singersong professor KMの日記

2002年08月08日(木) 小説巨大銀行システム崩壊

 昨日から,立命館大学アジア太平洋大学(APU)で研究会だ。同志社大学の松本さん,九州大学の沢辺さん,それにAPU牧田君,大学院生諸君も一緒だ。「金融市場分析実習1」のテキスト作りという懸案の課題を今年の夏中にある程度決着を付ける必要がある。それが今回の研究会の私にとっての第1の目的だ。

 もちろん,この際他大学の先生方との研究会(例年のサマーセミナー・イン・九州)ももう一つの出張目的である。今回は二重の目的を持った出張だ。でも,別府という観光都市だから,ホテルもリゾート気分。この夏,これ以外にも課題山積の私にとって,つかの間の息抜きにもなる。出張ではあるが,こういう場所での研究会は,ある種の息抜きにもなる。まして,昨夜研究会の後,飲みながら沢辺さんと話した内容は,今の日本,今後の日本に関する危機感の再確認でもあった。

 今,杉田望「小説巨大銀行システム崩壊」(毎日新聞社,2002年)を読んでいる。飛行機の中での読み物でもあったが,時間を見つけては読んでいる。こういう出張の折りには,必ず何か読み物を携えてくる習慣がある。今回はこの小説がそれだ。ここで言われていることに共感を覚えるところが多々ある。

 「金融制度改革の名の下に,いろいろな制度や仕組みが作られた。BIS規制,早期是正措置,預金保険機構,時価会計,ペイオフ,整理回収機構などだ。それらのほとんどはアメリカからの借り物だ。
 そして民事再生法,コーポレートガバナンス,情報公開,透明性の確保,事故責任の原則――などの言葉が踊る。市場原理がやかましく強調される。透明性とか自己責任とかも喧伝される。橋本政権はメニューはすべてそろえた。優等生なら考えつくすべてのメニューを……。
 だが,市場原理主義にもとづく仕組みや制度がうまく機能しているとは,とても思えない。新しい血液は入れたのだが,血液型がミスマッチを起こし,銀行は激しく揺れ動いている。経済もめちゃくちゃになった。むしろ新しい仕組みと制度は,銀行の経営基盤を揺るがす元凶のようにも思える。
 例えば自己責任と情報開示。考えてみれば奇妙な話だ。情報公開は必要だろう。自己責任も正論だ。しかし,あの複雑怪奇な銀行のバランスシートを読める一般の預金者はどれほどいるのか。読めたとしてもごく一部の専門家だけだろう。そうであれば,一般預金者に情報公開する意味はどこにあるのか。銀行と預金者――両者は,情報において非対称の関係にあるのに,一般預金者に求められるのは自己責任の原則である。自己責任のダメ押しというべきが,ペイオフだ。理屈には適っているが,実態はめちゃめちゃだ。」(127-128頁)

 よくぞ言ってくれました,という感じだ。私が思っていることを小説で表現してくれている。


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