
|
 |
| 2005年01月17日(月) ■ |
 |
| 10 years |
 |
「911」のNYでのテロも恐ろしいが 10年前のあの出来事は忘れることは出来ない 神戸や淡路に住んでいたわけでなく 座りが悪いものが倒れるくらいで、ほぼ被害はゼロだったが あの地響きというか・・恐ろしく近い場所から聞こえた あの低く響く音を忘れない 地面が揺れる音か、家が揺れた音かはわからかったけど
そんなことを感じた 数十キロ西では大変な被害を被っていた 改めて、TV等であの日の出来事・映像を振り返ると やりきれないものがある ガレキの下の返事のない人の名前を必死で呼び続ける人の VTRを見たとき去年の新聞記事を見たときの日記を思い出した
「2004年1月5日の日記から」
倒壊した学生荘 自分は助かったけど 隣人ががれきの下に埋まってしまった 瓦礫を除け、上半身が確認できたがどうしても助け出せない 「絶対助けるからな」 「おう」 「どこがひっかってるんや?」 「ひざがどうしても抜けんのや」 30分後、「火が来るぞ」と言う言葉とともに、焦げたにおいが
隣家はもう燃えていた 「早く逃げろ」 「何か道具はないか」 火の粉降りそそぐなか、がれきを手当たりしだいのけた 「もういいから、逃げてくれ」と落ち着いて、埋まった男が言った 誰もが顔を見合わせた 「ごめんな」 と最後にかけた言葉 返事は無かった 顔を見ないままみんな廊下へ下がった
他の部屋でも下敷きになった人が 「大丈夫か?」 見えている右手が動いた 瓦礫をとり、顔が見えかけたとき 火が隣室に迫った 「助かるんかな?」とつぶやくようにみなに尋ねた 誰も答えられずにその場を離れた
炎が荘を包んだ 「助けてくれ」と叫び声の後、黒煙に包まれた 立ったまま焼け落ちていくのを みんな何も話さずに、泣きながら見つめていた 震災から10年 報道でもやっているとおり、親・子ども・兄弟をなくした人々 震災で経済的困難に陥った人々 震災によって全てを失った人 震災で人生が変わった人 震災で過去の思い出が詰まった家・アルバムなどが燃えた人 まだまだ震災は続いている
|
|