「 うぬぼれとは、ちっぽけな人間がもらった神の贈り物 」
ブルース・バートン ( ダスティン&オズボーン会長 )
Conceit is God's gift to little men.
BRUCE BARTON
さぁ、今夜も 『 Tonight 今夜の気分 』 の始まりだよ。
今日も私が皆さんに、良いお話を聞かせてあげましょう。
とまぁ、今夜は 「 くそ生意気な書き出し 」 で始めてみた。
私の日記を、「 こんな感じ 」 だと評する方もいるようだが、それはなかなか的を得た指摘であると思うし、たしかに、その通りかもしれない。
私自身は 「 聖人君子 」 に程遠い人間だが、「 エッチな男が必ず悪人 」 ということでもないし、それなりに、人生を真面目に取り組んでいるつもりだ。
大半の人間は 「 良いところと、悪いところ 」 があるもので、悪いところが多すぎるのは問題だが、一つも無いようでは 「 人間味 」 に欠ける。
そのあたりの 「 バランス 」 が、きっと大事なのだろう。
たとえば、就職のための面接で 「 長所、短所 」 を尋ねられる場面も多いが、長所は上手くアピールできても、短所を適切に答えるのは難しい。
理想的な 「 短所の答え方 」 としては、�� 致命的でない事柄 で、�� 場合によっては長所に化け得る というポイントを探すのが、一番だと思う。
例を挙げると、「 口下手 」 という欠点は、その一つだろう。
真面目に働いて、成果を挙げさえすれば、それは 「 致命的な欠点 」 ではなく、余計なおしゃべりで時間を費やさないという面で 「 長所 」 ともいえる。
逆に、「 饒舌 」 が欠点にあたるケースも、いくらでもある。
また同じように、大半の人の心には 「 良心 」 と 「 よこしまな心、邪心 」 があり、これも双方兼ね備えていることが 「 人間らしさ 」 だと思う。
私自身も、ご多分に漏れず 「 長所、短所 」 や 「 良心、邪心 」 を擁していると自覚しており、どちらかに特化してはいないはずである。
もちろん、短所を克服する努力をし、邪心を抑えるように心掛けはするが、おそらく永久に 「 100%正しい 」 方向に、針が振れることはないだろう。
だから、日記において断定的な口調で 「 ○○ は ▲▲ である 」 と語るには欠陥があるかもしれないし、すべてに自信があるわけではない。
となれば、冒頭のような書き出しは 「 うぬぼれ 」 と評価されたり、「 何様のつもりだ 」 と責められても、ちょっと否定できないかもしれない。
それでは、「 法事の後に、お坊さんが話してくれる 『 ちょっと良いお話 』 」 のような私の日記は、「 きれいごと 」 や、あるいは 「 嘘っぱち 」 なのか。
自己弁護するわけではないが、けして、そうではないと思う。
それは、「 良心 」 も 「 邪心 」 も持ち合わせた私が、「 良心 」 のほうに命じて書かせた日記だと考えるのが、正解に近いような気がする。
きっと、同じ人間でも 「 邪心 」 のあるがままを日記にしたためれば、まるで違う文体と、内容に仕上がるのではないだろうか。
自分の中の 「 良心 」 と 「 邪心 」 の、どちらに命じて日記を書くのかという点で、私は 「 良心 」 を選ぶことが多いので、当然、そういう結果になる。
だから、「 TAKA さんって、良いこと言うわね 」 という評価は有り難く頂戴するが、「 TAKA さんって、良い人ね 」 と言われると恐縮する。
自分の中の 「 良い TAKA さん 」 が日記を担当しているので、そういった印象を与えたり、「 良い子ぶってやがる 」 と思われたりもするのだろう。
それを 「 こんな日記を書く俺って、いい奴だなぁ 」 だなんて思い込んでしまうのは 「 うぬぼれ 」 というものだが、けしてそうではない。
ただ、どうせなら、世の中に悪意を一つ追加するよりは、善意のひとかけらでも流したほうがマシだと考え、日記担当は 「 良い TAKA さん 」 なのだ。
せっせと 「 良い TAKA さん 」 が日記を書き終え、疲れて眠る頃になってから、今夜も 「 悪い TAKA さん 」 は、夜の酒場に消えていくのである。
( 今日のおさらい )
「 Tonight 今夜の気分 は、良いほうの TAKA さんが書いている 」
* えっ?これで良いほうなの? という質問をしてはいけません
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