愚痴日記

2007年10月25日(木)



確かに学校で学んだはずの北朝、南朝のことは恥ずかしいくらい何も覚えていない。
両統迭立のはずだったのが、後醍醐天皇の権力への執着から南北朝といった複雑な歴史が始まったのだ。
楠木正成、新田義貞、足利尊氏といった武士たちによる権力争いの戦があったことはわかる。
ただ 後醍醐天皇が南朝として吉野に行宮を置いていたことは同じ県に住むものとして聞いたことはあった。
その吉野に行ってきた。
雨の予報が外れて用意していった雨具は重い荷物になってしまった。
宮内庁が管理する後醍醐天皇陵も亡くなったとされる金輪王寺も、そろそろ紅葉が始ろうかという季節で人出も少なくそぞろ歩きを楽しんできた。
どの天皇陵も南を向いているのにたいして、この後醍醐天皇陵だけが北を向いている。吉野からみれば北の方角になつかしい京があるわけで、死してなお京都奪回を望んでいたということだろう。
いくら失意のうちに亡くなられたといっても、私は後醍醐天皇のような権力に執着するような人は哀れとは思わない。
ただ この吉野という土地柄は何故か権力の奪回をはかる人たちに愛されたようだ。
大海人皇子(のちの天武天皇)や、兄の源頼朝に追われた義経も静御前とともに吉野に逃れている。
そして あの西行も奥千本近くの庵で花鳥風月を愛した。
桜や紅葉で有名な吉野だけれど、華やかな歴史とはちがった一面を見せてもらった気がしている。


















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