2004年07月06日(火) |
『グローランサー4』 |
私がRPGが好きだと言ったら、「いやあ、それは気が合うなあ」とS先生が貸してくれました『グローランサー4』 私はまったく名前も知らなかったのですが、パッケージの感じも、自分では絶対手を出さないだろうなあ、という雰囲気。 語弊があるかもしれませんが、いわゆる”アニメ”的な雰囲気。私はちょっと苦手です。 それでもひとまずゲームスタート。 本当にアニメみたいにオープニングテーマが流れてびっくり。 登場人物がしゃべるしゃべる。コマンドを入力するごとに 「それでいいんですね?」とか、「はい!」とかしゃべる。 うーん、うざったい。
そして登場人物の絵柄がとてもいたい。 女の子はなぜかみんなレオタードのような服装で、異常に露出度が高くて、胸が特に強調されている。
なによりも嫌だったのは、出てくる女の子のすべてがなぜか主人公にかしづいて、口々に「ご主人様!」とか「マスター!」と呼びかけ、最後には主人公への告白イベントまで用意されている。
私はゲームをプレイしていて”セクハラ”の四文字が頭から離れなかった。
個性や主義が無視されて、精神的にも肉体的にも盲目的な服従を強いられること。
私にとってのセクハラって、こういうことなんだなってわかった。 声高にセクハラと叫ぶような女にはろくな奴がいないと自嘲してみるものの、かんべんしてくれと思った。 これを私に貸してくれたS先生はきっと私がこのゲームを楽しく遊ぶだろうと疑いもしなかったのだろう。 確かに、ゲームシステムそのものは、ドラクエともFFとも違う独自のもので、あえて言えば幻想水滸伝系。特に武器につける魔石によってキャラクターに特技やスキルを身につけさせていくことはとても面白かった。
ましてや、セクハラのつもりなどつゆほどもなかったのだろう。 でも、同じことに対して、同じ問題意識をもてるか、というのは、とても大きいと思う。 問題意識は持つべきだといわれて考えるものではなく、どうしようもなくそれに引っかかってしまうという感覚の問題だ。
だから、このソフトを貸してくれたS先生に対して、返すときに「なんすか、このセクハラゲームは!」と苦情を言うつもりはなく、「おもしろかったです。特に・・・」と貸してくれた好意に報いる一言をそえるだろう。
だけど、「N先生とは気が合わないな」という確信めいた気持ちはぬぐいようがないよなあ。
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