池ポエム
ハンス



 西の空未だ

 天の色が青に変わるのを待っていた。
 師匠と私は、ずっとうずくまって身を寄せ合う。背丈ほどもある草の海の中に息を潜めていれば、追っ手にも見つかるまい。松明の炎が遠くに無数見え、人の声が薄い闇の中で賑やかに響く。
 朝になったら、僕らは。
 今はただ待っているのだ。旅立ちの時を。
 師匠は西へ行くのだという。そこに何があるのか、妖怪の身にもわかるように説明してもらったところによると……端的にいえば神に会いに、行くのだという。私が妖怪だから、神などと表現したのではない。この人は大真面目に神に会おうと思っている。また、会えるだろうと、思った。
 新しいいたずらを思いついた子供みたいに、うれしそうな顔で「さる、さる」と、耳打ちしてくれた。あの時の驚きと、喜び。数多いる弟子には言わず、裏山に住む妖怪風情である私にだけ打ち明けてくれたその秘密の旅行計画。
 私は目を閉じる。師匠と私が、西の空の下に立っている。師匠は神の前に立ち、世の理を授けられるのだ。その後姿を私は見つめている。
 「そうしたら、君はどうする?」
 ふいに小声で師匠がささやいた。もうすでに追っ手の集団は遠ざかっている。空は東の端から光を帯びていく。光がすべてを照らす時、もうここへは戻らない。寺は主を失い、やがて違った形に変化するだろう。旅の僧とそのお供は西へ行く。神に会いに。
 師匠は草の海に溺れても互いが離れないように、片手を結んだ。
 「どこへたどり着くかは知らないが、さると私は一緒だ」
 「はい」
 師匠の手は温かく、夜の闇でさえ体温を奪えない。荒れた妖怪の手を遠慮なく掴むと、こちらのささくれまで浄化される。
 「もし、何かくれると言ったら、どうする?」
 耳をくすぐる最初の質問に戻った。師匠の望みは知っている。経典だ。ではこの頼りないお供は、何を所望するのかと。獲らぬ狸の会話もここに極まれり、欲深い師弟は旅立つ前からこの有り様さ。
 天が陽を呼んでいる。さあて。
 風が草の海を凪いだ。海面へ顔を出す。手を放したら、そこは西へ続く道の途中。道の歌が流れていく。
 ただ共にあらんことを。
 旅が終わっても、貴方のお供でいられますように。神は笑うだろうか。そんなものを欲しがって、ここまで来たのかと。

『四面道歌』

2011年01月26日(水)
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