力がないというか、、、師匠の注意をきちんと聞かないものだから大変。3つ数えると音楽が止まる。また3つめで止まる。しまいには師匠が激怒し「あんたは、稽古する資格などない。そこからどきなさい!」と。
私も先生の端くれ。 叱ることの辛さはよくわかる。他人を叱るくらいなら、自分が我慢するほうが何倍も楽なのだ。 人を叱れば、一番落ち込むのは自分だ。 誰が正しいとか、そういうのではない。人を叱ることは、いくらそこに愛情があるにしても、互いに傷付くものだ。怖い。人を叱るということは、私が一番苦手とするものでもある。 だから、こうして、きちんと「叱る」ということができる師匠を素晴しいと思うし、尊敬に値すると思う。こういう人ならば、叱られたいとさえ思う。そして、こういうのが「先生の器」というものなのかな、、、と思うのだ。
一通りの稽古を済ませ、帰りの電車の中、今日のたった数時間の稽古で得たものの大きさを思い、有難いと思った。 まるで子供の頃のバレエレッスンの時のように「早く来週の稽古の日にならないかなぁ」などと思う。やはり、ジャンルが何であっても、私は踊ることがご飯を食べることと同じくらいスキなのだ。
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