宿題

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2006年06月09日(金) いしいしんじさん年譜メモ(1989年〜1997年)
■1989年(23歳) リクルート入社。 
スイス、スペイン(バルセロナ、バレンシア、マラガ)、ドイツ(フランクフルト)へ旅行。
           
長薗「あれは朝日だっけ」
いしい「そうです。リクルートの内定者が朝日新聞に僕のことを『ふざけたやつがいる』
って書いたんです。
『(内定者の中に) リクルート事件をおちょくった替え歌を歌っているやつがいる。
信じられない。私はこんな会社に入社するのはいやだから辞めます』って(笑)」
★『文藝特集いしいしんじ』★

経理とか営業とか、そんな仕事が一回してみたかったんです。
でも、結局、そういうところには配属されず、新規事業開発的な、
なにをやっていてもいいようなところで、ブラブラ社員してました。
そういえば、入社式では、チェッカーズ「涙のリクエスト」の替え歌
「涙のリクルート」を唄いました。
「涙のリクルート 最後のリクルート(コーラス) 最後の札束 
祈りをこめてmidnight官庁 ダイヤルまわす僕に教えて まだ不起訴よと
トランジスタのボリュームあげてはじめて知った かもめの大将 
江副の逮捕 きびしすぎるね ひどい仕打ちさ」
と唄ったら、なぜかそれが朝日新聞にも「なんと、ふとどき新入社員」
とスクープされて、有名な新入社員になってしまいました。
僕は、リクルート事件まっただ中にリクルートに入社したんです。
さすがに、そんな奴が営業や経理では、ヤバイかなぁ…と思ったんですかねえ。
★マオマオネットインタビュー★

■1990年(24歳) モーリシャス、コモロへ旅行。
シーラカンスを釣りに行った顛末を書いた絵日記『シーラカンスの絵日記』
がリクルートで小冊子として配られる。

長薗「『このゴールデンウィークにシーラカンスを釣りに行きます」って言うんで、
『何言ってんだ、お前』みたいな(笑)。
くしゃくしゃの新聞記事か雑誌の切り抜きを取り出して、『ほら、見てください、
ほんまに釣れるんですわ』って言うんで『本当に?』とか言いながら、
一口1000円だっけ、それを三口出した」
いしい「お金を集めてたんですよ」
★『文藝特集いしいしんじ』★

■1991年(25歳) ジャマイカへ旅行。山賊に襲われる。

いしい「市場を歩いていたら、顔なじみのプッシャーが来て、
『山の上にミック・ジャガーの別荘があって、開放したある。
おもろいから、行ってみい。笑うで』言うんで」
らも「あるんかい、ほんまに」
いしい「で、ラリって山道登ってたら、呼び止められたんです。
『ヘイ、マンコフェイス!』って。
らも「うまいこと言うたな。君、そういう顔、してるよ」
らも「してませんって。なんやろって振り返ると、
木の陰から、3人、忍者みたいにすすっと現れまして、
手に手に、石持ってるんです」
らも「うわあ」
いしい「林に連れ込まれて、殴られて、血塗れになって逃げながら、
財布から一枚ずつ、撒きビシみたいに、道に札を投げていったんです。
最後の札がなくなったときに、山頂の別荘地に飛び込んで助かったんですけど」
★『その辺の問題』★

■1994年(28歳) 『アムステルダムの犬/講談社』
長薗さんが雑誌『ダ・ヴィンチ』を創刊。
いしいさんも編集部へ異動する予定だったが、
もとの部署が急遽いしいさんを出さないという結論に。
リクルートを退社。着ぐるみをよく着ていた。

当時、長薗さんと同じくらいお世話になっていた
関さんという人事役員のところに行って「辞めます」
って言ったら、
「本を書くんだろ。じゃあ、そこの書類書いていって」
って、全然引き止めてくれないんです(笑)。
「これで本当に辞めたんですかね」
「そうだよ、お前はもう関係ねえんだ」って言われて
「そうすか」って帰ろうとしたら、
「ちょっと待てよお前」って後ろから追いかけてきて、
「飲みに行くぞ」って、夕方の四時くらいからだったんですけど、
「いいんですか関さん、取締役なのに」
って聞いたら「いいんだよ、取締役だから」
って、あれはすごい嬉しかった(笑)。
★『文藝特集いしいしんじ」★

『ダヴィンチ』に新進作家として「いしいしんじ 犬の本10冊」が載る。
『畜犬談』太宰治
『爆弾犬』ヘンリー・ローソン
『野生の叫び声』ジャック・ロンドン
『ボートの三人男』ジェローム・K・ジェローム
『チャーリーとの旅』ジョン・スタインベック
『人イヌにあう』コンラート・ローレンツ
『愛犬物語』ジェイムズ・サーバー
『世界の犬種図鑑』
『街角で笑う犬』椎名誠
『犬のルーカス』山本容子
の10冊。

■1995年(29歳) 『なきむしひろこちゃんはかもしれない病かもしれない/講談社』 
『ダ・ヴィンチ』11月号でスチャダラパーにインタビュー。

ボーズ「遠くの声を探して」アニ「因果鉄道の旅」シンコ「とうとうロボが来た!!」
とそれぞれ本を選んだスチャダラパーの3人にいしいさんは
「ところで、3人それぞれ別の本を持ってきていただいたわけですが、
3人で1冊なら『ドカベン』じゃないか、なんて思ってました」と発言。

■1996年(30歳) 『とーきょーいしいあるき/東京書籍』
5月「ダ・ヴィンチ」で中島らもさんとの対談始まる。
対談の前日に酔って三越のライオンに跨り、
警察に職務質問を受ける。一晩留置所に。

長薗「『ダ・ヴィンチ』で中島らもさんのインタビューに行ってもらって、
そしたら、らもさんがいしいのことを気に入って、
「対談にしてもらおうか」っていうことになったのがきっかけですね」
★『文藝特集いしいしんじ』★

ボクシングジムに週3で通う。
食事にあまり興味がなさそうな時期。

いしい「定食屋に『いしいくん定食』いうの、作らせたんです。
入ったら、必ずそれが出てくるし、なんにも手間がいらなくて、えらい楽なんですよ」
らも「それは、どんなメニュ−なんや」
いしい「タマゴご飯に、味噌汁です。塩辛もついて400円」
らも「君も、幸薄い食生活、送っとんなあ」
いしい「この塩辛が、、ぞくぞくするくらいまずいんですよ」
★『その辺の問題』★

いしい「この夏、突然、右脚が曲がらなくなったんですよ。
洒落にならんから、急遽、健康保険に入りましてね」
らも「君、保険すらなかったんか。非国民やな」
いしい「大学病院言ったら、MRI検査っていうの、やらされたんです。
レントゲンの大袈裟なやつ。これがまたごっつ高くて、8000円くらいする。
で、結果が出たいうんで行ったら、写真眺めながら、
「いしいさん、あなたの半月版はでかい。いや、でかすぎる」
「はあ、それが原因なんでしょうか」
「いやそれは別に関係ないんだけどね」って。何じゃそれ」
らも「がっはっは」
いしい 「じゃあ、早く教えてくださいよ」
「あのね、わからない」「え?」「原因不明、はい、これ」って、
紙一枚渡されて、見たら、リハビリ体験基本8コースって書いてあって」
らも「はっはっは、おっかしいねえ」
いしい「冗談じゃない。体操一回あたり1000円ですよ」
★その辺の問題★

「たいふう」から続く幼稚園の頃に書いた「サイシリーズ」とか、
小学校や中学生の頃にやっていたことから
ある意味三十歳くらいまで続いていくものというのは、
たぶん「たいふう」で一瞬つながった感覚を求めていたんでしょうね。
「あの時はつながったの今つながらないのはおかしい」というような
感覚を頼りにいろいろくり出す。
出すんだけれども裂け目にどんどん落ちていって、結局三〇歳ぐらいで
種切れになって出すものがなくなったと感じて、
あるいは結局つながっていなかったのかもしれないって思って、
ヒュッと横を見たら「ああっ、『たいふう』でつながっていたのか」っていう
感じなんです。
★『文藝特集いしいしんじ』★

■1997年(31歳) 『シーラカンス/金の星社』
中島らもさんと一緒にアムステルダムへ。
1時間のラジオ番組を1年半続ける。

いしい君は哀しいくらいに頭のいい人で、例えばこういうことがあった。
3回分の対談を収録しようというので、ロケイションをアムステルダムに定め、
延々と何時間かしゃべったのだが、実はテープレコーダーにトラブルがあった。
3時間分、何も録音されていなかったのである。
いしい君は「大丈夫ですよ。記憶をたよりにまとめますから」と言った。
そんなことが可能なんだろうか。少なくとも俺なら無理だ。これは確言できる。
ところがいしい君は記憶の縄バシゴをつてにして、みごとに3本分の記事を
ものにしてしまったのである。
俺は心のなかで驚きと賞嘆の拍手を送ってしまった。
★『その辺の問題』あとがき/中島らも★

勝新太郎さんが亡くなったと知り、葬儀に参列。
なぜか前の列へ通され、勝さんにごく親しい人々に囲まれて
の式を体験。

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