| 2007年05月12日(土) |
民主主義を知らない人は小学校からやり直し |
「 大多数の決定が常に真実とは限らない 」
ヨハネ・パウロ 1世 ( ローマ教皇 )
The truth is not always the same as the majority decision.
Pope John Paul ��
言葉には、その語感から連想されるイメージというものがある。
ときにそれは、本来の意味との間に微妙な隔たりが生じる。
たとえば、スイスなどによる 「 中立 」 という国家の姿勢からは、なんとなく平和な印象を受ける人が多く、好戦的という印象を持つ人は少ない。
実際には 「 中立 = 平和 」 ということでもなく、いづれの国とも同盟しないというだけの意味なのだが、なぜか、曲解される場面が多いのである。
もちろん、どこかと軍事的な同盟関係を結ぶと、他の国に緊張感が高まり、戦争の火種になることもあるので、まったく違う意味とも言い切れない。
しかし別の角度からスイスを眺めると、たとえば 「 所帯あたりの銃保有率 」 ではアメリカを超え、世界1位になっているという実態がある。
有事において、スイスの高速道路は 「 戦闘機用の滑走路 」 に転用できる設計が施されているのも、広く世界中に知られている話だ。
日本やアメリカの政治形態である 「 民主主義 」 とか、「 民主的 」 といった言葉についても、微妙な勘違いをしている人が多い。
民主主義の対極にあるのは独裁主義であるが、「 民主主義 = 正義 」 で 「 独裁主義 = 悪 」 という単純な解釈をしている人も意外と多いのだ。
本来、民主主義の原則は 「 多数決 」 であることから示される通り、大勢の意見に従って物事を決めてゆくことこそが、民主主義のシステムである。
だから、極端な話だが、大多数の国民が狂人で、独裁者一人が良識人だという国家があったならば、その国は独裁主義なほうが正義を実行できる。
そんなことはまず考えられないので、大多数による決定を尊重し、国民全員の意見で国を治めてゆくことを善とする考えが、民主主義なのである。
安倍総理が 「 憲法を改正してはどうかな 」 と国民に問い掛けているのも、日本が民主主義国家であることの証明といえるだろう。
これが独裁国家であれば、国民に意見を求めることなく執行機関が決めるわけで、当然 「 国民投票 」 なんて話が出てくるはずもない。
しかしながら、「 憲法を改正しようなどと企てること自体がけしからん 」 と、安倍総理は独裁者だ、日本は独裁国家だなどと騒ぎ立てる御仁がいる。
彼らは 「 民主主義とはなにか 」 を知らず、総理大臣の人柄や方針だけを眺めて、日本が民主主義国か、独裁主義国かの判断をしているのである。
公正な選挙により過半数を得た政党が政権を執り、その政党の代表者が総理に就いているのだから、方針、性格にかかわらず、民主主義なのだ。
安倍総理が憲法を変えようが変えまいが、戦争をしようが、悪いことをしようが、それは 「 国民の信任を得た人間 」 の政策なのである。
彼がどのような政策を提議しようと、過ちを犯そうと、彼を選んだのは国民 ( 有権者 ) の意志なのだから、責任は有権者に帰属する。
その際に、「 いや、私は彼の政党に投票しなかった少数派だ 」 と言って、部外者面をする人がいたならば、その人こそ 「 民主的でない人物 」 だ。
議員には任期が定められているので、前に投票した有権者が 「 こんな人 ( 政党 ) に入れるんじゃなかった 」 と思えば、次回に存続はできない。
選挙という監視制度、評価制度があって、国民の意見 ( 大多数の意見 ) が反映される仕組みである以上、この国は民主主義国家なのである。
大体、「 安倍総理は独裁者だ 」 などと中傷する御仁は、独裁的か民主的かなんてことに、ほとんど興味を示していないのが実状のようだ。
権力者に対する憧れと嫉みが強く、自分の思い通りにならないことで駄々をこね、空回りの論拠で悪態をつき、憂さを晴らしているだけである。
そういう連中を擁護する気はないが、彼ら少数派の意見が正しく、多数派の意見が間違っているという可能性も、絶対に無いとは言えない。
多数派の意見を鵜呑みにして採用するだけでなく、少数派の言い分も聞き入れ、できるだけ大勢の意見を反映するのは民主主義国家の使命である。
ただ、だからといって 「 安倍総理は独裁者、日本は独裁国家 」 などと暴言を吐くのは、社会科の勉強が足りないか、脳に異常があるとしか思えない。
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