この瞬間でさえ、私は多くの道を選びとれる。
沖縄に移住を計画して、来年から住みだすことができる。本当にできる。
今の仕事をなげうって大阪のドヤ街の喧騒に、明後日からいける。本当だ。
感情で目を閉じて道が1つしかない、と考えるのは容易なことだ。
多くの道から、私しか歩めない道を覚悟して選ぶもの
少数しか進めない道を喜んで選ぶもの
多数が進むからその道を安心して選ぶもの
誰でも選べる身に、ため息をついて選ぶもの
どれもが実は同じなのだ。
感情で目を閉じて選ぶだけなのだから。
理性で目を開いて選びたいと願う。けれど、その理性は限定されたものでしかなく、さらに不十分な限定された理性しか与えられていない。
だから、戸惑ってしまう。
だから、道が分かれる地点で止まってしまう。
後ろから押しだしてくる。時の流れに押し出されて、私はどれかの道を選んでしまう。
感情で目をつぶれば、甘い楽しいことだらけだ。
自動エスカレータで道が進んでいくのだから。
どの道を選んでも結局行きつく先は、食虫植物の甘い蜜の先なのだ。
食虫植物に吸い込まれるハエでしかない。私。
理性など不完全で限定されたものしか持てないのだから、分かれ道の先は1つしかないのだ。
せいぜい、目を閉じないで行き先を見続けるしかない。
迫りくる、巨大化する食虫植物への道を。