Dance日記帳
モクジキノウヨクジツ


2002年09月11日(水) ノーベンバー・イレブン

NYのWTC爆破テロから1年も経ったんだね。テレビでは特集が多く組まれている。

去年の今頃、私は泣きながら、必死になってNYの親友にコンタクトをとろうとしていた。眠れない夜だった。私の親友のことを知る、日本の仲間たちからのメールも次々と送られてきた。指がしびれるほどに、何度も何度も国際電話の番号をプッシュしつづけ、メールをうち続ける夜。心細く、身体の芯が凍り付くような気持ちだったのを昨日のことのように覚えている。

今年になって、WTCを訪れた。

私がNYに住んでいた時、アパートを出ると空に突き抜けるように立っているWTCのツインタワーがいつも見えた。ヴィレッジのカフェでツインタワーの間に沈む夕日を眺めた時もあった。夜、ボーイフレンドと腕を組んで歩いたウエスト・ブロードウェイのさきにツインタワーのイルミネーションがあった。初めてNYに行った時、ブルックリンブリッジから見えたダウンタウンの風景にはツインタワーがあり、NYの生活に終止符をうち、エアポートに向かう途中に振り向いた先には涙でゆがんだツインタワーが建っていた。いつも、どんな時でも、そこにあったはずのシンボルタワー。私の数々の想い出と共にあった風景。当たり前の、日常の風景。

まるで切り取られたかのように、WTCの跡地が広がる。投光器が置かれ、まるで工事現場さながらの風景。
あったはずのものがない。その、奇妙な感覚。
寒気を覚えながらも、熱い涙が目の前を歪める。
テレビで見た映像よりも、うんと、うんとショックだった。その気持ちをどう言葉にして良いのか見当も付かない。

あれから1年。
同じような恐怖が二度と人々を苦しませたり、悲しませたりしないことだけを願う。それしか私にできることはない。

NYで親友と話した。テロの話。その日のできごと。メールで事情を説明はされていたが、彼女から直接聞くことで、「これは現実なんだ」と思い知らされる。人々が泣き叫び、逃げまどい・・・身がすくんでオフィスから出ることのできなかった私の親友。その恐怖がどれほどのことであったのか。泣きながら歩いて渡ったクィーンズ・ブリッジで目の当たりにした光景は、どれほど悲惨なものだったのか。
家にいた彼女の母親は、ただ窓辺に座り、永遠と子供たちの帰宅を待っていた。言葉もなく、表情もなく。ただ、呆然と窓辺に座って待つことしか術がなかった。彼女が弟に連れられて帰宅した時、家族は無言で抱き合った。生きることの重さを知った日でもあった。
その後、普段の生活に戻り、地下鉄での通勤。途中で電気ケーブルのトラブルにより地下鉄が停車。NYでは、よくあるトラブルのひとつでもある。車内は電気が一瞬消え、乗客が騒然となる。社内放送で「電気ケーブルの故障により、しばらく停車します。すぐに発車しますので、ご迷惑をおかけしますがお待ちください。」と流れる。彼女の隣に座っていた中国人の老人が取り乱す。彼は英語が理解できていなかったらしい。中国語で「どうしよう。死にたくない。助けてくれ!おろしてくれ!」と叫ぶ。彼女は中国語で「大丈夫。ただの電気の故障だから。すぐに動くから心配いらないですよ!」となだめたが、老人はパニック状態になって「誰が信じられるか!またテロだ!私たちは全員殺されちまうんだ!死ぬんだ!俺は死にたくない!」と電車が再び動き出すまで叫び続けていたそうだ。ひとびとの心に残る傷は深い。1年やそこらで治る傷ではない。
親友は煙を見ると震えがとまらない。あの日の恐怖を思い出すから。

あのテロにより、命を失った人、大切な人を失った人、傷ついた人、心に傷を負った人、全ての人に祈りを捧げたい。
もう二度と、こんなことが起こらないように。

私の9月11日は、去年はMDSの発表会の3日後で、実に穏やかな一日だった。今年は、アトリエでのレッスンを教えている、ごく平和な一日だった。来年も、そしてその翌年も、こうして、ごく、平穏に普通の日が過ごせることを願う。この平穏な日が幸せなのだから。


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