Tonight 今夜の気分
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2007年02月19日(月) 情けは人のためならず



「 一つの良い行為は、もう一つの行為に値する 」

                                   英語のことわざ

One good turn deserves another.

                                  English idiom



直訳すると上の通りだが、これでは意味が伝わり難い。

実際は、日本の 『 情けは人のためならず 』 と同じ使われ方をしている。


前述の 『 情けは人のためならず 』 について、「 人に情けをかけても、その人のためにならない 」 という解釈をする人もいるが、これは大間違いだ。

正しくは、「 人のためによいと思ってしたことは、その人ばかりでなく、いつかは自分にも巡ってくる 」 という意味で、善行を奨励する言葉である。

こういった 「 思いやり 」 の精神を持たず、すべてが自分中心の損得ばかりで動く人間を、昔は 「 恥ずべき対象 」 として侮蔑していた。

ところが最近は、自分のことしか考えない人間が増え、精神科医は彼らに 「 自己愛型人格障害 」 などという “ もっともらしい病名 ” を名付ける。

単なる性格的な 「 わがまま 」 にすぎないダメ人間までもが、病人としての庇護と権利を要求し、大手を振って闊歩しているのである。


産業カウンセラー協会が、資格を持って活動している全国の産業カウンセラーに対し、「 職場でのいじめ 」 についてアンケート調査を行った。

カウンセラーには、精神科医のような 「 治癒的カウンセラー 」 と、社員の心のケアや就業相談に対応する 「 産業カウンセラー 」 の二種類がある。

以前、政府主導のニート対策事業に関わる必要があったこと、本業の企業コンサルタントの仕事に有効なことから、私は後者の資格を持っている。

だから、カウンセラーといっても治療は施さないし、専門医の治療が必要と思われる対象者には、「 医者へ行け 」 と促すだけである。

ただ対象者の大半は、専門医を必要とするかしないか 「 紙一重 」 のところにあるのが実態で、病人か怠け者かという判断が難しいケースも多い。


本人を責める、責めないという次元の話になると、病人か否かが問われる場面もあるが、病気か否かに関わらず 「 戦力価値 」 は変わらない。

厳しいことを言うようだが、企業の立場からみれば 「 病気で働けない人 」 も、「 やる気がないので働かない人 」 も、貢献度の低さに変わりはない。

時々、「 好き好んで病気になったわけじゃない 」 と怒る人もいるが、自分の体調を整え、病気を未然に防ぐ 「 自己管理能力 」 も仕事の一部である。

つまり、よほどの事情 ( たとえばアスベストを吸って病気になったなど ) がないかぎり、病気になること自体 「 職務能力が低い 」 とみなされる。

同じ職場で同じ仕事をする全員が発病したり、異常に発病率が高い場合を除けば、ストレス・マネジメントのできない本人の問題も考えるべきだろう。


先ほどの 「 いじめアンケート 」 の話に戻るが、職場でどのようないじめに遭ったのかという問いには、以下のような内容が多かった。

�� セクシャル・パワーハラスメント、�� 人間関係の対立、�� 能力が低いといじめる、�� ノルマ未達成でのいじめ … など

この中で �� と �� に関しては、たしかに職場の問題、少なくとも本人以外の問題があると思うし、許されざる卑怯な 「 いじめ 」 の存在が考えられる。

ただし、�� や �� に関しては、事情を詳しく聴いてみないと判断できないが、本人に問題が無いケースは稀で、実状も 「 いじめ 」 とは決め付け難い。

能力の低い人や、ノルマさえ達成できない人に対して、企業は笑顔で温かく厚遇すべきかというと、いささか疑問に思って当然だろう。


最近、問題になった子供のいじめと、職場でのいじめの根本的に異なる点は、「 学校は公平であるべき 」 点と、「 企業は公正であるべき 」 点だ。

学校の生徒は、本人の 「 出来の良し悪し 」 によって教師や級友の利害が変化するわけでもないし、たとえあっても差別を受ける理由にはならない。

そもそも学校側は、公平と平等を前提として生徒を受け容れているはずで、それが守られていないとなると、明らかに前提条件に違反しているのだ。

それに対し企業は、社員の 「 出来の良し悪し 」 によって同僚や経営者の利害に変化が生じるわけで、個別の業績評価、待遇が違って当然だろう。

企業側も男女差別などを無くし、活躍する機会はできるだけ均等に与えるべきだが、結果は 「 公平 」 じゃなく 「 公正 」 に判断することが正しい。


経験上、この 「 公平 」 と 「 公正 」 の違いがわからない人、職場と学校を同じ尺度で眺めている人が、相談者の中に多いことを知った。

それは若年齢層だけでなく、「 なにをいまさら 」 と言いたくなるような年配者にまで拡がっていて、彼らのほうが意識改革を促すのには苦労する。

勤務先の企業サイドが方針転換を図り、かつての 「 護送船団方式 」 から 「 能力主義 」 へ変化した際に、ついていけない人などが代表格だ。

多くの従業員、企業経営者の相談に乗る立場として、「 それは差別だ 」 と言われるかもしれないが、大方の職場に 「 不適格 」 な人は居る。

いわれのない迫害に苦しむ人は、企業側に掛け合ってまで救済したくなるが、不適格な人の場合は、潔く転職されることが望ましいように思う。


たとえ給料が下がっても、普通に働いて日本で餓死する危険は少ないのだから、それで首を吊るぐらいなら、さっさと転職すればよいのである。

それを 「 格差社会 」 と呼ぶ人もいるが、格差といっても北朝鮮と違って、食べていけるか行けないかといった程の違いではない。

お正月をドバイで過ごすか、箱根で過ごすかの違い程度で、世を憂いたり、政府を批判している人もいて、それで首を吊ると騒ぐ人もいる。

会社に残ってハッピーになる人もいれば、辞めてハッピーになる人もいるわけだが、不適格者を多く抱えて全員がアンハッピーになることは愚策だ。

たしかに職場環境は、本人にとって重要かもしれないが、それはあくまでも手段であって、もっと大切なご自分の命を、大事にしてもらいたいと思う。


今夜は長くなったが、最後に 「 自分の役割は果たせていないが、それでも辞めるわけにはいかない 」 と苦しんでいる人へのアドバイスを一つ。

大方、そういう方々は 「 自分のことで精一杯 」 と仰り、格差社会、実力主義を背景に 「 周囲との人間関係が希薄になった 」 という人が多い。

そこで、たとえ自分の仕事が遅れようとも、上司から嫌味や小言を言われようとも、何かで困っている同僚に声をかけ、仕事を助けてあげるといい。

そうすることで、『 情けは人のためならず 』 の言葉通り、人に感謝され自分の存在意義に自信がつくし、積極的に経験を求める姿勢が仕事を変える。

この方法で、自信を取り戻した人、かつての情熱を持って再起した人、今度は “ 相談に乗る側 ” に廻った人の例は多く、意外と効果的なのである。






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