宿題

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2006年08月26日(土) 日本文学の流れの中で/正宗白鳥×江藤淳
正宗
軽井沢から五月に帰ったときに、ひとに本をことづかってきた。
僕の前には男が掛けて、週刊誌を読んでいる。
僕はなにも持っていない。
そこで、ことづかってきた本を、どんな本かと思ってあけたら、
日本訳と英訳と対比してある聖書の新しい翻訳なんだ。
これでも読もうと思って、ロマ書を読んだ。
あれが聖書の中心みたいなものだ。
少しでも読もうと思ったら、大宮まで来るまでに、
ついしまいまで読んじゃった。
非常に感動するような感じがあった。
前の人が、なんなら週刊誌をごらんなさいと言ってくれたが、
ちょうどそれもおもしろいんで読んだ。
僕は週刊誌も読むんだ。週刊誌をばかにしない。
週刊誌もおもしろいし、聖書もおもしろい。
しかし、聖書のおもしろさは、いまの文壇の人にはわからんな、
全然興味の素質がないんだな。
素質のない人には、話たってしょうがない。
だからキリストの話なんか、自分一人で考え、
自分一人で信仰するだけのこと、
それではキリスト教の教えに違っているわけだけれども、
違っていてもいい。
人間生きるかすかな光は、というと、やはりキリストということを考える。
間違っていても間違っていなくても、
キリスト教というものは、一方で非常に残酷な教えだから、
ひとに殉教を強いるんだからな。
殉教しなければならないけれども、一方ではやはりつっこんで考えると、
深い認識は得るところがある。
それは他の宗旨にもあったでしょうね。法然上人でもなんでも…。
しかし、聖書は、やはり内村鑑三が「ジイ・ブック」といっておった
本そのものなんだ。
僕にはやはり、いつまでもおもしろいな。
いまから見ればおとぎ話みたいなものだけどな。


★日本文学の流れの中で/正宗白鳥×江藤淳★

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