中3の授業でこのところ助動詞をやっています。 助動詞の授業は「私はもてる」と黒板に書くことから始まります。
「ええーー。もてないでしょう。」
私はもてない。と書く。 私はもてないらしい。 私はもてないようだ。 私はもてた。
助動詞が日本語の文末決定性に大きな影響力を持つことをやらんとしているわけです。
私は女だ。 俺は男だ。 俺はおかまだ。
「どうやら、“だ”っていうのは、言い切る、断言するっていう意味を持っているようだねえ。じゃあこれはどう?」
私はもてるだ。
どっ。「松本弁だー。」
「“私はもてるんだ”ならいいんじゃない?」
なるほど。“ん”とか、“の”が入ると言えそうだねえ。 でも、言い切るときには“だ”をつけるっていうことならば、“私はもてるだ”っていう松本弁のほうが規則性にのっとっているよねー。 共通語が失ってしまった規則性を松本弁がまだ保っているのかもしれないよ。
今夜、雨が降りそうだ。 今夜、雨が降るそうだ。 「この二つの文はどう違うでしょう?」 「・・・・・」
きよこ先生はもてそうだ。 きよこ先生はもてるそうだ。 「では、この二つの文は?」 「えーと、上のほうは見た目、って感じ。」「下の方はうわさ、みたいな感じ」
ご名答!!
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