宿題

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2002年04月14日(日) 岡村靖幸トリビュート/栗コーダーカルテット
岡村君と同居をしていたことがある。

と言うのは大まかに言えば本当のことで、実際は、僕が美術大

学を出てクラスメートの二人と同居していたところに彼が寝泊ま

りするようになり、その後彼が近所に自分の部屋を持つようにな

ってからも毎日のように遊びにきていた、ということになる。


80年代前半当時の、その場の独特の空気を人に伝えるのはな

かなか難しいのだけれど、そこは吉祥寺駅にほど近い2LDKのい

わゆる「マンション」の7階で、部屋の鍵がかけられることはまず

なくて、誰かの知り合いであれば勝手に入ってごろっとしたり酒を

飲んでいたりと、まあオープンというか適当というか、あけすけの通路のような空間だった。

知らない人がコタツにあたっていたりとかも普通にあることで、ある日仕事から戻ると、友人のデザイン仕事を

めちゃくちゃな線を引いて手伝っていたのが岡村君だった。
 

もう少し説明が要るかも知れない。住人のなりわいは、僕はいちおう音楽で、一人はグラフィック系のデザイン、

もう一人はCMの企画演出だった。その二人が「面白いことを思いつく」ことには飛び抜けた能力を持っていて、

僕も岡村君もすごく影響を受けたのだと思う。


「夜会」と呼んでいたが、毎晩のようにくだらないことをすごく真剣に話した。

世の中はまだ今のように「何でもあり」になっておらず、面白いことをやって出て行く隙間が十分にあったように

見えた。ビデオを見たり音楽をきいたり、それならこんなの面白いんじゃないか、とか、しり取り遊びの新しいル

ールを考えたりとか、とうてい説明しきれないが、とにかくどんなことにも対しても脳だけはいつもフル回転して

いるような毎日だった。


岡村君に「ファミコン通信」の付録の攻略本を渡して、ヒントを小出しにしてもらいながら自力(?)で「メトロイド」

をやり遂げたのは宝のような思い出だ。

「OUT OF BLUE」をきくと、当時のことが鮮明によみがえる。
 

人生は今でも楽しいけれど、その頃はそれぞれ世の中に出たいのに今ひとつままならない、そんな状況もあっ

てか、ここで集まって何かしていることが気が狂うほど楽しかったのだ。そんな中、岡村君はほんとうに自力で

自分の道を切り開いてデビューした。
 

ここでの生活のことを僕らは、建物の名前から取って「カショウ」と呼んでいる。

今から思えば、「トキワ荘」のような感覚の場所だったのだと思う。岡村君と会うと今でも「カショウ」のことは良く

話すし、皆で会えばいつの間にか「夜会」モードにもなっていたりもする。

吉祥寺の街もずいぶん変わって、しょっちゅうランチに行っていた中華料理屋も去年閉店した。

あれからずいぶん時間が経ったのだな。


時々すれ違いやらあったりもするけれど、僕にとって今でも岡村君はかけがえのない友人の一人であり、彼の

非凡な才能をあの時点で見抜けなかった凡庸な音楽家の一人として、自戒の意味も含めつつここに参加させ

てもらおうと思った。



★岡村靖幸トリビュートによせて/栗原正己◇ 栗コーダーカルテット★

マリ |MAIL






















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