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■ 明けない夜の三妖怪
東の空へと旅立って行った師を思う。少しだけ涙が出そうになった。かき消すようにコップの中身を飲み込んだら、隣りに座る仲間が笑った。 「辛気臭いわ、さる」 こいつは、師が行く先も告げずに失踪したというのに、いつもと調子が変わらない。けらけら笑うと、店のおねえさんに愛想を振りまきながらおかわりを受け取っている。ちくしょう、こんな時にへらへらするな。師がいれば決して思うこともしない暴言が頭を膨らます。が、口には出さない。たとえ師がいなくとも、師の教えに背くような振る舞いはしないのだ。それが、あの方の第一の弟子であるこのさるの矜持。 ぐっと歯を食いしばった。 反対隣りにいる仲間が、ふいに頭を撫でてくれた。突然のことに手を滑らしそうになる。こいつはこいつで、酔ってもやけに無口な上に行動に予測がつかない。弟子の中で一番大きな手が、無造作に髪をかき乱す。いくら櫛もいらない剛毛の短髪とはいえ、そう無遠慮にかき回すのはやめてもらいたい。手を払いのけると、黙って引っ込めた。 「とん」 「何よ。『ちゃん』付けろっていつも言ってるでしょ。忘れたの、お皿女。それろもわざと?」 なんだなんだ。頭を撫でるのをやめたと思ったら、突然人を挟んで口論し出した。二人のテンションと行動原理がわからない。とんに至ってはすでに呂律が回っていない。そういえばこの二人は師がいないと途端に小競り合いが絶えなくなる。ああ、どうして今ここに貴方はいないのか。挟まれて心労が増えるのは自分ではないか。 「妖怪の分際で、ちゃんなどいるか。何様のつもりだ」 「失礼ね。妖怪れある前に一人の乙女よ」 「いや、妖怪でしょうよ」 思わず割って入る。鶏が先か、卵が先か。それが問題だ。いや、自己申告というか気の持ちようなんだろう。この場合は。自称・乙女であることは師も認めていた。師、いわく。 「己が大輪の花を咲かせることに全力を注ぐ者。また、咲く前の花であることを信じて疑わぬ者、といったところか」 「……」 「どうした、さる。いまいちわからんという顔をしているな」 「はぁ。なんといいますか、斬新すぎて、私には難しいです」 ああ、あの時もぼーっとした返答しかできなかったっけ。師は、ぼんくらな弟子になんと応えてくれたか、覚えていない。大概のことは理解できないのだ。かっぱならともかく、語るに値しない不出来な弟子なのだ。 傍らのとんが身を乗り出してくる。押しのけられて、二人の間からはじき出されそうになる。癪だから無理矢理とんとかっぱの間に居座り続けてやろう。 「さる、そこをどけ」 「さる、邪魔」 酔っているとはいえ、同じ立場の弟子仲間に対して二人ともひどい。いつものことながらくじけそう。ならば二人とも、間に人を挟まずに隣り合わせで飲めばいいのに。そもそも、お供する人がいなくなったのだから顔突き合わせている必要はない。 「私は、明日は師を探します。お二人はどうしますか」 師は東へ行くと言っていた。 「好きでいなくなったんなら、追っかけるなんて野暮だわ。あたしは適当に遊んで寺へ帰る」 とんは、とんらしい。決して師を追及しない。そのくせ、師の帰る場所をなぜかわかっていて、必ず最後は再会を果たす。寺の門、故郷の街角、西の都の鐘の下、北の不死鳥が棲む丘、等々、簡単に行ける場所でも行けない場所でも見事に出会っている。彼女がいうのだから、今回もいずれ寺へ帰るのだろう。待っているのが、確かに得策といえる。それに倣ったりはしないが。 とんの意見が気に食わないのか、かっぱはただでさえ暗い眼を一層濁らせる。 「相変わらず供としての自覚がないな」 「何よ。供なんかいらないのよ、あの人は。いる時にだけ側にいれば、十分務めは果たしてんの。あんたみたいに、私情入りまくりでひっついてるやつの方が自覚に欠けてんのよ」 「必要不必要はお師匠が決めるものではない」 「なんであんたの方に決定権があるのよ」 「決定権? 私にあるのは意志のみだ。権利の問題ではない」 「意志って、簡単にいえばストーカーじゃない」 「まあまあ、二人とも」 二人の意見はどう頑張っても合わなかった。いつまで経っても永遠の平行線。その線を適当に横棒で繋ぐ。 「ここで解散にしましょう」 いや、永遠に交わらない場所まで放り投げよう。 「それは構わぬが、その女とは決着をつけねばならん」 「いやよ。服破きたくないし、かっぱとケンカする意味がわからない」 「私はお前の主義が嫌いだ」 「あたしも、あんたみたいなのは虫酸が走る」 そうして言い争いながら、二人は武器を手に店を出る。そのうるさい背中を見送りながら、あの二人の分も払います、とだけ店主に告げた。 「仲悪いなぁ」 残った食べ物はぬるくなった豆腐ぐらいしかない。外では野次馬に囲まれて、お金がとれるレベルの剣技を披露しているらしく、歓声とおひねりが飛んでいる。誰にも言ったことはないが、ぬるい豆腐は案外好きだ。 師、いわく。 「とんは好きにやっているようで、いつも私を考えている。勝手なようでいつだって他人を計算に入れずに行動できない。かっぱは個人的な執着に捕らわれている。それはただの欲だ」 言葉だけが頭を駆け巡り、またいつものように意味などわからないまま。うまいことは確かだが、何を食べているのか知らない。そういえば自分は食い物に対してもそういうことが多い。
2011年01月30日(日)
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