昨日は,朝から経営学部校友会総会,堺屋太一氏講演,経営学部校友会・経済学部同窓会,滋賀県校友会合同の懇親パーティと続いた。
夜は,卒業生のC君,I君と京都駅前で呑んだ。結構遅くまで呑んだ。帰宅したのは12時頃だった。山陰線,居眠りをしていて,危うく乗り越すところだった。でも,無事帰宅。
さて,堺屋太一氏の講演は「歴史から未来を見よう」というもので,大変面白い話だった。要は今日本は「思考停止状態」にあるという。そこで論じられるのは本来考えなければならないことを何も考えず(だから思考停止状態),固有名詞とささいな金額の話にすり替えられている。道路公団でいえば,結局何ら解決されず,少し金額を削ったくらいで終わり。年金問題など大きな問題なのに,何人かの国会議員の未納問題という固有名詞をあげつらって強行可決される始末。外交はと言えば,外交慣例を破ってまで拉致被害者家族を連れ戻しただけ。
まさに,官僚の独走を許している。小泉内閣は結局何らの改革も行わず,口先だけで終わり,あとは官僚に丸投げ。官僚の跋扈を許しているという。私も先だっての京都新聞で書いたが,UFJ問題に見られるように,金融庁が何から何まで仕切ってしまっている。まさに,官僚跋扈。堺屋太一氏のこういうお話は,私も同感するところ大きかった。
さらに,日本の戦後の国是として,日米同盟,経済中心でやってきて,これが80年頃完成し,絶頂期を迎えたが,それからがいけない。80年代から世界は変化してきた。つまり,自由化・情報化が進んだ。通貨問題資本問題が容易に解決できるようになり,技術変化のなかで,アジアが発展し工業化した。アジアの発展は世界変化(資本,技術=パソコン)の結果だという。
この時代,知価社会となった。例えばブランドに意味のある時代となり,一本千円のネクタイが,ブランドがつけば2万円で売れる。これはデザイン,イメージを売っているわけだ。新聞と同じで,昨日の新聞はただの紙でしかないが,今日の新聞は情報価値があって売れる。これと同じ事がネクタイでも言える。そういった無形の価値が大事になってきた。90年代はまさに知価社会だ。水平分業から工程分業へと変わり,工業製品は中国などで作り,逆に,労働集約的なものが先進国でつくられる。デザインとか知識とかが大切な時代となっている。そのバツクに大勢の知的な人間が存在する。
学生諸君には,自分の商品価値を見極めてほしいし,従来のような社内価値ではなく,自分の商品価値を考えてほしいという。自分の好きなところに就職すべきだという,学生諸君への提言もあった。知価社会論は堺屋太一氏のここ数年の主張でもある。果たして,日本がそれで生き残れるのか,その点の疑問は残った。ものづくりへのこだわりが今日の日本を作り上げたという事実は紛れもない。知価社会へ移行するとしても,アメリカ型ではあり得ないだろうと思う。つまり,マイクロソフトは知識を売っているとしても,それが可能になったのには,アメリカの政治力・軍事力の裏付けがあったからではないか。では,日本企業の生き方はどうあるべきか。別途考える必要があるように思う。
もう一つ付け加えたい。学生諸君らからの質疑応答のなかで,国際会計基準が英米主導で決定されるが,日本はどうすべきかとの質問があった。どのようにすれば影響力を発揮できるかとの質問であった。それにたいする堺屋太一氏の答えがふるっていた。日本の意見が通らないのは日本が「知恵遅れ」だからだという。面白い表現だった。日本の会計学者がダメだとのこと,そういわれてもやむを得ない面がある。専門馬鹿では国際社会で通用しない。イギリス人であるIASB議長 デビット・トゥイディ氏に太刀打ちできる教養ある会計人が日本にいないと言われればそれまでかもしれない。教養と政治力・交渉力で日本人は負けてしまうようだ。交渉力,それも英語での交渉となると,日本人が負けてしまうのは,およそ想像がつく。ではどうすればよいのか。
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