きょうは多武峯にある談山神社に行った
ここは あの大化の改新(645)の舞台となった場所だ 中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)とが、暴逆する蘇我入鹿をいかにせんとして本殿裏山において極秘の談合をした場所と『多武峯縁起』は伝えている この談合によって飛鳥板蓋宮において蘇我入鹿は討たれた
ところでわが国には世界一多い約150,000から200,000 の名字があるらしいが、このうち約4、000が藤原氏の氏族のようだ。藤原鎌足公から次男の不二等とに続く藤原の姓は、私らの遠い祖先かも知れない。 神廟拝所にあった藤原氏族一覧には私の今の名字も、旧姓も母の旧姓の名字もあった でも一緒にいった友達の名字はなかった 私は藤原氏の末裔で貴方は違うのね、と何となく可笑しかった
でも藤原鎌足公からの藤原氏の子孫が私は好きではない 平城京でも平安京でも藤原氏は、天皇の外戚となるべく陰謀と策略によって、私から言わせればやりたい放題だったと思う 日本書紀が何を伝えようと藤原氏が編纂を命じた以上、何をかいわんや・・なのだ
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