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「 阿弥陀仏の秋 」
2005年10月19日(水)

 

 ピーピーと泣き叫ぶ姿を見ている。
 恋をしたと言ってはドキドキドキドキ 美味しい物を食べたと言ってはニコニコニコニコ 冷たくされた仕事で失敗したと言ってはドヨドヨドヨドヨ ゆっくり寝れた〜と言ってはボーっとしたりして。
 心のままに。
 心に浮かぶままに。
 心の中に宿る感情のままに、男は決意や社会性を考え、女は男女の関係を想い、同じように個体の違うままに、それを出して感情という返礼が浮かんでくる。

 まるで母親が赤子をあやす様になだめる様に彼らを観ている。
 まるで母親が感情の赴(おもむ)くまま喜怒哀楽を放出し、身体をばたつかせ、世間など全く無視して生きている姿を眺めるように、彼らを観ている。
 時に睡眠時間や食事の時間まで惜しみなく削って全身で慈(いつく)しみ、時に自らの信念や決意や感情を心の中に圧(お)し留めて赤子の感情を受け止め、時に赤子と言えども甘やかし過ぎないように叱(しか)ったり放っておいたりする。
 それは赤子の全幅の成長を願うからであり、願うといって強要しないからであり、強要しないからといって全身全霊をかけているのである。

 赤子を見る母親、その母親を含む多くの人々を観る立場は、日本ならば阿弥陀仏、欧州ならばマリアかイエスなのだろう。
 その立場に立ってみると全くこの場は、秋の穏やかな日差しの中にいるかのよう。
 大嵐と強烈な湿度と叩(たた)きつける光線で1つ1つがはっきりした人々の夏の世界からこうも離れてしまって。
 さらに離れれば秋冷なトボトボ、トボトボとした枯葉の並木を歩くようになるのだろうか。

執筆者:藤崎 道雪

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