| 2006年12月06日(水) |
罪の軽重より、社会復帰させる価値を問うべき |
「 将来について考えなければ、将来はない 」
ジョン・ゴールズワージー ( イギリスの小説家、劇作家 )
If you do not think about the future, you cannot have one.
John Galsworthy
将来を前向きに考えようとしない者に、将来らしい将来は訪れない。
将来を大切に過ごそうとしない者も、また同様である。
たとえ辛いことがあっても、自分の思い通りにならなくても、未来への希望を捨てずに生き続けることが、おそらく人間の使命であろう。
何があっても我慢して耐え続けていたら、必ず良い事があるのかといえば、そんな保証はどこにもないけど、それ以外に未来を繋ぐ方法などない。
この日記は、過去に、16歳の高校生からメールをもらったのが最年少で、おそらく、それより若い人に読んでもらっている可能性は低いと思う。
しかし、万が一、将来のある若者で、悩んだり、くじけたり、自ら死を選ぼうとしている人の目に触れているなら、「 とにかく死ぬな 」 と言いたい。
偽善や、利己的な不平不満の羅列ではなく、本気で住みよい社会を実現しようとしている人間もいるし、我慢してれば、少しは面白いことも起きる。
犯罪者の刑罰についても、犯した罪の軽重だけではなく、その犯罪者を 「 社会復帰させる価値 」 について、更に加味した裁定を下すべきだろう。
前回の日記で紹介した小学校教諭なども、現行の法規によると軽い刑罰で済まされるだろうし、何らかの形で、教育現場への復帰も考えられる。
少年法の庇護の下、凶悪犯罪に手を染めた者も同様に、自身の凶悪性、社会への不適応性を無視し、前例の踏襲で軽微な罰に処すのは疑問だ。
彼らの人格を尊重しないわけではないが、明らかに本人自身が将来を捨てているのに、周囲が執拗に社会復帰をさせようとするケースが多すぎる。
性犯罪者などについては、ようやく再犯率の高さに業を煮やした司法側が改革を検討し始めたが、それ以外の犯罪者への対処は遅れている。
また、自殺を企図した前科のある者は、しばらくは病院に収容してしまうか、自分自身に対する 「 殺人未遂 」 として、矯正施設に入れるべきである。
多くの人が迷惑していると思うが、こういう輩が 「 死にたい 」 などと言っては仕事の邪魔をし、世の中に負のオーラを放っているのだ。
しかも、自殺が 「 未遂 」 で終わっている連中というのは、生に未練があり、本当は周囲の気をひきたいだけで、概ね、潔く死ぬことなど到底できない。
こんな連中は 「 本当に、死ぬほど辛い目 」 に遭わせて、生への渇望や、将来への希望を気づかせてやったほうが、彼らのためでもある。
こんな 「 社会復帰には問題のある人間 」 を テキトー に処理していることが、社会の癌になっていて、将来ある若者にも悪影響を及ぼしている。
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