不確かな記憶だけれど、globe の 『 wanna be a dream maker 』 という曲のプロモで、ガラスが割れて飛び散ってボーカルの KEIKOが頭を抱えてむちゃくちゃになっている画がある。
ここ数年の私は、あの部分だけが心の中で繰り返し繰り返し 再生されているような感覚だ。
それでも 前後のことや世間体・誰かの一方的な期待・明日食べるお金 今日引き受けた仕事・昨日の発言・・・ そんなことを全部全部忘れて、羽目をはずして 気が狂ってしまえないところが、私の駄目なところなんだろう。
何もかも捨てて逃げても、案外どうにか生きているはずなのに。 それはそれで、それなりに、すべては動くはずなのに。
どんなにムチャをしているようでも 私の心には常に、冷静なブレーキが存在する。
明日のことが、心配だ。
人間は、弱いようで、強い。強いようで、弱い。 陳腐なセリフだけど。
適当なところで無責任に壊れておかないと、 後々大変なことになるような気がする。 大変なことになることさえできずに、 このまま老いて寿命を全うするような気もする。
昨日読んでいた田口ランディのコラムで
人を殺す人(自殺・他殺ともに)は、その人の『自我』を殺したいのだ。 肉体に恨みがあるわけではない。が、自我だけを殺すことができないから 肉体ごと自我も抹消することになるのだ。
というようなことを書かれていた。 (解釈が違っていたらごめんなさい)。
だとすると、今の私はまさに、その 『肉体を殺さずに自我だけを殺す』ということを 行なっているのではないかと思ったりする。
なんだ。私ってけっこう器用じゃん。
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