宿題

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2004年02月15日(日) いまなぜ青山二郎なのか/白洲正子
「こんな説明は不必要だ」といっては切られ、

「文書が冗漫だ。形容詞が多すぎる」と言っては削られ、

なかんずく、「これはあんたの一番いいたいこと」と消されたのが一番身に応えた。

ジィちゃんの説では、自分のいいたいことを我慢すれば、

読者は我慢した分だけわかってくれる、自分自身で考えたように思う、

読者にとって、これ以上の楽しみはないではないか、というのである。



利休は、「自分が死ねば茶は廃れる」といったと聞くが、茶道の型だけ伝承されても利休は死ぬ。

死ぬことによって彼の精神は、山崎の「待庵」に、

長次郎の茶碗に生きたといっても間違ってはいないと思う。

今の私たちには想像することもできないが、利休が最後に発明した一畳半の茶室とか、

黒楽の茶碗は、当時の人々の眼には「狂」と映ったそうである。

既に述べたように、ジィちゃんの見た眼とか、感じ方が固定したことがないのと同じように、

利休の眼も高麗や李朝の茶碗を食いつくして、世間の常識からはずれたものになっていった。

「狂」とは、「人が見たら蛙になれ」ということである。

ただ惜しむらくは、ジィちゃんには、秀吉も長次郎もいなかったことで、

友達を相手に真剣勝負の修羅場を発明してみせねばならなかった。



伊東では珍しく隣組長をつとめていたらしく、

何をしている人間だかわからないのでスパイと間違えられたのは、

のべつレコードをかけて聴いていたことと、

キリスト教の本を五百冊も集めて読みふけっていたからで、

戦争中にジィちゃんがしたことといえば、それだけだったに違いない。



「あいつと仲よくなれよ、決してわるいことを言いやしない、

君は自分の手に負へるやうな環境の中に安住して、ほんたうのものにはぶつからないで、

一生を終つてしまふかも知れないよ、ジィ公は何一つ取柄のないやつだが、

正直で打ち込みのふかいバカ野郎なんだ、おそらく君の持ってないものを、

あいつがみんな持ってゐるだらう、

君があいつを利用するほど太々しくなればシメたものだ、とにかく、つきあってみなさい」


★いまなぜ青山二郎なのか/白洲正子★



■図書館で。
文庫じゃない方を借りたら装丁もきれい。

マリ |MAIL






















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