楓蔦黄屋
もくじ←昔のを読む新しいのを読む→

2022年10月09日(日) 美容院へ行った日でした

早い時間に寝て、悪夢を見て、夜中に目覚める。

でもまあ、悪くはなかった1日だよ。
髪型は気に入ってるし、ラーメン美味しかったし。

1人で電車やバスに乗って、小さい子を見ると
ああ、ギザと一緒に乗りたいなあと思う。

サンリオのラッピング電車を見ると笑みがこぼれる。
幸せな気持ちになる。

特急や新幹線を見ると「お」と思う。
見慣れないやつだと、何だろう?と思って表示を見る。
今日は特急見たよ、と話してやろうと思う。

全部君がくれた景色だ。
君がいなければ気にも止めなかった景色だ。

-----

いまいち頭痛が治りきらない。

頭が痛いときは、湯船に浸かって白湯を飲んで
薬と漢方を飲めばたいてい緩和する。

でもまあ、楽にはなるけど治りきらないときもある。

こういうときはたとえ夜中でも何か食べて
もう一度薬と漢方を飲むのがいい。

-----

ダイエットの話。
美容の話。

いつも、今の自分の外見を少しずつ気に入らずに生きてきた。
それは向上心なのかもしれないが。

しかし10年前の自分の写真を見ると「そんな悪くないじゃん、可愛いじゃん」と思う。

「これはいかんな!」と笑えてしまうものもあるが、
いやそれも含めて、なかなかどうして可愛いですよ。

そう言ってやりたい。愛おしいですよ。

ということは、今の自分も10年後に見たらきっとそう思うんだろう。
だったら10年後じゃなくて今言ってやろう。毎日言ってやろう。
自分の子どもに毎日言うように。
私は君が大好きだよ。なんかわかんないけど大好きなんだよ。可愛い可愛い。賢い賢い。

-----

Twitterを見るとこの頃とみに、
漫画なんかでよく読んだ、「人の心が読めてしまう人」を思い出す。

ろくなことがないね。

そんで、人の心が読めるなんてろくなことはないって気づくから、ちゃんとし出す。
8:2くらいでちゃんとし出す。
そうすると今度は窮屈になる。

リアルのほうが息がしやすいよ。

今日電車乗ったら、なんと前の座席一帯みんな
スマホ見てませんでした。
おお、珍しい景色だ。だけどそのうち増えると思うなこの景色も。
でもそうなると電車の中でキョロキョロしにくくなるな。今んとこ誰もこっち見てないからキョロキョロし放題。

-----

美容院は面白い。
美容師さんみんなオシャレ。場所がまずオシャレ。

ハロウィンイベントか何かで、一回みんな全員ものすごくダサいカッコしてくれないかな。
みんなスタイルいいから難しいかもなんだけど、
ダサいつもりが一周回って全然オシャレみたいになりがちだと思うんだけど、
そこはなんとかがんばって各々の魅力を最大限に抑制してほしい。

でも腕は確かだから、ダサいのにお客さんはみんな素敵になってくの。そんなん見てみたいわ一回。

って妄想するぐらいみんなオシャレ。

もともと持ってる才能と、頭フル回転させながらオシャレに人生使ってこないと
こうはなれないよなあ。

だから40になっても相変わらずアウェイ。
美容院めちゃめちゃ緊張するわ。

でも持ってきてくれる雑誌がいま電子のサブスクだから
ファミ通読んだけどな。

POPEYEの漫画特集がちょうどちょっと読みたかったのでそれも読んだ。
雑誌でちょっとオシャレに取り扱われる漫画特集って面白い。
こういうのやってくれるから漫画の価値って上がるんだよな。

ガロとかの漫画もふだん自分じゃ読まないから面白い。
ヤバい。深淵がぶちこまれすぎててヤバい。
こういうのは真剣にやればやられるほど、読み手自身の根本の感情が浮き彫りにされる。
私の場合はギャグだ。芸術が私のなかで行き着く終着点はギャグだ。笑いに変わる。誰がなんと言おうと爆笑ものだ。
たとえ作者が気を悪くしようと、それが私と漫画との間で築かれた絶対的な関係性だ。
そういうわけでめちゃくちゃ面白かった。

若い美容師さんがワンピース読んでて、もっと話を聞きたかったけど話せなくて残念。
人が漫画の話するの、聞くの好きなんだ。


-----

ご飯食べて薬と漢方飲んだ。
残っていた痛みがまただいぶ減る。

私の身体ではあるが、何が起こってそうなったかはまったくわからない。
でも何かしら身体ががんばってくれたからそうなった。
そうやって40年も健康を保ってくれている。
ありがとう私の身体。可愛い可愛い。賢い賢い。

-----

さっきからちょいちょい言ってる「賢い賢い」、
これは朝ドラ「マッサン」の中で濱田マリ演じるキャサリンが、
歌を教えている子どもたちに何気なくかけるひとことだ。

これがすごく印象に残って、以来なんとなく使っている。
「いい子いい子」みたいなニュアンスだが、言い回し的にこれ言われたらすごく嬉しいだろうな感が濃くて好きなのだ。

昨今は、子どもの持ってる能力を褒めるのではなくて、頑張った努力を褒めましょう的な風潮がある。

なるほどと思いしばらく実践してはみたものの、
どうもそれだと子どもは自分を過小評価する傾向にあった。
なので「天才」と褒めてやったらとても嬉しそうだった。

なんだ。なら能力も努力もどっちも褒めてやればいいじゃん。

私はわりと両親に「天才かお前」と言われて育った。
そのかわり努力の仕方や道筋は教えてもらえなかったので苦労はしたが、
育児なんてきっとどうしたって片手落ちなのだろうから
そのぶん世間に清濁いろいろ教えられてゆくのだし、
ならばその清濁に耐え得るだけの心身にしてやれればその育児は成功だと言ってよいのではなかろうか。

私は根拠のない「天才かお前」でここまで生きてこられたんだと思う。
そんなもんだと思う。

手放しで根拠なく褒めてやればいい。
それができるのは親だけだ。


-----


眠くなってきた。
軽く眠ろう。
そしてまた明日を迎える。


楓蔦きなり

My追加