Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2004年12月13日(月) 動く罪と、動かない罪


「 たくさんの人たちがこの世界の混乱ぶりを歌ってるけど、皆いつも

  そんなことばかり聞きたくはないんじゃないかなと私は思う 」

                            マライア・キャリー ( 歌手 )

A lot of people are singing how screwed up the world is, and I don't think
that everybody wants to hear about that all the time.

                                MARIAH CAREY



よく、「 最近は暗いニュースが多いね 」 などと言う人がいる。

だが過去に、「 明るいニュースの方が多い時代 」 など、あっただろうか。


何がニュースに値する、値しないを決めているのは我々 “ 大衆 ” である。

たぶん我々は本能的に、危険を察知させる情報への欲求が強く、必然的に悲劇的な出来事こそをニュースとして値する習慣がついているのだろう。

捏造された事件でもなければ、それは、マスコミの所業とも言い難い。

マスコミは、事件の真実に “ 否定的な強調 ” を付け加えてみたり、あるいはカモフラージュすることで、バランスをとっている存在に過ぎない。

彼らは皆、大衆が求めた 「 暗いニュース 」 を、望みどおり配信している。


また一年、イラクへの自衛隊派遣が延長されることになった。

後方支援でも、「 武装集団 」 を海外に派遣するのは 「 おだやかな話 」 でなく、そこには暗い戦争のイメージや、不安で悲劇的な印象がある。

現在、日本国内では戦争も、さしあたってテロの脅威に晒されている実感もなく、イラクへ行く自衛隊員だけが、特別な環境に置かれることになる。

これは、その先にある 「 死 」 の不安を思うと、暗いニュースになる。

だから、それを否定する意見があるのも、わからない話ではない。


第二次大戦のさなか、ヨーロッパではファシズムの嵐が吹き荒れた。

ナチスの 「 民族浄化政策 」 によって窮地に立たされた人々や、あるいは無力な抵抗者たちは、すぐに応援に駆けつけない連合軍に苛立っていた。

ようやく、アメリカがヨーロッパの解放に動き始めたとき、彼らは歓喜して出迎え、そこに新しい 「 希望の光 」 を見出したのである。

それは、「 明るいニュース 」 として、ヨーロッパ中に伝えられた。

事実、彼らの派兵があと一年遅れていたら、何万、何十万の犠牲者が増えたことは明らかで、疑う余地もない。


当時、不遇な人々にとっては、アメリカが動かないことは 「 暗いニュース 」 であり、アメリカが動き出したことは 「 明るいニュース 」 であった。

日本の降伏は、アメリカ中が沸いた 「 明るいニュース 」 で、かつてない大規模な戦争の終焉を告げる福音となった。

それを、戦後の日本人が 「 明るいニュース 」 だったと結果的に悟ったのは後の話で、終戦直後の日本人には、「 暗いニュース 」 でしかなかった。

立場により、もたらされる結果により、同じ事実が 「 ニュースの明暗 」 を分けるのは必定で、特に勝敗が決する戦争の場合はなおさらだろう。

戦争とは 「 そんなもの 」 なのだから、仕方がないのである。


日本にどこかの国が責めてきて、占領され、国民が苦しめられたとする。

国連は 「 静観 」 し、各国が 「 話し合いで解決 」 しようとするが、事態は収拾せず、毎日、罪もない日本人が虐殺され、略奪されていく。

そこへ、超大国である 「 A国 」 は強大な軍事力を背景に、盟友の危機を救おうと進軍を行い、それは 「 国連の命に背いた 」 ことで非難を浴びる。

平和憲章によって武力行使を行えない 「 B国 」 は、「 A国 」 の呼びかけによって 「 後方支援 」 に参加したが、国内では反対論が巻き起こる。

結果、「 A国 」 の武力と、「 B国 」 の支援活動が功を奏し、多くの日本人の人命が救われ、平和と秩序が回復する。


この場合に、「 国連の裁定に従わなかった A国 」 や、それに追随をした 「 B国 」 の決定を、日本人は 「 悪い連中 」 と考えるだろうか。

あるいは、武力行使に反対した 「 国連 」 や、その意見を支持した諸外国に対して、日本人は 「 平和的な意思 」 と尊重するだろうか。

そしてなにより、「 日本になんか、軍隊を行かせるな 」、「 後方支援も必要ない 」 と騒ぎ立てた海外の 「 民意 」 を、どのように評価するのか。

大国には 「 動いた責任 」 と、「 動かなかった責任 」 がつきまとい、いづれの場合も、反対論や、恨みを買う宿命を背負っている。

一般論や、善悪の判断だけで、戦争の脅威からは逃れられない。


一年後、イラクに平和が訪れたなら、自衛隊の派遣は 「 明るいニュース 」 となるだろうし、多くの犠牲者が出たら 「 暗いニュース 」 とされる。

それを恐れ、「 見て見ぬフリ 」 をするのも、日本の選択肢ではある。

そこに 「 明らかな混乱と、不幸な状況 」 があることを知りながら、そこから目を背け、遠巻きに見守ることが 「 平和的な善意 」 なのだろうか。

ここで撤退することを政府に要求する人々もいるようだが、その 「 理由 」 というのが、はたして世界中の誰もを納得させられるものなのか。

否定的な暗い面ばかりでなく、自衛隊がイラクの平和や、復興に寄与する貢献を叶えられる機会を助け、希望を持つことも重要ではないかと思う。


( 本日のおさらい )

「 彼らは、国益や、アメリカのためだけに行くわけではない 」






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