宿題

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2005年05月12日(木) Kの受難/鈴木慶一
当時(79年、80年頃)、観客から粗暴な反応があったことを覚えてる。
客席から「ジジイ、帰れ!」って。
ジジイって、まだ二七、八ですよ(笑)。
後で判明したんだけれど、そう叫んだのは後のピチカート・ファイブの野宮真貴さんだった(笑)。



七五年に「俺たち金ないからさ、アグネス・チャンのバックバンドやるか」という、
あれはひとつの事件だったんだと思う。



「なんでこんなにジジくさい人たちが、こんなに心を打つ音楽ができるのか?」



九〇年代から初めて男性性を意識しだしたね。『ムーンライダーズの夜』あたりで、
非常に遅い第二次性徴を迎えた(笑)。
「あれ、男と女って違うんだ、ずっと同じだと思ってたよ!」って(笑)。



七九年くらいかな、ビクターのスタジオで録音してて、数人が「美容院行ってくる」って。
戻ってきたらスゴイ髪形で。片側がスキンへッドで、反対側は模様みたいに髪が残してある。
そんなふうに自分の身体を弄ぶことができるってこと、
それがニューウェーヴの出発点として重要だった。
髪に始まって、赤いエナメルのパンツとか、銀の宇宙服みたいなシャツとか、
服を変える、変な眼鏡をかける、いま君がしてるみたいな(笑)。
白井なんかメイクして外出して、いい歳なのに母親に怒られたり(笑)。
ニューウェイヴは、若干年齢差のあるバンド六人で共有した最初のムーブメントだったんだ。
みんなして「ナイロン100%」に行ってどんな曲がかかってるかチェックしたり、
初めて六人がそろって夢中になった。
だから「ジジイ、帰れ!」って言われてもやめられない(笑)。



これ(カメラ=万年筆)は未完成だって感じがするんだ。



機械の正確なリズムに人間が合わせていく。
人間的じゃない、なんて批判もあったけど、そんなの聞いちゃいない(笑)。
なぜ人間的でなければならないんだ?馬鹿野郎、こんなに面白いことはないぞ、と。



俺はいろんな歌い方を試してきたんだよ。
逆立ちしながらとか、寝ながらとか、マイクにアルミホイルの筒をつけたり(笑)。
<薔薇がなくちゃ 生きていけない>、あそこの歌い方が出来たときは、
「やった!このユニゾン・コーラスこそザ・バーズだ」って喜んだよ。



「物は壊れる、人は死ぬ」って当時の事務所社長だった上村がよく言ってた言葉で、
それを使ったんだよ。



再開の時、みんなが働いているそれぞれのスタジオに、
俺がひとりで出向いて行って「そろそろライダーズ始めない?」って言ってまわったんだ。



「再結成」ではなくて、「復活」のアルバムだから、ちょっと緊張感があった。
最初に「必ずメンバー全員が一緒にいよう」と決めた。



歳を重ねることで自分のなかの悪も、イノセントな部分も増えていく。
悪の部分も把握できる、というのが晩年なのかもしれない。



被害者の「リアル」は作品にならないんだよね。ドキュメンタリーにするしかない。
加害者の方が「何を考えていたのかな」とか、諸々の妄想を働かせることができる。
被害者はたまたま、無差別的な犯行にあってしまったわけだから。
被害者には興味を持たなかった、俺じゃないんだから。



人の意見を受け入れるのに抵抗があって、半端にしか受け入れられないのなら、
もう全部他人に委ねてしまおう、と。その時には何の抵抗もなかった。
実はめちゃくちゃ不安だったんだけど、頼んだ以上は仕方ない、と腹を括って。
…いや、もう二度とやらないけどね・と・お・も・うー(笑)。



前からよく言ってたのが「ライダーズには7人目のメンバーがいる」ということ。
その架空の7人目が見下ろしていて、その人に気に入られるように曲を作ってい、という。
その7人目がいたのはバンド幻想がある時までで、バンド幻想がなくなってからは非常に混乱した。



自分が作り出した美よりも速く走る、そこに行けたらね。
作品が世に出たら、もう振り返らないで走っていく(笑)。


★Kの受難◇ユリイカ2005年6月号/鈴木慶一★

マリ |MAIL






















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